アメリカクルーズ業界大御所の意見

日本人でも客船評論家としてクルーズ愛好者にとってダグラス・ワード氏の名前を知っているかと思われます。

彼は趣味ではなく職業として、クルーズ客船の「格付け」をスタートし、業界に一石を投じていたのです。

世界のクルーズ客船約300隻に対して 彼独自の500項目のチェックポイントをもとに格付けし、その後、世界的なクルーズ業界の権威者として頭角を現してきたのです。

Inc. Berlitz International

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Inc. Berlitz International・クルーズトラベラーカンパニー株式会社

ダグラス・ワード氏は数十ペ ージのクルーズ客船乗船記を書いて小冊子にし、希望者に配布することを仕事にしていたように思われていたのです。

そしてクルーズ客船の分析をできるだけ客観的で、 科学的な手法を取り入れる評価を売りにしていたのです。

当時の業界の動向や、ハード・ソフトの両面に おけるクルーズ会社の内容を把握するのに、非常に役立ったのです。

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ダグラス・ワード氏が最高得点をつけた「オイローパー」船上にて

目次

  1. ダグラス・ワード氏の市場観
  2. 船内設備やサービス
  3. 乗組員に関して

ダグラス・ワード氏の市場観

  • マーケットは二分化しつつある。一つはリピーターを中心としたラグジュアリー、そして客船ビギナーや比較的低バジェットのプレミアムおよびカジュアルマーケットである。       

    日本郵船がクリスタル・クルーズ社を起業する際に当たって、ダグラスワード氏からのアドバイスを受けた際、アメリカ市場で勝負するのなら、ハパグ・ロイド社の「オイローパ」号の先例を研究することを示唆していたのです。
  • 今後日本円の強さを背景とした日本人船客が増えると予想。
    その場合に、現在のリピ ーターがどのように反応するかを充分検証した上で日本マーケットの対応を考えるべきであろう。クルーズの船上プロダクトの対象はターゲットとした、より多数の客層が中心となると思われたのです。
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ドイツ市場向け客船「オイローパー」のメインダイニング
  • 文化的に差別的な商品でもあるハパグ・ロイド社は、ドイツのマルクが強くなり、急激にドイツ人マーケットが拡大。特に上層階に集中したのです。

    その結果、アメリカの旅行代理店は「オイローパ」を売らなくなってしまった。結局「オイローパ」はアメリカマーケットでは敗退し、 ドイツマーケットに特化することになったのです。日本最大級のクルーズ客船「飛鳥Ⅱ」も同様に日本マーケットに特化することで、コンスタントな集客があるようです。
  • アメリカのベビーブーマー層は、自分の払う金の価値が本当にあるのか自問自答する世代でもある。
  • もし、ラグジュアリー・マーケット層を狙うのであれば、特に客層の主力は、旅行経験の豊富なリピーターであり、このマーケットに特化した旅行代理店の優良見込み客です。

    彼らの評価は厳しいもので、このようなニッチ・マーケットのセグメントは、上記のリピーターと旅行代理店のメンタル、つまり心理的側面に追うことが大きく、きめ細やかな対応を求められているのです。
  • クルーズ業界、特にプロ集団である旅行代理店の最大の販売のパートナーは極めてメディア指向であり、一度、新会社の「誤解」と「間違った情報」のイメージが定着すると回復が極めて難しいのです。

    最初の乗り出した時に、いかにラグジュアリー・マーケットのニーズ を吸収し、クリスタル・クルーズ社の方向性を納得させることが最重要とのこと。ここで失敗すると、回復に数年の時間を要すと示唆。
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ニューヨーク港で停泊中のクリーン・メリー2(左)とクイーン・エリザベスⅡ(右)
  • 1980年代後半のマーケットでの失敗例は、キュナード社に見られる。傘下に三様の戦隊を持っていた。

    クイーン・エリザベスII号(ウルトラ・ラグジュアリー・ライナー)、
    キュナ ード・プリンセス号(カジュアルマーケット)
    フィヨルド・タイプ船(NAC 社:ラグジュアリー)

    これらは全く異なったマーケットであるが、これを一元コントロールしようとしている。

    しかし旅行代理店からすればターゲットが不明瞭かで極めて売りづらい状況にあったのです。

    フィヨルド・タイプにしても本船のソフトとリピーターのロイヤリティでどうにかなるものの、会社としての次の 10 年のビジョンを描けていないので、新規の旅行者を他社から引き剥がすことができないのです。
  • 船体が 大きいクイーン・エリザベスII号に力を入れると、マス・マーケットの値段で勝負するキュナー ド・プリンセスとの相打ちになる。

    旅行代理店は、自分が抱えるリピーターに対して、ラグジュアリーから売ることを考えており、同じ会社に三種のプロダクトがあるのは好ましくない。もし それを認めるなら、大手のホテルと同様にホールディング解釈としてキュナードを持ち、運航などは独自に展開するのが重要だという意見があったのです。
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モーツァルトをイメージしたアフタヌーンティーの時間

清潔感と安心感が得られるから、これは、北欧系ホテル部門のマネージメントが長年に渡り築いた傾向と、クルーズ船客のわがままな選択以外何物でもないかもしれなかったのです。

北欧系乗組員とホテルスタッフは清潔感と安心感が得られるイメージがあります。これは、北欧系ホテル部門のマネージメントが長年に渡り築いた傾向と、クルーズ船客のわがままな選択以外何物でもないかもしれなかったのです。これはマーケットや船客が作ってくれたバイアスなのかも知れないが否定はできないのです。

  •  イタリア人従業員は、カジュアルマーケット的なイメージが定着している。親しみが持て、気楽な雰囲気を持っているがラグジュアリーのイメージではない。ホテル部門ではやはり北欧系かオーストラリア系の方が人気が高いのです。
  • ホテル部門でフィリピン人、ポルトガル人が増えているが、これは語学力や陽気さ、および接待力によるところが大きい。今後増えると予想します。
  •  ダイニングサービスにおける気安さや落ち着き、スタッフの笑顔やサービスする能力などは、クルーズ会社が、プロダクトそのものをいかに考えているかを示すものになっているのです。
  • ホテル・スタッフの教育および運航会社の組織指示体制が、7〜80%の評価比重を占めるのです。
  • 船上での不快な経験は、下船後直ちに旅行代理店を経由して運航会社の方に伝わるし、その対応を誤れば、船客の仲間を通して、ネガテイブな情報として流れてしまう傾向があります。
  • 飛行機の旅行と違い、滞在型の旅行である事を認識し、この対応処理システムの整備が必要でした。
  • リピーターは、ますますわがままになり、事前に決められた時間や席につきたがらない。

    「いつも同じ客とは嫌」

    と言う乗客も増えてきた。
  • クルーズ船客は同席した本船側のキースタッフの人物評価が好きだ。キースタッ フの身なり・ 社交性・接遇・話題の豊富さや性格に関する話題も多く、これらも船やサービスを分析する際には重要な項目である。

船内設備やサービス

船上での居住性、即ちキャビンおよび客室の広さ(スペース・レイシオ)サー ビスの質、コストパフォーマンス感、エンタティンメント、フィット・ ネス施設の質、寄港地観光の組み方も重要な評価の分かれ目であるのです。

食事の質や船客の受け、およびサービスの仕方などから見ると、欧州イタリア系基調のメインコ ースの評判が良い。また、肉食主導から植物性食事に変わりつつあったのです。

ダグラスワードにとって日本食の見解は、将来面白いだろうが、即受け入れられるかは不明ということでした。 

ニューヨークの高級日本レストランで見られる鉄板焼きやすき焼きは一般的にセルフ・スタイルに近く、ライフスタイル型クルーズには向かない。

また、料理をつくるときに危険度が高く、クレームの対象になりやすい。衣装の汚れ、においが残る。これらは洗濯代請求のクレームにつながりやすい。日本食も含めて肉料理は敬遠される傾向が強いのです。ルームサービスで弁当、うどんや冷やし麺なども興味深かったのです。

