ラグジュアリークルーズの黄金律.1

ゲストは常にストーリーを求めている

時に1988年の春、クリスタル・クルーズ社はこれから造る新造船の建造と同時に、クルーズでのライフスタイルのコンセプトの構築に多くの時間が割かれたのです。

新しい客船の建造は、設計段階がある程度まとまれば、後は造船所の強い意思の元で、予定通りのプログラムで建造が可能であると見込まれるのです。

その新造船の就航まで通常 2 年。この間に新しいクルーズ運航会社将来の運命が決まると思われていたのです。

そこにはクルーズ客船事業を構成し、 客船本体のハードウェアと、船上におけるゲストのライフスタイル構築のソフトウェアの2つの側面からのシミュレーションが必要でした。

これから始めるクルーズ客船会社に乗船するクルーズ船客の滞在の舞台は、船本体のハード部分と、 その配船先や船上でのソフト部分で構成されているのです。

特に、クルーズ客船は、船主であり投資家であるNYKが中心として主導し、事業展開するですが、セールス活動に加え目的地・配船先や船上でのゲストの滞在環境・舞台環境の構築を担うのです。

その船の基本デザインにおいては、既に対象とされた当時のロイヤル・ バイキング社の船 など想定競合船社が存在していたので、その前例と具体的に相対的検証ができ、その対応は容易でした。

日本人が得意とするモノ作りの技術を積極的に取り入れることにより、費用対効果や利用者の利便性などを考慮しても、方向性の確認にそれほどの議論は無かったようです。

しかし、客船というハードの部分は、当初は珍しく感激を与える事が出来てもゲストも時間が経つにつれて飽きられやすいものでした。

客室をはじめとする船上における各種の公室や施設などは、技術革新を基にした利便性と目新しさなどにありがたみを感じても、1 週間も滞在していれば新鮮さも薄らぎ、その優越性に対する評価も忘れられやすいのです。

また、造船所で図面が書かれた段階で、その技術革新の提案は、他の会社が模倣し追従したりされやすいので、そのハードの持つ利便性や長所だけでは事業継続は限界があります。

クルーズ船客の嗜好やライフスタイルの変化などの進化の度合いによっては、折角の船上の居住環境は数年で陳腐化するのでしたが、これから始めるクルーズ客船事業は、ハードでは成り立たないものです。このプロ ジェクトの成否を決めるのが、船上における滞在環境あるソフトウェア構築が要だと確信したのです。 

これは実際に乗船するゲストのドラマであり、ストーリーを演出するための商品なのです。彼らの多くは、旅が持つプロセスを3D化し、ストーリーを演習することに期待しつつ数ヶ月、長ければ数年前からクルーズスケジュールを計画し、旅のプロセスを想像することから始まるのです。

そして船の舞台で主役を演じ、多くのストーリー に出会う旅が出来上がるのです。これからこのラグジュアリー・クルーズの業界で生きていく為には、 船上でゲストが楽しめる環境創りを指す滞在環境こそが、この事業の「命」であると理解することなるのです。

クルーズに魅せられたゲストは、旅の目的地のみならず、 船上での交流など旅のプロセスにより興味を示す人たちが中心です。船上でのライフスタイルを求めてくるゲストに対して、今まで経験した事のないような快適な環境と充実した船上で の日々を演出しなければならないのです。

この新しい客船事業は、ゲストに船上での体験を刻み、旅の思い出を売る仕事であり、アメリカのラグジュアリー・クルーズ業界に参入し成功 するためには、その旅の記憶を脳裏に刻む環境づくりとひるむことのない革新的な発想の導入が必須とされます。その実現のためにはホスピタリティ事業の心臓部である船上での生活体験のの仕掛け作りが最優先の課題です。クルーズ会社は旅の「メモリ ー・クリエイター」なのです。