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「クリスタル・シンフォニー」に常備されていた醤油

ただし、しょうゆなどの日本的なにおいには注意を要するという意見。なぜなら欧米人の中には醤油を先天的に受け入れない人たちもいるのです。

日本食の場合、ベビーブーマー 世代には、寿司あるいはうどん・そば類が受け入れられるだろう。食事の定食・弁当化は避け、多岐にわたるメニューを選択させる仕掛けが必要かと思われます。

また、 日本食が、あまりにも日本人好みになり、日本人ゲストがそこを占領しだと、 アメリカ人客からは違和感や疎外感をクレームしてくるので要注意。

当時のロイヤル・バイキング社、プリンセス・クルーズ社のロイヤルプリンセス号のマーケットを狙うなら、北欧船員を前面に出すのは、アメリカのマーケットの現状では絶対必須”である。5~10 年 の長いレンジで日本人従業員(乗組員) の露出を考えたほうがよいのです。

もちろん、そのころには日本人 従業員がアメリ カ人船客に日常生活の話題や文化論を話せるエンターテイメント能力があることが必要です。

プロダクトがマーケットに出て、新会社のイメージが定着すると、この時期を早めることも可能でした。

そして最後にダグラスワード曰く

「いずれにせよ、 最初が肝心だ」と

乗組員に関して

乗組員・ホテル従業員など ・リピーターは、一般的にハイプロファイル指向の人たちで、自分が差別的に特別扱いされていることを好むリピーター・クラブのメンバーとして存在しているのです。

ヘビーリピータまだ行っていない寄港地に行きたい観光地の就航航路や船長や幹部船員は誰か、乗組員に関しては、乗船前の問い合わせも多い傾向があります。

本船の幹部乗組員には、食事中の2時間以上の場を取り成す会話力や、社交・ 接遇力が重要で、 クルーズ船客と直接物理的に接するダンスなどのサービスは、専門家に任せるのが現代の時流である。

特に、船の従業員や船長などの船客とのダンスは、船客間の批評・噂の対象になりやすく、 その距離感も重要になります。

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船内にて専門のダンスホストによるダンス教室

クルーズ船客とのボデイタッチや、船に対するセクハラなどのクレーム にもなりやすいので、ロイヤル・バイキング社などは、専門のダンスも出来るホストを乗せている。 この傾向は、ますます顕著になっている。 

マーケットが認知していない段階では、日本人従業員の過度な露出を宣伝するのは逆効果になるかも知れない。日本人が、モノ造りの世界で、優秀なのは知っているが、ホスピタリティの世界で、アメリカ人や英国人にはいまだユニフォーム姿の日本人従業員をレジャーな気分で受け入れるところまではいっていないだろう。

特にラグジュアリー・クルーズではユダヤ系の船客が多く、難しい挑戦となると予想していたのです。

これは、世界でも有数なクルーズ客船で あるドイツの「オイロ ーパ」という前例がラグジュアリークルーズのお手本となる。日本の「飛鳥Ⅱ」も「オイローパ」を参考にして業績を上げていることを見受けられます。

ドイツ船には映画で脳裏に刻まれた、U ボートのドイツ制服姿などが連想され、英国人は自腹を切ってまで乗らないのと同じ心理があります。

外交辞令と本音はまったく異なるのです。

貨物輸送などのように利便性や車のようにモノが、 高品質であることが実証でき、そのモノの価値がわかり易い世界と違い、人間の「主観的な」心理 に影響される業界であることを認識しなければ、この事業は成功しないと示唆。

幹部乗組員の混乗方式も、串刺し方式は乗客にとっては奇異に映るだけで、どちらかというと運航者側の都合で決まっている方式てと思われたのです。

初めは、上級は A 国・中級は B 国などにランクで船員の国籍を分ける方法もあるが、いままで の他の船の例でいえば、仕事の仕方が国ごとに異なったり、 英語理解力の問題があったりで上手く行ったこと試しがないようである。

乗組員との円滑な関係を築くには様々な課題があるようです。

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ユダヤ系富裕層の乗客との出会い

マーケットのカギを握るユダヤ系富裕層

アメリカのユダヤ系人口は、500 万人で、アメリカの総人口 に占める人口比率 が、2%前後。現在 650 万人であったが、その人口比率からの考えられないほどの影響力をもち、特にアメリカ の経済や政治の 4 分の 1 を左右するといわれていたのです。


※注:イスラエルには、550 万人、口シア、1900 年で 400 万人、現在 100 万 人と言われています。

彼らの経済力、社会組織力は、アメリカのマイノリティー 社会でも、際立っていたのたです。この傾向は、旅行業界においても見られました。

旅行業界においては、彼らの先祖は移民枠のない頃に、 アメリカに渡り、ロシアに加えドイツ・ポーランドやオーストリアなどの中欧系のユダヤ人を親に持つ第 2 世代が多かったのです。

彼らの多くは、親の世代に、ニューヨークなど東岸の都市や繊維産業に代表される都市に、人口が集中していたのです。

しかし戦後、アメリカの経済が大きく変容し、南北戦争後の繊維産業から、第 2 次世界大戦前後には、鉄鋼産業・自動車産業・軍需産業への産業基盤の拡大したのです。

さらに新しいサービス産業なども加わり、アメリカ中西部の大都市は隆盛を極めていました。

これによって新しい仕事を求めて、東岸に点在していたユダヤ系アメリカ人も、この新しいアメリカ経済の中核地五大湖工業地帯にあるシカゴなど主要都市に集団的に移動し、移住する傾向が見られたのです。

この時代、すなわち、親の世代に新しい仕事を求めて中西部に移住してきた世代 の第 2 世代が、 中西部の都市部で、大きな人口の比較的豊かな人たちの)瘤を形成しつつ有ったが、彼ら自身は、 中西部生まれの海を知らない世代でした。

当時、北欧系やドイツ系の移民の多くは、アメリカ中西部の都市部やアメリカ西海岸における新興都市、ロサンゼルスやサンフランシスコの住宅建材供給基地としての林業などが主な産業で生計をしていました。

その彼らの居住地ミネソタ州やミシガン州、ウィスコンシン州での厳しい冬の寒さを避け、南に彼らの居場所を求めていたのです。

このようなヨーロッパ系移民やユダヤ人社会の周りには、旧ヨーロッパ祖国への里帰り便の手配などが旅行会社の仕事の関係で、零細旅行会社が多かったのです。

例えば、ユダヤ系社会の大きいシカゴ近辺には、1973 年よりニューヨーク〜ワルシャワ便を開設したポーランドの航空会社LOTと提携。

ポーランド系移民を対象とした里帰り便専門の会社が多くあったが、彼らも、彼らが抱えるユダヤ系客層の旅行に対する変化を嗅ぎ取っていたのです。

彼らのユダヤ系顧客は、厳寒の冬を避け、キューバなど南の島々に快楽を求めるスノー・バード族が多数存在していたのです。

アメリカの航空業界最大手、パンアメリカン航空(現在のユナイテッド航空)等の国際線の急激な発達と重なり、ポーランドの冬に似た内陸のシカゴからの逃避を求め、新しい太陽を求めた旅の形に憧れていたので、旅行会社もセールスの方向を転換せざるを得なかったのです。

この様な客層には、彼ら特有のシナゴーグ等の集会や互助共同体的な生活パター ンを介して、キ ューバ観光などに、更なる注目が集まってい増田。

カストロ政権の出現で行き先が無くなり、その多くは、自動車の普及と共に、フロリダ州のマイアミなどや、急激な娯楽性を高め、滞在型の観光都市としての地位を固めつつあったラスベガスへと人は流れたのです。