既存の競合他社より上を行くためには、ゲストに強烈なインパクトと感動を与えるような船上では人との出会いで織り成す感動と、心に思い出を刻む仕掛けが求められるのです。

その演出にはクルーズ会社の個性が求められるのです。船というハードの上に実現されるサービスの中身と船上で生活する人たちが醸し出す生活及び交流環境が、既存のラグジュアリークルーズ客船会社を凌駕するような独自性に溢れた舞台装置であり、それがこの事業の成否を決めるのです。この差別化が実現できれば、当初の目標である新会社のブランドの価値が、認知されるに違いないと思っていたのです。

各種の調査を通して、船上での体験価値を演出する最重要なポイントは、ゲストのライフスタイル分析であり、この狙いを定めた客層の絞込んだ顧客が何を望むかなどニーズの先読みする能力が必要なのです。ゲストが出発の数年先も予見しながらそれを見極め、同時進行として、ゲストは何を嫌がるか等の、ネガ ティブな要因を出きるだけ取り除く商品企画にあると考えていたのです。

クルーズビジネスが浸透していない日本マーケットの中で、クルーズ船上のサービスプロダクト、滞在体験を演出する知識は皆無でした。各種の調査や専門家との交流を通して、この企画・構想の段階かある程度の共通認識は持っていてもその細部にまでその思いが至らなかったのです。この分野に関しては日本を代表する海運事業を行なっているNYKでさえ、それが生かされない未経験の分野がアメリカマーケットを対象とした客船事業だったのです。

クルーズ事業は貨物輸送と違い、目的地に早く到着することが至上と言うものではありません。物言わぬ貨物と異なり、ゲスト一人一人がそれぞれ持っている価値観を持っている以上、限られた空間にゲストを詰め込めば採算が上がるというものではないのです。

クルーズ客船には、効率や詰め込みなどは馴染まないのです。乗船中のゲストは広い生活空間を利用し、クルーズ船客がゆったりと自らのライフスタイ ルを維持しながら満足する演出が極めて重要なのです。

 採算向上のために、サービスの中身やそれを演出する備品の手抜きは、何度も乗船するリピーターにとっては、「前回と何かが違う」と言う懐疑心を生み、その結果として彼らは、次回のクルーズは何も言わずに離れて行き、他のクルーズ会社の船に移ってしまうのです。

その客離れの傾向が強まれば、この業界では敗者となり、高額商品であればあるほど、コストパフォーマンスが重要になります。

クリスタル・クルーズ社が船上でのホテル滞在環境と言うノウハウ、ソフトの構築と共に、実証するプロダクトを持ち合わせない創業当時、船上コンテンツに対する構想を就航するまでの2年余りの間、これから誘客活動を展開するアメリカマーケットの旅行代理店網などに対して、期待を持続させる仕掛けが必要があったのです。

旅行代理店網に提示するホテル・コンテンツがない、ゼロから出発する会社としてはマーケットに対して、期待と納得させ続けていったのです。

そこで新しいラグジュアリー・クルーズのコンセプトを作る人材を前面に出す戦略を考え出したのです。マーケットが興味を持っている、新会社の描く船上における体験価値を演出するソフト面の構想を彼らの人材を表に出して、誰がこの舞台創りの演出家であり、登場人物であるかを明確にすることでした。

新会社のコン サルタント・チームなど幹部に対するこの業界における信用度とこれから雇う船上で働く人材を前面に出して、船上のパーフォーマーである乗組員を全面的にアピールし、マーケットや販売網に訴え掛ける方策を考えたのです。

また、船上のプロダクトの構築の過程で、早い段階から将来のクルーズゲストのみならず、共存共栄の不可欠な関係にある旅行代理店など販売網を取り込むことが必要でした。

新造船の建造スケジュールやタイム・ラインに合わせ、彼らの知識や宣伝・プレスなどの積極的な参加を促し、マーケットが、新しいクルーズ客船運航会社の商品企画に積極的に参加する環境を作るという工程を描いていた。

これにより、新プロダクトに対する期待感を更に高め、クルーズゲストにとって快適な環境を、演出する努力を重ねるのです。

 ブランド構築の過程でも、船上の滞在環境構築の段階から人材の力を大いに活用することが必要であったのです。共存共栄をシステム化し、それを構築を考えたのです。

船上滞在環境のイメージとは、プロセスを重視するホスピタリティ事業では、常に人が中心でなければならないと思われます。

クリスタル・クルーズ社がこのラグジュアリークラスに特化し、アメリカにおけるクルーズ業界のオピニオンリーダーとして認められるためには、船上での滞在環境を構成する人に旅に参加する歓びを体験してもらうためには、船上でのプログラムが全てでした。