その後、カストロ政権発足から数十年の時を経て、 再びカリブ海にはクルーズ客船が就航し始めたのです。

当然彼らも主要客層として、再びカリブ海へ繰り出しつつありました。

当時、提携先のビバリーヒルズにあるクルーズに特化したユダヤ系旅行者を扱っていた旅行会社のオーナーと対談し、 彼らが「海」に対する 願望が強いのかと聞いた事がありました。

答えは単純。「多くの客が中・東欧からの出身者で海を見たことが無い」と言うものでした。

この巨大な大陸の中西部では、空路網の発展なくしては、アメリカの旅行業界は、発展し得なかったと思われるのです。

この深層心理が、中西部の季節移動型のスノー・バード族を支えていたのです。

ポーランド系ユダヤ人を送り出す旅行会社としては、航空産業の規制緩和などの動きで、料金体系が複雑化し、減収になりつつあったポーランドへの里帰りの飛行機旅行より、高単価で高収入のラグジュアリークラスのクルーズ旅行を扱う傾向が顕著になった。

しかも、個人的なネ ットワークで、営業を行うスタイルでありながら、彼ら社会の地縁・血縁などやシナゴークといった特殊なネットワークや交流の機会などもあり、人的な繋がりが深く、堅く高額商品を扱うニッチマーケットで、頭角を現してきた。

ラグジュアリークルーズのリピーターとして、繰り返し乗船する傾向が強いことも彼らには好都合であった。

クルーズ会社から見て彼らは重要な存在であり、船上での「体験価値」を売るクルーズ客船にとっては貴重なマーケットでした。

帝政ロシアや中・東欧から逃れてきたユダヤ人作曲家たちは、戦前、戦後のアメリカの音楽界や映画界を支えてきたのです。

一例として、アーヴィング・バーリン「イースター・ パレード」「ホワイト・クリスマス」「ゴッド・ブレス・アメリカ」、

ジョージ・ガー シュウィン「ラプソディ・イン・パリ」 「パリのアメリカ人」

ロジャース & ハマーシュタイン「回転木馬」「南太平洋」「王様と私」「サウンド・オブ・ミュージック」などなど、、、。

これらはクルーズ旅行者にも大きな影響を与え、創業当時に就航していた「クリスタル・ ハーモニー」は、彼らの音楽などを中心とした舞台構成を約1年間演出していたのです。

その演出は大好評。

その後3〜4年は、彼らのショーはいつも満員御礼。
スタンデング・オベーションでした。

ユダヤ系ネットワークという特殊な販路

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クルーズ乗船後はそのままデッキでランチタイム

当時の「ロイヤル・バイキング・サン」(乗客定員:850人名)船上において、毎週金曜日に定期的に開催されるラビ主催の宗教的会合には、150人前後の船客が参加していたといわれていたのです。

このような類の乗船客の販路を探る事となりました。

ロサンゼルスの某ユダヤ系旅行会社は、当時「ロイヤル・バイキング・クルーズ」に、年間 200 〜250人を送り込んでい増田。

その集客の仕組みは、毎週恒例のシナゴークという集会所を中心とした宗教的 会合や頻繁にユダヤ人が主催する集まる席でのクルーズに対する自己体験、彼らの血縁的交流・会話などを通しての誘致活動などにあったのです。

また、ユダヤ人専門のゴルフクラブでの「クルーズの夕べ」等のイベントを積極的に頻繁に開催し、クルーズの魅力を語ることも忘れなかった。

ラグジュアリー・クルーズ客船の集客には「船上での体験」の評価が、大きな動機付けになっており、そのためには、対面誘客活動や彼らの地縁血縁色の強い社交クラブ活動においての口コミによる誘いが 非常に大きな意味合いがあったのです。

情報の伝達力が、充分発揮されるという意味では「新しいクルー ズ会社」の進出と言う情報発信をしなければならない。アメリカのラグジュアリークルーズマーケットにおいて、極めて重要なマ ーケットでした。

こうしたユダヤ系旅行会社が、全米に散らばっている零細旅行会社に発信することがラグジュアリークルーズマーケットの拡大に繋がっていくのです。

このようなユダヤ人社会の零細旅行会社は、特に中西部の中小都市や西海岸のサンフランシスコやロサンゼルス、東海岸のニューヨークなどに、顕著であったのです。

ユダヤ人社会マーケットの把握は、統計なども余りなく、極めて難しいものでした。

しかし、 これらのマーケットの多くは、全米のユダヤ系政治家の地盤と奇妙に一致していたのです。

同じユダヤ人社会でも、第 1 次世界大戦時代からの帝政ロシア下の中・東欧を中心としたアシュケナジー系ユダヤ人社会や、アメリカで出生した子供世代、そしてホロコーストを経験した後の世代や、1980年代後半のソビエト連邦崩壊後に急激に増え、イスラエルより迂回移民した当時の旧ソビエト圏出身ユダヤ系移民などが存在していたのです。

同じユダヤ系でも、それぞれの行動パターンは異なっていました。

近年移民して来た旧ロシア系ユダヤ系の人たちは、旧体制下での富もあり、行動も積極的であり今後のラグジュアリー・クルーズにおいても新しい影響を与えるものと思われたのです。

その他、ペルシャ系やアルメニア系ユダヤ人社会とスペインなど西欧系、メキシコなど中南米系 ユダヤ人社会の旅行観が違う事も新たな発見でした。

同じユダヤ系アメリカ人でも第 2 次世界大戦前から移住し、子孫は生まれも育ちも根っからのユダヤ人と戦後のヨーロッパの政情不安てによってアメリカに移住してきたユダヤ人とも、その考え方は異なっていたのです。

カリブ海旅行に対する考え方も、戦前から、長く東岸に定住しているユダヤ系アメリカ人は、保守的でそれほど熱狂的てではない傾向です。

経済の発達に伴い機会を求めて中西部に移住した第 2 世代は、カリブ海クルーズ指向が強いといわれる。

彼らの多くが、ポーランドを初め、中・東欧からのユダヤ系移民で、「太陽と海と青い空」に対する考え方が違うが故であると言われていました。

遥か昔18 世紀のゲーテの「イタリア紀行」や、昨今の北欧やドイツなどの富裕層が、地中海スペインや旧ユーゴスラビア、特にボスニア・ヘルツコビアなどの海岸に、冬の住処を求めると同じ心理かと思われていたのです。

ユダヤ人の客層にとって、そのサービス海域も重要で有ることが分かった。イスラエル寄港は多くのユダヤ系乗船客の強い希望であり夢でした。

またアメリカの南西部に旅行代理店を展開する、 スペインやフランス系出身のユダヤ人旅行会社のオーナーは、スペイン・南フランスなどの寄港を提案していたのです。

一方、当時のユダヤ系の旅行代理店から、日本を含めたアジアへ行きたいとの要望は、極めて少なかったのです。

つまりアジアは彼らにとって最も遠い、遥か彼方の観光地でした。

ここで彼らの日本社会との関係の疎遠さを感じたのです。

その後、1990 年代初めから、このような地方に根を張るユダヤ系の零細旅行会社が「ヴァーチェソロ」や「シグネチャートラベルネットワーク」等の主力コンソリデーターなどの出現で集約され、現在のラグジュアリークルーズ市場の約40%前後は、彼らによって握られるいると言われてました。

彼らの希望する旅行先は、特にイスラエルやフレンチ・リビエラなどは人気が高いのです。

1990年代の湾岸戦争やイラク戦争の頃には、彼らは過敏に反応し、結果として、地中海クルーズは、彼らから敬遠されたのです。

その代替寄港地として、アメリ カ国内クルーズであるアラスカや北欧や南太平洋クルーズが、人気を集めたのです。

ユダヤ人人口:総人口比の高い州TOP10

2020 年版 「アメリカユダヤ年鑑」によるアメリカ国内のユダヤ系アメリカ人の人口推移が以下のように記載されてました。

数字はあくまでも目安ですが、かなりの整合性があると思われます。

・1位 ニューヨーク州  1,618,320(人) 総人口比 8.4 %
・2位 カリフォルニア州 1,194,190(人)総人口比 3.3%
・3位 フロリダ州 653,435(人) 総人口比 3.7 %
・4位 ニュージャージー州 480,000(人)総人口比 5.5%
・5位 イリノイ州  278,810(人) 総人口比 2.2 %
・6位 マサチューセッツ州  275,030(人) 総人口比 4.3 %
・7位 メリーランド州  235,350(人) 総人口比 4.2 %
・8位 コネチカット州  111,830(人) 総人口比 3.2 %
・9位 ネバダ ユダヤ州  69,600(人) 総人口比 2.9 %
・10位 ワシントンD.C ユダヤ人口 28,000(人) 総人口比 5.1 %