クルーズ旅行に参加した思い出は、ゲストの脳裏に刻まれ、永遠の旅の感動を創るに違いないと考えていたのです。

そのためには従来のラグジュアリークルーズ会社の真似は避けたいのです。船上でのコンテンツを構成する食事やエンターテイメントのみならず、個性に溢れる多国籍乗組員の採用も含め、彼らの持つ多様性や独自性を積極的に露出して、新会社が絞り込んでい るクルーズ客船マーケットに、常に 100%以上の満足を提供できるような仕掛けが必要であった。

今までの各種の事前調査が生かされる時が到来し、狙うべき客層から、彼らのライフスタイルに対する分析は出来ていたのです。

その上で、クルーズ船客が、クルーズ旅行に求めるものは、サービス、コミュニティ、エンターテイメントを含めた食後の環境でした。

新会社の主対象とするラグジュアリークルーズマーケットでは、上記の船内環境に大きな期待を持って乗船してくるのです。

その舞台演出のポイントは以下の通りです。

 (a) サービスをされる人たち同士の相性
船上の滞在環境は、クルーズゲストが主役と認識。その前提で乗組員との親密な環境を演出し、ファミリー的雰囲気を創り出すのです。サービスは、クルーズ客船運航会社の仕掛けである程度対応できるにしても、コミュニティ面では、人間性の交流を求めているのです。

新しい仲間との交遊の楽しみや人情の発見や歓楽欲を満たすような食後のロマンチックな環境が重要なのです。これを円滑にするためには、主役であるゲストを支える多様な文化的歴史的な背景を持った多国籍乗組員や他の国から来たクルーズ船客の心地よいハーモニーが日本的な「おもてなし」の領域を越えて、 国民性の違いを通して、驚きと感心そして新しい発見がこの事業に活力を与えると察知したのです。

(b)サービスを提供する人と受ける人との相性 
このようなクルーズ客層の中から、客層のライフスタイルに合わせて、最も快適な環境を創り出す。そのためには客層のライフスタイルを理解 し、彼らが日常どのような生活をしているのかを知り、どのようなものに興味を持っているかなどを知ることです。

サービスを提供する側としても、例えば食事のテーブル・ホストとしての役割は、食事の質やサービスに加えて、その場で2時間程度の時間を、彼らが興味を持っているアメリカのTV番組のワイドショーやオペラなどの話題にもついていけて、乗船客ゲストの常識を基にした社会知識と会話力など船内におけるコミュニケーション能力が必要になるのです。サービスを提供する立場としては、船上での社交を通して、彼らが 快適と思う滞在体験の本質を常に見極める必要があります。

(c)多国籍船員を中心としたサービスを提供する人の適性が鍵。
ラグジュア リー・クルーズては長期滞在が基本で、ゲストにとって、滞在中の食事をはじめ、人の出会いや多彩なエンターテイメントなど感動と感性を覚醒する滞在環境を演出する必要があるのです。

多くの選択肢の中なら、彼らが気の向くまま選べるだけの豊富な選択肢があり、ゲストの知的好奇心を満たす商品企画力が求められるのです。既存のラグジュアリー・クルーズ客船社との差別化のために、新しい試みとして、競合他社のプロダクトのみならず陸上のリゾート・ホテルなどのサービスやそのコンセプトも積極的に導入。これは、多彩な食事の面でも考慮されねばならないものなのです。

1:クルーズ旅行の主役であるゲストのライフスタイルを理解する

長期滞在しながら船上生活を楽しむ多くのゲストにとって、そのライフ スタイルを基準にして、快適な人間関係が創られる事が望ましいのです。

確かにお土産などを買うのも旅の楽しみの一つと考えられますが、新会社の想定していたアメリカの客層にとって、究極の旅とは旅のプロセスを大事にして体験を心に刻むことです。