このようにしてアメリカのクルーズマーケットとしては、彼らの存在はなくてはならないものであるということがこの統計で理解できるかと思われます。

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世界で通用するクルーズ会社を構築した日本企業

アメリカの規制緩和政策と日本

今から約50年前の1970 年代後半、当時の大統領カーター政権末期から1980 年代初期のレーガン政権下では、アメリカの運輸部門の規制緩和の嵐が吹き荒れていました。

アメリカ人の海外旅行の主な旅行先はヨーロッパに向いていたのです。しかし当時のドル安や、ローマ及びウイーン空港におけるテロ事件。チェルノブイリ 原発事故などで、ヨーロッパは大きなダメージを受けていたのです。

規制緩和政策の始まり、航空業界も含め旅行関連業界は厳しい時代でした。

またアメリカ国内では円高や日米貿易摩擦を回避するために、トヨタ自動車や本田技研が、アメリカの中西部に自動車工場を建設する大きな変化が差し迫っていたのです。

日本企業などのアメリカでの自営化に伴い、物流の幹線も変わりつつあった。日本からの物流が、従来の消費者マーケットであったニューヨークなど東海岸に加え、工場資材なども含めて、 中西部向けの荷動きが急増したために、輸送時間の短縮を掲げた企業が、アメリカ西海岸経由での輸送に踏み切ったのです。

そのため、日本からアメリカ向けのコンテナ船の配船を航行時間が短い西海岸をメインとし、五大湖工業地帯の拠点である中西部のシカゴや東海岸にニューヨークへの物資の内陸輸送は鉄道に委ねていたのです。

この時、日本郵船はアメリカの規制緩和に対して日本企業として迅速に対応したのです。その最大の案件は北米に大手自動車会社の現地生産体制が発表され、それに備えた物流網の構築が求められていたのです。

 アメリカ向けの貨物を扱う日本郵船としては、トヨタ自動車や本田技研などのメーカーの本社機構など実務部隊がロサンゼルスに拠点を構えていたこともありその内陸の輸送方法に関して、各企業との調整が不可欠であった。

これらの事業の展開の為に、ロサンゼルス港に隣接するカーソンで物流向けの土地買収を行ったのです。

このロサンゼルスの立地の優位性を見て、アメリカにおける倉庫業に進出の先駆けとして、大規模な物流倉庫などを建設することになったのです。

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日本郵船時代に建造された「クリスタル・シンフォニー」

客船事業復活のための市場調査

日本郵船本社では「氷川丸」以来の客船事業復活に水面化で動いてました。同社は客船事業といえば日本市場をターゲットと考えていたのです。

船旅といえば、日本ではフェリーなどの定期航路における輸送を目的とした客船を思い浮かべるのが一般的かと思われます。

第二次世界大戦までは、日本郵船や大阪商船など日本を基点にしたヨーロッパあるいは中国・北米などに客船の定期航路を持っていた。

この客船の多くは貨物も積める「貨客船」と言われるものでした。

当時は航空機が発達していなかったため、客船航路がメインの移動手段でした。 戦前の欧州や北米では。定期客船航路がある程度定着し、ヨーロッパと北米間の回航スピードを争うブルーリボン戦争に参入。

これらの多くは船客の輸送、特に欧米間の客船は移民などのアメリカへの送り込みが主な目的であった。すなわち、点と点を線で結ぶ「移民線」や「船旅」の領域を出ていなかった。

北大西洋で悲劇の沈没をした「タイタニック」も、新しい居住性を重視した客船ではあったが、それでもまだ定期船の発想でした。

実際私も30年前はクルーズはフェリーなどの定期客船とは一線を異なることは頭では理解していたのです。

しかし、実際に乗船してクルーズというものはこういうものだと肌で実感する必要があったのです。

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アジア最大級のカジュアルクルーズ「スーパースター・ヴァーゴ」

アメリカクルーズマーケットを目の当たりにする

私の場合、クルーズデビューはシンガポール発着でスタークルーズ社が運航していた「スーパースター・ヴァーゴ」でした。

日本のクルーズはお値段的にも「高嶺の花」でしたので、海外クルーズの方が安価だという情報を知ったのです。

3泊4日のショートクルーズでしたが、その船の最高ランクのスイートルームを2人で15万円で乗船することができたのです。

クルーズを経験したことのない私にとって「スーパースター・ヴァーゴ」は新世界でした。

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華やかな世界を繰り広げるカジュアルクルーズ

日本とは異なり、海外クルーズは客層が3段階に分かれていて、乗船した船はますマーケット対象の「カジュアルクルーズ」ということに気づくのです。

「やはり本場アメリカのクルーズを体験してみたい」と思い、カリブ海やアラスカ、そしてメキシカンリビエラのクルーズを一通り体験したのです。

クルーズ乗船路には必ず妻も同伴でした。

その大きな理由は男性ではチェックしきれないレストランでの食事、バー、キャビン、ヘアサロンなどのサービスについては繊細な女性の感性が求められるのでした。

その後、同じアメリカでもヨーロッパまで足を運んでクルーズを楽しむ人はカリブ海やアラスカクルーズを楽しむ客層とは異なることを知り、北欧から地中海クルーズ、さらに中東まで視察に行きました。

そして欧米で多くの事情通と情報交換を行い自身の試乗体験などをするうちに、 一つの方向性の結論が確立。その後、富裕層向けインバウンドコンサルティングの基礎となったのです。

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ラグジュアリークルーズのビジネスモデルを構築したクリスタル・クルーズ

ラグジュアリークルーズのビジネスモデルを構築

日本郵船は、以前から研究を続けていた既存 の「日本におけるクルーズ事業」から日本郵船による世界を相手にした「国際クルーズ事業」との位置付けで、全く新しい切り口で多面的な情報を求めていた時期でもあります。

クルーズビジネスは、多面性のあるサービス業です。
その背景には旅行者調査や客層動態調査、BtoC調査などの社会心理学的な側面が多いので既存の固定概念は通用しないのです。

アメリカと長年国交を途絶えているたキューバ・ハバナやラスベガスのホスピタリティ・ビジネスの発展に強い関心を持っていました。

ホテルなどの多様性や発展・その背景が、顧客マーケットや彼らの行動形態の徹底的な分析とニーズに合ったホテルや関連施設を作ることで、誘客システムを構築し、マーケットを拡大・定着させているのです。

日本郵船はアメリカでの徹底的なマーケティング分析とそのニーズに合わせたクルーズ客船を造る重要性を理解していたのです。

それが業界30年においてアメリカにてラグジュアリークルーズのブランドを構築したのが「クリスタル・クルーズ」でした。その後ゲンティン香港、そしてA&Kトラベルがクリスタル・クルーズ」のブランドを継承していったのです。

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クルーズ客船は洋上の都市である

客船は輸送手段からエンターテイメントへ変貌

戦前、客船は交通手段の一つであり、タイタニック号のような純粋な客船も就航していたが、貨物と旅行者を混載する船も多く存在していました。

輸送手段としては、2地点間の輸送が重視され、船の速度が重要視され、大西洋横断にかかる日数を競ったこともあったほどです。

しかし、1960年代以降、定期船はクルーズへと姿を変え、その性格も大きく変わってきたのです。

クルーズ船は移動のための目的地がすべてではなく、乗客が長期にわたって船内に滞在し、クルージングをしながら自分たちのライフスタイルを楽しみ、大海原の自然の融合を気ままに楽しむ旅の形となったのです。

戦前の大競争のような速度優先ではなく、船上生活の快適さを優先。

その快適さのために多くの資金が投入されたのです。

新しい客船を建造する際には、船内の騒音や振動、空調や換気、船が揺れにくいことなどに最大限の配慮がなされる。この分野での技術革新は目覚ましいものがあります。

居住性と快適性を追求

新しい旅の形の開発は、客船そのものの画期的な発展と無関係ではありません。

船の運航方法も大きく変化している。IT時代の到来により、ジョイスティック(※)1本で船を操作できるようになり、さまざまな寄港地を訪れることが可能になり、目的地での観光時間の延長にも貢献するようになったのです。

※ジョイスティックとは、、、。
スティック(レバー)を傾けることで方向入力が行える入力機器の総称。航空機などへの入力機器として利用されるほか、コンピュータへの入力機器としても使用されます。

また可変ピッチプロペラなどのスクリュー、バウスラスター、ボットなどの利用も、船の運航方法を大きく変えているのです。

また、ローリングの程度に影響を与えるとしても、フィンスタビライザーなどのローリング対策が導入されれば、客船の乗客にとって快適なクルーズをサポートすることができます。

ローリングについては、特に船長付きの大型船が重要視され、最大波長を超える全長150~200m以上の船が建造されるようになってきました。多くの旅行者が快適に日常生活を送れるように、ゴミや下水などの可燃物を処理する海洋汚染防止装置が開発されているのです。

最も重要な安全装置や、どこからでも通信できるシステムを改良・拡充しました。また、船内で大量に消費される水や、温水の使用も無制限です。

海水淡水化プラント等の導入により、多くの旅行者や船内生活者に十分対応できるようになったのです。

空調などの設備の発達は、船旅の快適性にも大きな影響を与えてます。

長期滞在の旅行者がより日常的な生活を楽しめるよう、さまざまな最新設備が導入されています。

クルーズ船の乗客や船上で生活する従業員にとって、船内生活を維持するための食糧管理は最も重要なことですが、効率的な輸送方法も大きく変わりました。

多くの食材は、冷凍技術の近代化によって、船内での長期保存が可能になり健全に保管されるようになりました。

冷凍技術の発展はクルーズの発展

旅行者は日常的に使う食料を、どこにいても調達できるようになったのです。

このように空調や冷蔵技術の向上、食品の改良などが、旅客船内の限られた保管スペースに貢献しています。

洋上という制約によって、陸上ホテルの標準メニューとは異なり、船上での食事は乗客の選択の幅が広く、船内にある数百種類のレストランで様々なメニューが提供されます。

乗客が一堂に会するメインダイニングから、あらゆる嗜好に対応する複数の専門レストラン、朝の寝起きに最適なリド・カフェ&ビストロまで、幅広いダイニングが用意されています。

また、大小のシアター、ナイトクラブ、展望ラウンジ、会議室、コンピュータールーム、美容室、プール、バー、ラウンジ、カジノ、免税店など、リゾートホテル並みの公共施設を備え、エンターテインメント環境も充実しています。

また、丸窓の部屋の時代から、ベランダのある部屋も多数出現しています。バスルームにはジャグジーが設置され、ピクチャーウィンドウからは海が見えるのです。

富裕層旅行は豊富な選択肢があること

バスルームにはジャグジーがあり、ピクチャーウィンドウからは海が見え、陸上の5つ星ホテル並みの環境の中で、さまざまなサービスが受けられます。

何よりも、富裕層旅行は自由自在な旅を好み、幅広い選択肢が用意しなくてはなりません。

意外にも多忙なクルーズ船内では、一人で散歩をしたり、海風に吹かれたりして気分転換をすることもできます。

クルーズ船での旅は、クルーズ船の乗客が、生活習慣、食事、言語などが異なる外国を旅することを意味します。

船内の食文化は、乗客の大半を占める乗客の国民性に支配される傾向があります。

アメリカ人が陸路の旅行に出かけた際、例えば食文化が進んでいると言われるパリでも、そのレストランで出されるフランス料理のメニューが苦手で、どんな料理が出てくるのか不安になることも少なくないようです。

高級とはいえ、アメリカ人ゲストが主なマーケットであれば、彼らの母国で一般的なレストランで食事をするように、アメリカの日常生活で目にする食材をもとに英語で注文し、思い描いた食事が目の前に現れることに安心感を持つことができるのです。


アメリカ人旅行者にとっては、遠く離れた南太平洋や南米の船上であっても、故郷の街角で見たり食べたりするのと同じものが毎日の食卓に並ぶことが重要なのです。クルーズ旅行に憧れはあっても、船上での日常生活が非日常であることは望んでいないのです。

クルーズ旅行の魅力は、寝ている間に新しい目的地に到着し、荷解きや荷物の整理をすることなく街の風景を楽しんだ後、夕方に船に戻り、全米どこにでもある高級レストランで食事ができることです。

時には正装して、その場を盛り上げることもできます。

ディナーの後は、ブロードウェイやラスベガスのショーに似たエンターテイメントでロマンチックなひとときを楽しみ、好きな時間にベッドに入り、翌朝には新しい目的地で再出港している自分に気づくことができるのです。

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アメリカ旅行業界に革命を起こしたクルーズ

航空料金の価格破壊

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11990年代のアメリカ航空業界の規制緩和は、流通ネットワークである米国の旅行会社に大きな影響を与えました。

旅行商品の販売ネットワークの中核をなす旅行会社の仕組みや、そこで働くスタッフの対応に変革を迫られたのです。

航空料金の自由化により、搭乗客には多くの選択肢が増えたは良いものの、その顧客対応する旅行会社は、料金が日々変化する航空料金や同じ路線でも航空会社によって料金が大きく異なることで混乱を招いたのです。

さらには旅行者を囲い込むために各航空会社が導入したマイレージ制度により、顧客対応が煩雑になっていたのです。

多くの旅行会社は、航空券の販売に、多くの時間を費やしていました。当時のCLIA(クルーズ客船国際協会)の調査によると、1回の予約に約45分かかっており、非効率的であったのです。

また、料金も競争により低下し、低水準で推移した。

1990年代にはIT化によってコスト削減、旅行会社に支払われる販売手数料に上限が設けられ、利益率が大幅ダウン。航空券の販売は旅行会社にとって採算が合わないビジネスになってしまったのです。

新しい技術への設備投資が行われる一方で、顧客と顧客をつなぐ店頭販売網である中小の旅行会社の体力は、減収が続く中で急速に低下し、航空券のみの販売から、より利回りの高い旅行商品の販売に移行する傾向にあった。

規制緩和による事業環境の激変に戸惑う販売網に対し、米国のクルーズ船運航会社は、クルーズ客船国際協会(CLIA)の設立を通じて、数々の新たな挑戦を試みたのです。

航空料金価格破壊の打開策

CLIAは、米国独占禁止法上のリスクを回避するため、クルーズ市場の拡大に主要な活動を集中させた。

CLIAは、新造船が就航するたびに、新聞やテレビを通じて、他の旅行形態との比較やその価値、クルーズの料金体系、下船後の満足度、新しい旅行形態を理解してもらうための「試乗」などを紹介し、市場の活性化に着手したのである。

また、「クルーズバケーション月間」など、クルーズ旅行の認知度を高めるために、主要雑誌やメディアを通じて全国的なプロモーションが数多く展開されたのです。

これらのプロモーションの多くは、クルーズ旅行はいかに満足度の高い旅行であることを前提に、旅行会社が販売しやすい商品として売り込まれたのです。

また、クルーズ会社で予約した旅行者には、クルーズ料金と航空券を組み合わせた「フライ&クルーズ」というを新たな商品を導入。航空会社もクルーズ会社とコンタクトを取らなければ成立しないような商品もあった。