特にご夫婦で参加される場合、共に歩んだ人生の足跡を同期化することで喜びや失敗も共有できるものです。

ラグジュアリークルーズのゲストは、船上での滞在生活の中に人生の物語を求めており、その物語の中に旅の思い出を心に刻みたいと思っているのです。

記憶に人生の価値や感動を刻む仕掛けが、 至上の要請であると考えてます。その実現のためには、ゲストの船上におけるライフスタイルに最大限に 配慮し、乗客の世界を知らずして、心配りはできないものです。

クルーズ旅行の主人公としてゲストが存在するという舞台演出することが必要なのです。

彼らが持つライフスタイルや生活・文化と船上で提供する舞台装置の融合する「仕掛け」が 成功の可否が決まるのです。

ゲストとクルーが、密接に交流して創られる環境。

サービス対象 が人である以上、船上での人間関係の多くは人的要因で左右される傾向が強いものです。 

相性がよければ訴求力もあり、永続性が高いのです。しかし同業他社よりも優位に立つためには、この人的要因にフォーカスし、新規参入のクルーズ会社が客層を絞り込んだアメリカ人ゲストのライフスタイルを理解し、客船で働く乗組員との相性との結びつきを強化することでした。

クルーズゲストとの関係においては、人間関係を基本としたサービスがホスピタリティサービスの基本と言われてます。それは、双方の信頼関係や相性で成り立つものです。

クルーズのゲストは、自らの支払うクルーズ料金に対して、クルーズ会社との相性と相応のサービスの提供に期待を込めているのです。

コミュニティについてみると、船上における人と人の織り成す人的な要因とは相性、しかもお互いのライフスタイルが理解できる客層が、滞在経験価値の中核を成すものです。この事業を長く続けるためには、ソーシャルの分野で他社と大きな違いや特徴を創造したのです。

この充実度が、将来の戦略の核となる、他社との差別化で決定的な差になると考えた。船上におけるコンテンツのみならず、営業の面における販売網における戦略なとも連動させる必要があったので、下記のようなシナリオを描いてみたのです。

ゲストが求める価値観と出会いを創る環境

乗船客は、常に「ストーリー」に価値を求めているのです。ラグジュアリークルーズ業界のターゲットとする客層はモノの所有よりも、 船上における人との出会いや滞在中の体験などを心に刻むことにより価値や感動を求める人たちなのです。船上での「人との出会い」の出会いを、より感動深いものと感じてもらう仕組み作りです。 その場を作るためには、食事の後の充実したロマンスやエンターテイメント、そして食後酒も必要になります。

クルーズ旅行のリピーターは、極めて主観的な旅行経験や体験、新しい発見や 感動”に加え、 自らがどのような扱いを受けたかなどで、クルーズ旅行の価値を考える傾向があります。例えば、あの従業員の態度が悪いとか、テーブルに着いてから食事の時間までが長いか短いか。隣の旅行者の食事の量は自分のものと比べどうか。ウエイターのサービスは自分に対して差別的でないかとか、そ れぞれの能力とは別の所で評価されうる事もあるのです。

どれもかなり主観的旅行経験であるが、彼らはこのような主観で旅行自体の満足度を評価するのです。ゲストの旅のストーリーの充足度に価値を求めているのです。

この事業は、主としてアメリカ人クルーズ船客を対象とした彼らの「文化」を取り込む事業なので、まず何としてもアメリカ人マーケットから受け入れられる仕掛けが必要でした。これを理解していれば、クルーとの相性の織り成す親密さが創れるのです。自分の身の回りでサービスをする乗組員や毎日食事の際に、テープル・ホストとして 2 時間余も会話をこなす幹部社員の役割は極めて重要である。100%のサービスでゲストに 受け入れられて、120%で初めて高い評価を得る関係でもある。

ゲストとの相性と忠誠心

クルーズ旅行は、船上での「体験価値」が重要な要素となっており、当然クルーズ会社としては、ゲストが主役の感動のドラマをどのように演出するかストーリーを構築しなくてはならないのです。その多くの分野では、主役であるゲストと脇役となる多国籍乗組員との相性で決まると言っても過言ではありません。