この効果は特にアメリカ内陸部の中小旅行会社に顕著に表れたのです。組織化しようとする多数の旅行会社も、複雑な航空券の手配から解放され、新しい顧客層を開拓することにもつながった。

CLIA加盟のクルーズ運航会社は、航空券の販売などに苦労していた多くの中小旅行会社を囲い込むことに成功し、新しいクルーズ乗船客を獲得することができたのです。

また、CLIA会員各社は、旅行会社スタッフに「クルーズ試乗会」と称する特別なクルーズを積極的に企画し、旅行会社の担当者にクルーズ体験してもらったのです。

下船後、旅行会社は自分たちの常連客を中心に、従来の飛行機を使う旅行とクルーズ旅行との違いを伝えてもらうこと、つまり「口コミ」に一番期待したのです。

零細旅行会社を救ったクルーズ業界

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クルーズ船上のプールで楽しむ乗客

実際、クルーズ会社の業界担当者によるクルーズ試乗会を開催しつつ販売網を拡大。特に地域密着型零細旅行会社のスタッフの販売活動が、その後のクルーズ市場を支えていくことになるのです。

一度試乗をクルーズを経験した旅行会社は、その満足度について高い評価を与えることが多く、これらの旅行会社は先客にその経験をアピールするようになリマした。

販売すべき商品は、まず販売する側に知ってもらわなければならないのですす。このクルーズ試乗会は成功したのです。

しかも、クルーズの商品は、クルーズの目的地だけでなく、長期滞在中の船上滞在体も重要な要素です。

船上での体験の部分は、乗客の満足度と密接に関係しています。

つまり満足度が高ければ、またクルーズを体験しに来てくれる可能性が高くなり、リピーターヘと繋がるのです。

個人事業的な零細旅行会社も、徐々にクルーズ旅行の楽しさを理解し始め、クルーズビジネスに精通しつつあったのです。

彼らはクルーズという商品をよく理解し、何よりも自分自身が体験しているからこそ、自分の抱えている顧客に説得力のある説明ができるのです。

クルーズ船は、陸上のホテルと違って、クルーズ旅行のベースとなるパンフレットがあり、予約受付のシステムも明確。

ホテルと違って部屋などの割り当て販売なので、パンフレットで選んだオーシャンビューの部屋と、実際にクルーズ船に乗船したときのオーシャンビューの部屋のイメージに違いがありません。

ホテルの場合、実際には宿泊してみないとわからないことが多々あります。

クルーズは事前に自分が希望する客室を指定することが可能です。

このようにクルーズほど中小、個人事業的存在の旅行会社にとっては販売しやすい旅行商品に発展していったのです。

当時ラグジュアリークルーズの代表的存在であったロイヤルバイキング社(現在のバイキング・クルーズライン)の場合、当初のクルーズ市場は、何度もクルーズに参加している乗船客が中心でした。

その「リピーター」をいかに増やし、何度もクルーズに足を運んでもらえるようなフォローをするかが勝負だったのです。

ラグジュアリークルーズの場合、あるサービスに特化することでリピーターを増やす必要がある。

そのため、船内ではサービスや食事がこれまで以上に重要視されたのです。

これまで高価な商品というイメージが強かったラグジュアリークルーズ市場には、多くの「リピーター」が存在します。

彼らはこれらのクルーズ商品を熟知しているので、接客に要する時間は短いのです。

またクルーズ運賃は、フライ&クルーズとして航空運賃とパッケージになっているケースが多く、販売価格に対する旅行会社のコミッションは、航空券の販売だけよりもはるかに有利でした。

航空業界発展に貢献したクルーズ

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早朝のデッキウオークはクルーズの醍醐味の一つ

このような背景から、クルーズビジネスの仕組みを理解し始めた旅行会社ネットワークは、次第にハイエンドなクルーズに目を向けるようになったのです。

各旅行会社が送り込んだ乗船客が乗船中に船内で予約できるシステムを提供することで、船内予約をコミッションとして旅行代理店に自動的に還元することにも成功。

この船内予約システムによって、これまで旅行会社は、初めてクルーズに参加されるお客様には数分、2回目のお客様には15分かかっていた予約を、わずか数分で1回分取ることができるようになり、クルーズビジネスの将来性を実感したのです。

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米国がクリスタルクルーズに注目する理由

富裕層向けインバウンドの成功事例として、格好の模範となるのが米国クリスタル・クルーズ社でした。

このクリスタル・クルーズ社は、最初のオーナーであった日本郵船が、1960年の「氷川丸」の引退以来、すべての定期クルーズ船の運航を休止していました。

しかし1987年にレジャー産業におけるクルーズ事業を目的として、クルーズ船の運航を復活させることにしました。

『松』(北米市場向け大型船)
『竹』(日本市場向け中型船)
『梅』(地方創生を目的とした小型船)

クリスタル・クルーズは、この3つのプロジェクトを同時に進めることにしたのです。

クリスタル・クルーズは、日本郵船本社の客船準備室が1988年にロサンゼルスに設立した100%出資の子会社。

その第一番船「クリスタル・ハーモニー」をベアボートとして、乗組員やエンターテイナーを乗せ、北米のクルーズ市場で事業を行うことを目的としていたのです。

外国人幹部は、ロイヤル・バイキング・ライン社のノルウェー人、フライデンバーグ船長とエンガン船長以外はすべてアメリカ人で、スバルスキーは当時イギリスP&O社の子会社であったプリンセス・クルーズ社の出身であったのです。

彼らの指揮のもと、アメリカ人や約15カ国の永住者を含む100人以上の陸上職員が、プロダクション・ショーの制作、クルーズ商品の開発、スケジュールの編成、港での船舶代理店の任命と監督、船の整備、乗組員の採用と配置、船の運航の指揮、船の乗客と乗組員のための食糧や物資の調達と積み込み、船員への各種サービスなどに従事しました。

乗客・乗員の食料・船用品などの調達・積み込み、マーケティング(広告・宣伝)、航空券予約、乗船券発行、経理などの事務を担当。

乗組員の募集、面接、配属はオスロの事務所を通じてヨーロッパとフィリピンで行われ、船長はキュナード社のカイ・ユルセン氏。

スタッフ船長はロイヤルバイキングライン社のリードルフ・モーレン氏、ホテルディレクターは同じくロイヤルバイキングライン社のオーストリア人、ディーター・ヴェータンツル氏で、彼は船の建造中に三菱重工の長崎造船所に派遣されました。

乗組員の3分の1を占めるフィリピン人船員をはじめ、ノルウェー人の航海士や機関士、スウェーデン人のスチュワーデス、オーストリア人のシェフ、南欧や東欧からのウェイターなど、30カ国以上から集まった500人以上の外国人男女が働いていたのです。

また、プロダクション・ショーに出演するために、英語を話すダンサーや歌手も雇われていたのです。

クリスタル・ハーモニー(現:飛鳥Ⅱ)紹介

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作家、阿川泰弘氏のエッセイより

1990年の横浜からハワイのホノルルまでクリスタル・ハーモニーの処女航海に乗船した作家の阿川泰弘氏は、そのエッセイ「七十の教え」の中で当時の状況を以下の様に記載されてます。

太平洋戦争末期、日本郵船会長だった宮岡公男氏は、若い頃、少尉航海士として戦艦大和の沖縄特攻に随行して駆逐艦響で出撃したが、幸か不幸か浮遊機雷に遭遇して航行不能になり、呉港に帰港せざるを得なくなったことがある。