ゲストの期待が高ければ高いほどやりがいは大きいのです。この相性の濃さこそが、 ラグジュアリー・プロダクトの世界では最重要である、とアメリカのビジネスコンサルタントが各ラグジュアリークルーズ客船会社から指摘を受けているようです。

ここで他社と差別化し、同業他社と異なるケミストリーを構築する必要性を悟っていた。そして他の既存ラグジュアリ ー・クルーズ客船会社のプロダクトとの差異化も図りつつも、ゲストと乗組員の間での 感情面でのつながりを強化するのです。

ここの評価が定着すれば、新会社の顧客層に新会社のプランドが 認知され、会社に対する忠誠心も強化されるに違いないとの判断されるのです。

一方、ゲストが船上において人間関係の織りなす相性がうまくいっているときは良いのですが、些細なことでも思い出の心に傷付き、非常に厄介な問題に発展していく場合もあり得るマイナスの要素も潜んでいることも重要であった。プラスだけでなく、そのマイナスの部分に無関心であると、折角の乗船客を顧客離れになりかねないのです。

ラグジュアリー・クルーズ旅行では、年に数回も乗船するような多くのリピーターで支えられている旅行商品なのです。このリビーターの多さは、ゲストの満足度や感動度の高さと比例しているのです。

統計的にこの理由を掘り下げていくと、船上での生活体験とそこで織り成すゲストとクルーとの相性にたどり着くのです。従業員にとって、 クルーズ客船での勤務は、職業と居住が一緒となる逃げ場がない場所です。また年に二度 三度と同じクルーズ客船に乗ると前回と同じ顔ぶれの乗組員が、「お帰りなさい」と 言いながら出迎え、家族の一員のように、親しみを持って旅行の手助けをしてくれるところもクル ーズ客船による旅行の最大の特徴のひとつです。

 クルーとリピーターとの多くの交流が、クルーズ会社の「一族」としての強い絆になるのです。クルーズ客船の乗組員は、同じ船の家族の一員であると同時に、旅行をより快適にするための添乗員の役割も果たしてい ると言えます。ゲストとクルーとの出会いが新しい滞在価値を呼び覚ますのです。

多国籍クルーとゲストが同じ釜の飯を食う

旅行代理店等の販売網との調査分析を通して、主要ゲストのライフスタイルを前面に出し、乗組員の交流や接触の機会を高め、深める仕掛けが必要であるとの判断をしたのです。

ホスピタリティ産業を構成する要素の中で最も重要なものは、人との相性により構成される想像力とそれを行動に移す実行力なのです。

そこには、クルーズ客船運航会社の種々のノウハウが凝集さ れるわけで、仕掛けで模倣は出来ても、「心」まではそう簡単には真似されません。新会社のブラン ド構築とそれを定着させるその「心」の仕掛けとブランドの持つ価値を最大限に高める環境作りが極めて重要でした。この舞台づくりには、それを構成するサービスする側の人材の発掘と採用、多国籍人材の国民性や多様性を充分発揮させ、クルーズ船客との相性を醸し出し、この会社独特のゲストとクルーのケミストリーを作り出すことを最優先にしたのです。幸い、クリスタル・クルーズ社では便宜置籍の導入を決めていたので今後造成する商品企画の成功の可否を握る大きな柱となったのです。

新規クルーズ客船事業は、今まで経験のないような「滞在型のリゾート」のコンセプトを基本としたクルーズ客船運航会社を創造すると謳っているのです。この実現のために、サービスコンセプトの基本に、有能な多国籍乗組員の採用と運用でゲストを満足させる船上での体験環境を考え出したのです。

サービスに関しては、ゲストにとってコストパフォーマンスが評価しやすい環境、 ゲストのニーズに合わせたサービスの提供により満足度や感動を高め、その結果リピーター率の向上と彼らを通しての「ロコミ」客などの新規客の誘客層の拡大など、将来の万全の態勢に備えていたのです。

その長期滞在の場を提供するクルーズ客船事業を舞台裏で支えるのは、多国籍 乗組員が持つその多様性と感受性の豊かな人材力に賭けることにしたのです。感動は期せぬ出 来事などが生み出すものです。そして失敗が成功へのヒントになるのは、この予期せぬ出来事のお陰である。

考え方も多様であればその対応も異なるものです。日本でよく話題になるマニュアルでの格式的な対応は、多くは問題の処理に目が行きがちで、多様な人種や文化的背景で育ってきたアメリカ人ゲストの相手により異論を生みやすい。感動には現場での問題の処理よりも解決が重視されなければならないのです。陸上のホテルの労働環境と異なり、クルーズゲストと同じ生活環境を共有する船上では、ホテル部門の乗組員の個性や国民性をゲストに露出することによって事業が成り立っています。

船上における滞在環境も含めて、従業員の満足度の高い労働環境と忠誠心があればリピーターの多くは、彼らの仲間になり満足度も刺激し彼らも ファミリーの一員になるのです。ファミリーになれば、阿吽の呼吸が機能するのです。船上の従業員は、新会社のクルーズ商品の船上における旅行商品の伝道者であり、セールスマンでもあります。日本で言うなら「同じ釜の飯を食う」という表現が適切かも知れません。

サービスを提供する多国籍クルーによるダイバーシティ

アメリカの旅行経験の豊富なクルーズゲストに、今まで経験のないような充実した船上での滞在経験を提供するには、世界の人的マーケットから、最善の適材適所の人材を調達する事が不可欠でした。

適材適所の多国籍乗組員の採用が可能であれば、最適な乗組員と乗船客の比率を構築でき、新事業に成功の鍵となります。そしてクルーズ業界で採用されている便宜置籍船としての有利さを十分に発揮する必要があるのです。

便宜置籍船としての最大のメリットを活用することで多様な人材のリクルートを容易にすると考えていたので、船籍はバハマである事が重要でした。

良質なサービスの提供を、多国籍乗組員の採用により、その国民性を背景とした個性に溢れたダイバーシティを最大限に発揮できるサービス環境と主役であるゲストに充分に心配りが出来るような船上でのホテル組織を構築する際、アメリカ人ゲストを念頭に、例えばサービス部門で言うと、メインダイニングでのクルーの配置一つとっても最も適した国民性は何処か、クルーズ客船の台所であるギャレーのマネージメントは、どこの出身者に任せるか。部屋周りのスチュワーデスなどはなぜ北欧系の女性が好まれるのかなどを、精査の上、乗組員の国民性などを中心とした混成チームを考えた経緯があったのです。

クルーズ事業において、船上で働くサービスを提供する人は、彼らの生活やコミュニケーション能力はもとより、 サービスをする側の感性や行動に対する予見力が重要になります。 エンターテイメントの世界で言えば、映画の俳優のような、切り貼りが出来、一方通行の役では務まらない。彼らが職業と住居を共にするので、ゲストの反応を冷静に読み取り、その場で柔軟に対応しながら、臨機応変さに裏づけされた、船上生活と言う舞台周りを創り出す「パフォーミング・アーティスト」でなければならないのでした。

ラグジュアリークルーズ船上の生活環境は、例えていうとコンサートでアーティストが、観衆を前にしながら、感謝の心とともに、最高のパフォ ーマンスを見せる舞台と同じ考えです。そこでクルーズ会社としては、常に優秀な乗組員を確保する事が、サービスの向上のためには必須の要件になるのです。

ゲストに対する計らいのみならず、同時進行してクルーが毎日快適に生活できる環境作りも重要です。自分が運航会社からリスペクトされたていると認識している従業員は、多数のゲストにより多くの感動を与える事を知っていたのです。

このようにクリスタル・クルーズ社は船上サービスの「命」である優秀な人材確保は、ゲストにとっても最善の配置を望まれ、国籍的な適材適所主義とし、世界の人材マーケットから採用したのです。多国籍船員の背景にある国民性の特性を最大限に生かすのです。

当時は欧州系クルーが多く存在し、国籍のそれぞれの国民性の持つ個性や特性を残しつつ、クリスタル・クルーズのサービスミッションを均一化することをを目指す戦略を描いたのです。(これは後の「クリスタル・ベーシック」というサービスマニュアルとして一貫されました。)