終戦直前の暑い夏の日、「響」が舞鶴の海軍病院船「氷川丸」から給油を受けた際、「響」の将校全員に船から夕食の招待状が届きました。

お湯が溢れるタイル張りのお風呂に入れられた後、食堂に入ると、白いテーブルクロスの上に洋食のフルコースが用意されていた。

食後には、シンガポール土産のブランデーと外国のタバコをご馳走になった。

あまりのありがたさに、宮岡氏は「これはどこの会社の船ですか」と聞いたら、

パーサーが「日本郵船です」と答えた。

第二次世界大戦が終戦し、舞鶴で見た「氷川丸」の白く優美な姿と、船内で受けた信じられないようなもてなしが脳裏に焼きついてい他のである。

宮岡氏が船内で受けたこの世のものとは思えないほどのもてなしは、彼の心に焼き付いて離れないのである。

ー中略ー

宮岡氏が社長の時、「クリスタル・ハーモニー」(現「飛鳥II」)の建造が始まったのです。

「七十の教え」作:阿川泰弘氏

日本郵船社長の苦渋の決断

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横浜港、山下埠頭に係留している「氷川丸」

戦後、「氷川丸」はシアトル航路に復帰したが、船員費用などの運航コストの高騰や大型ジェット機の導入により、旅客航路から完全に撤退したのです。

その後、日本郵船は、コンテナ船、ばら積み船、自動車運搬船、鉄鉱石・石炭運搬船、紙材料運搬船、原油タンカー、LPG(液化石油ガス)船、LNG(液化天然ガス)船などを運航する世界最大級の貨物専業海運会社として成長し、現在に至っています。

しかし、この間、米国市場を中心にレジャー産業としてのクルーズ事業が著しい伸びを見せていたのです。

「クルーズ船を保有しない日本郵船は高級呉服売り場のある三越のようだ」

と感じた社長の宮岡氏は、周囲の反対を押し切って1987年にクルーズ船運航事業への参入を決意したのです。

北米市場向けの「クリスタル・ハーモニー」と日本市場向けの「飛鳥」(総トン数28,856トン、乗客定員600人、1991年竣工)の建造を決意したのです。

「クリスタル・ハーモニー」の主な概要は以下の通りです。

クリスタル・ハーモニー(現:飛鳥Ⅱ)概要

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クリスタル・ハーモニー最高ランクの客室「クリスタル・ペントハウス」

建造: 三菱重工業株式会社 長崎造船所
受注時期 1988年6月
竣工:1990年7月
船籍:バハマ
総トン数 49,400トン
全長:241メートル
幅:29.6メートル(パナマックスサイズ)
主なエンジン ディーゼル発電機2基、補助発電機1基
出力:47,000馬力、32,800KW、2軸、電気推進式
航行速度:22ノット
最高速度:23ノット
乗客定員: 960人
乗組員数:545名

船長以下、チーフエンジニア、副船長、アシスタントチーフエンジニアのほとんどがノルウェー人でした。

それ以外の乗組員は30カ国以上の多国籍混成で、当社所属の日本人士官は、副船長、副機関長、一等航海士、機関長にそれぞれ限定されています。

ただし、進水当初は一時的に二等航海士、二等機関士などに日本人士官を増員されました。

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ハリウッドの新しい旅行スタイル

戦後の映画やテレビ番組は、アメリカ人の旅行に対する考え方を変えたと言われています。

 ハリウッドの映画やテレビという媒体を使ってスター志望の役を演じ、余暇に「旅行」というライフスタイルを導入したことは、アメリカ人の精神に強力な影響を与えました。ライフスタイル誌やテレビ番組、そして映画。

この新しいライフスタイルは、旅とファッションの経験によって相乗的に刺激されました。生活に新たな価値を生み出しました。茶室の会話の中に、未知の世界が広がっていた。彼らは無意識のうちに、これらの映画やテレビ番組の出来事やロマンスに自分自身を重ね合わせ、新しい旅行先 (目的地や観光名所) を夢見ていました。

 第二次世界大戦の結果、勝利したアメリカ人はヨーロッパに目を向けました。戦前、ハリウッドを中心とした映画産業は、当時のドル高の影響もあり、米国内にスタジオを建設するよりも海外ロケのほうが人件費も含めて安かったこともあり、ロンドンやイタリアのスタジオを利用した海外制作を進めていました。

ヴィジュアルなステージやテーマ、新しく洗練されたイタリアやフランスのファッションに憧れる世代が増えた。海外ロケにも積極的に取り組む傍ら。編集技術の進歩により、主にスタジオ フィルムやロケーション フィルムを合成する新しいフィルム技術は、一般のアメリカの視聴者には新鮮に見えました。

 このヨーロッパの雰囲気を作り出すために、彼女はヨーロッパのアクセントで英語を話します。女優のオードリー・ヘプバーンが主役を演じています。彼女はヨーロッパを舞台にした多くの新しいラブストーリーに出演し、ガーシュウィンやマンシーニなどのビッグバンドの舞台裏の音楽が彩りを添えました. 1953年、ヘプバーンはウィリアム・ワイラーの「ローマの休日」にローマの多くの遺跡を背景に登場し、アメリカ人に新しいライフスタイルだけでなく、文化と歴史の重要性を示しました.

後に映画に出演したエディ・アルバートは、彼らの祖先のヨーロッパへの憧れ、特に歴史的景観とアメリカとは異なる白人社会の発見において、プロット自体が新鮮だったと私に語った. 当時のアメリカ人の目をヨーロッパのファッションに開いたと言われています。彼はまた、この種の刺激策が彼らを戦後の消費経済に向かわせたと述べた。確かにオードリー・ヘップバーンは、後の映画「シャレード」などを通じて「ジバンシィ」ブームの火付け役となりました。

 同じ頃、デヴィッド・リーンとキャサリン・ヘプバーンが監督した他の映画、たとえばベニスを舞台にした「トラベルズ」(サマータイム: 1955年)は、アメリカ人女性をますますイタリアを含むヨーロッパに憧れさせた. イタリア語やフランス語など、常に「ラブストーリー」が関係していました。イタリアといえばヴィヴィアン・リーの『ストーン夫人のローマの春』(1961年)もありました。これもローマ観光の物語であり、そこで織りなすラブストーリーでした。

 当時のアメリカ人のヨーロッパへの特別な憧れが見られました。 1960 年代のフランス ブームで、ハリウッド映画はフランスなしではラブ ストーリーを語ることができませんでした. パリのアメリカ人、紳士は金髪がお好き、美しいサブリナ、雨の朝のパリの死、そして午後遅くの事件は多くのアメリカ人を興奮させました, 特に女性の方々。

 太平洋の向こうに目を向けると、その先に異国と思われていた異国情緒あふれるハワイ(1959年8月21日に全米50番目の州となった)や、「ローカル」探検テレビ番組「ハワイアン・アイ」(1959年)も大ヒット。

ハワイといえば、エルヴィス・プレスリー主演の映画「ブルー・ハワイ」(1961年)でも、西海岸を訪れる観光客が急増しました。『Love is a Many – Splendored Thing』(1955)は、朝鮮戦争がアジアに注目を集めていた時代の香港を舞台に、アメリカの演劇を通じて、西洋文化とは異なるものの新しい世界をアメリカの観客に印象づけたと言われています。映画。

 スタジオ映画からロケ映画への展開は、1960年代に映画化された「007」シリーズにも影響を与えた。冷戦のスパイ戦争は、アメリカ人の目を他国に開かせるのに十分だった。

ケネディ時代の東西間の緊張も助けになり、「ロシアより愛をこめて (1957)」や「ゴールドフィンガー (1964)」などの映画は、伝統的な西部劇とは異なるエキゾチックな文化やアクションの新しい領域を取り入れました。アメリカの開拓史を扱った映画。「異国」という設定が多くのファンを魅了した。

「007 二度死ぬ(1967)」の日本ロケは、アメリカの映画ファンに東京オリンピック後の日本の印象を「ライジングサン」として与えました。日本郵船の秋田丸も映画に出演しました。

 1980年代初頭、NBCTVで放映された「ショーグン」(日本の三船敏郎と島田陽子主演)は大ヒットし、アメリカの家族の再会で会話を刺激した. その後、1986年にはマイケル・キートン主演の「日米文化経済摩擦」をコメディ化した「ガンホー」がヒットし、多くのアメリカ人に日本人に対する偏見を植え付けたのです。

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クルーズがブレイクした人気TV番組

この時代の旅行業を盛り上げたハリウッド映画をピックアップすると、次のようなことがわかります。

1977 年 9 月 24 日土曜日の午後 10 時、米国の 3 つの主要ネットワークの 1 つである ABC テレビジョンは、「ラブ ボート」の初演を放映しました。

ジェラルディン・サンダースによる 1974 年の本に基づくと、プリンセス・クルーズ社の 20,000 トン、640 人の乗客を乗せたパシフィック プリンセス号に乗船するステビン船長とその乗組員と乗客に関する一連のロマンティック コメディ テレビ ドラマの始まりでした。

Charles Angel (1976-81) のアーロン・スペリングがプロデュース。シリーズが各クルーズの寄港地をツアーする際に、毎週 1 つのエピソードが放送されました。海外の寄港地とともに、クルーズは新しい旅行形態として視聴者に強い印象を与えたのです。テレビ放映の最初の 7 年間、この番組はその番組の中で最も人気のある番組であるエドサリバンショーと同じくらい人気がありました。

放送開始から7年、当時の人気番組であったエド・サリバン・ショーと並ぶ人気を維持し、乗客の参加が認められたため、常に早期完売を続けてきました。このプログラムの出現により、旅行はアメリカ人にとってよりアクセスしやすくなりました。


「ラブボート」シリーズは、当時の主要なクルーズ船を使って1986年春まで続きました。それはロケで撮影され続け、船上で2時間のスペシャルとして放映されました。ロマンスと船上での生活の楽しさが加わって、クルーズは完璧な休暇と見なされ、それ以来アメリカ人によって世代を超えて受け継がれてきた伝統でもある旅のスタイルなのです。

 再会のプロセスがテレビ中心だった時代に、この番組のインパクトは絶大でした。プリンセス・クルーズは、映画で主役のステイヴィング船長を演じたギャビン・マクラウドを、ブランドのスポークスマンとして宣伝し続けたのです。

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クルーズ旅行の本質

クルーズ旅行では、世界中で300隻以上のクルーズ船が就航しています。それぞれに個性が有り、その寄港地やサービスの多様性は非常に豊富な選択肢がある事に気がつくのです。クルーズ旅行とは一回の旅行で2つの異なった休暇を楽しむことが出来る旅なのです。

(アメリカでは「ワントリップ・ツーバケーション」と言われてます。)

船の寄港地として訪ねる世界の観光地や名所に加えて、船上での生活・体験が旅の思い出を作るのです。旅行の観光地も大事ですが、船上でのライフスタイル体験の充実度も客船やクルーズ会社を選ぶ際の重要な要素になるのです。クルーズ船社側は自社の経営方針に基づき1~2年先の就航海域やルートの企画します。 

そして各種調査を経て最終的なスケジュールを作成します。その配船先を企画する際、クルーズ船社はセグメントした客層の意向や予算などを見極めて船の就航する海域を決定。そして食事やエンターテイメント等の船上プロダクトにおける生活環境を決めるのです。

アメリカ人ゲストが中心のクルーズ船のクルーズライフは、彼らにとって心地よいアメリカ的な日常性のある環境よりに成立っているのです。日本人とアメリカ人がそれぞれ求めるクルーズに対する価値観や考え方が異なるのは国民性によるところが大きいからです。

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クリスタル・ハーモニー(現在:飛鳥Ⅱ)最高ランクの客室、「クリスタル・ペントハウス」

ヨーロッパ人クルーとアメリカ人乗船客によって成り立つアメリカ的環境このような傾向は何もアメリカ船だけの問題ではありません。ドイツ船は限りなくドイツのライフスタイルを取っていますし、フランス船には フランス的な食生活が満喫できる船に成っているのです。

船上での生活がクルーズ旅行の大きな楽しみであるが故に、どのような船を選ぶかがクルーズ旅行の満足度の決め手になるので、自分が最も自分に合った船を選ぶには、クルーズに詳しい旅行代理店のアドバイスを求める事をお勧めします。特に日本のクルーズ会社や旅行会社の多くは 未だに豪華客船と言う表現を使って販売していることが多いのです。 

これらのミスマッチを少なくするためには クルーズ旅行を計画される場合、クルーズ船社のパンフレットが決め手。

これは外観はどれも華やかで綺麗に出来ており超豪華とかの表現も氾濫し、クルーズ船社の特徴や区別・差異が良くわからないケースが多いので、旅行代理店のアドバイスやインターネット情報等を出来るだけ集め、積極的に活用しましょう。そして豪華とか非日常性等の言葉に惑わされず値段だけではなく、シビアに船上生活する視点からも比較検討をされることをお勧めします。 

「部屋は海に面しているか?」
「ベランダがあるか?」
「使われている家具の素材は何か ?」
「バスタブは有るか?」

クルーズによって異なっている事も知っておく必要があります。

中にはマニアックな客層向けの1泊400ドル(日本円に換算して約55,000円.2022年9月現在)前後の予算の探検船もあります。

各クルーズ船社は彼らの営業上絞り込んだ客層を対象としてクルーズのサービス海域や船上のプログラムを組んでいるケースが多いのです。

タヒチなど南太平洋を主としてサービス海域とするクルーズ客船では小型船のため、船内にはエレベーターのない船もあります。

これは新婚旅行層や若年層にマーケットを主たる対象としているために高齢者や歩行を苦にする船客には不向きかと思われます。しかしマリンスポーツのプログラム満載で若い活動的な客層には受けるに違いありません。

夫婦でシルバームーン休暇をカリブ海の船旅に求めたところ、子供が多く不愉快であったとか、子供家族連れの船旅を選んだためベビーシッターもおらず、なおかつ船上の子供用プログラムも少ないのです。結局、子供の面倒見だけで疲れたと言った不満も良く耳にします。これらは船旅の実情に対する情報不足からくるミスマッチに依ることが多い傾向です。

このリサーチを怠るか、積極的に調べるかによってその人の生涯における「クルーズ人生」を大きく左右することになります。

この記事の観点から今後のクルーズ旅行を参考にして頂くのではなく、富裕層に特化したインバウンド事業の観点でご覧いただければ幸いです。

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航空業界の規制緩和とクルーズ業界

戦後、軍用機メーカーの旅客機製造への転換や、ライフスタイルメディアによる欧州旅行の宣伝などにより、航空旅行への憧れが高まり、大西洋横断旅行が拡大しました。

「いつかは飛行機に乗って、ヨーロッパへ!」

時間感覚の変化と共に、大西洋航路は定期客船から航空機へとシフトし、パン・アメリカン航空などがサービスを売りに旅客を奪い合いました。

1969年のボーイング747の就航は、航空旅行の「大量輸送時代」をもたらし、航空会社間の競争を激化させました。カーター・レーガン政権の規制緩和は、航空機の大型化とサービス規制緩和を推進し、競争は更に激化。パン・アメリカン航空などの大手航空会社が吸収されるなど、業界再編を促しました。

航空会社は、新たな需要開拓のため、料金体系の多様化、マイレージ制度の導入、ハブ空港の活用など、顧客囲い込み策を強化。規制緩和はカリブ海クルーズの大衆化にも貢献し、クルーズ会社は航空会社との連携を深めました。

カリブ海クルーズでは、全米からの乗客をいかにホームポートに集めるかが重要となり、航空会社はクルーズ乗客を「グループ旅行客」として捉え、クルーズ会社との間で大量予約やチャーター便の手配など、人流を確保する協力体制が構築されました。

多くのクルーズ会社は、社内に航空券発券システムを設け、クルーズ料金に航空料金を組み込むなど、航空業界と連携したロジスティックを構築しました。

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