多国籍混成の人材を確保する

船上でのサービスの基本をなすスタッフの構成に関しては、適材適所を旨として 白紙に絵を描く作業から始まりました。

旅行代理店、他のラグジュアリー・クルーズ客船 に乗るクルーズ船客等との接触で新会社にとっての相性を考えたのです。多国籍乗組員間の相性のみならず、ゲストとの相性、すなわちマーケッ トに聞くという基本姿勢を貫いたのです。

船上ホテルにおける、サービス・システムに関しては、アメリカ人ゲストが高く評価する欧州スタイル採用を決めていたのです。具体的にはノルウェーシステムとオーストリアシステムの良いところを併用し、後に「クリスタル・スタンダード」として新会社を構築することになったのです。

適材適所の人材を世界各地から集めるといっても、闇雲に手当たり次第とはならないのです。クルーの国民性や生活環境、個性、経験などが複雑に絡み合って、アメリカ人ゲストに、快適なケミストリーを発信する必要があるのです。 クルーズ船の乗組員の構成は、アメリカマーケットの意見を聞くこととしたのです。

世界でも最上級を狙う以上、ヘッドハントも含めそれを実現できる人材を確保することを基本方針としてこれから採用戦略を練る必要もあったのです。

アメリカ人が見る国民性やイメージを一例にすると以下の通りです。

・イタリア人は人との交流を得意とする
・ドイツ人 = 几帳面さが売りもの
・ノルウェー = 清潔感あふれている

以上の点を十分に配慮して決定したのです。

クルーズプロジェクトが、具体化する過程で、多くのクルーズ客船の乗組員構成などに関して、現状とそれに対するクルーズ船客側・旅行代理店などの集客組織側の意見を集めていたが、 それらのデータなどを元に、基本的なクルーミックス(従業員構成)の基本構成を描くこととなった。

本船運航部門
マーケットを席巻している仮想競争船社としての ロイヤル・バイ キング社や NAC 社が念頭に有り、北欧系の船長を含め、日本郵船の優秀な乗組員も乗せ、幹部船員 については、ノルウェー船長他、ノルウェー・日本人の混乗とすることとしたのです。つまりノルウェー人クルーは接待要員としての船長。運航の実務はNYKの副船長が握るとの発想で始まったのです。

船上におけるホテル部門については、ヨーロッパ系ホテル従業員の起用を次のように考えたのです。

・ ホテル、ダイニング従業員:ヨーロッパ系
・ スチュワーデス:北欧
・ ダイニングのギャレー:オーストリア人シェフ 
・エンターテイメント部門トップ:上品な英語国出身者

このようにクルーの国民性を考慮して配属を決定していたのです。

ゲストとクルーの乗船比率

長期滞在の場を提供するクルーズ客船事業は,滞在型のリゾートのコンセプト が基本になっているのです。クルーズ船客層を絞り込んだライフスタイルを基準にしたゲストに合わせて最も快適な環境をづくりを考えると、今までの調査などで、適材適所の国民性以外に、サービスする乗組員の人数の試算も重要になります。これは、サービスに加え、コストや乗組員の居住空間にも影響を与えることになるのです。

主役であるクルーズ船客に充分に心配りが出来るような、船上でのホテル組織とクルーズ船客の比率も重要な指標になる。その船上における、クルーズ船客と乗組員比率を、2対1 と、ラグジュアリー・クルーズの中では最大級のレベルを目指すこととしたのです。これは新造船の従業員は乗組員の部屋の数にも影響を与えたのです。

 日常的滞在環境
クルーズ旅行において、常に主役は乗船客です。クルーズ客船は、船長や乗組員だけのものではないのです。クルーズ客船は、寄港地での観光以外に、船上でのライフスタイルの体験環境の舞台裏の演出が大事です。

その舞台裏とは、主役であるゲストの客層の共通の文化的・ 社会的背景、すなわちライフスタイルが、常に反映されたものでなければならない。クルーズのような滞在型の旅行には非日常的環境は無理があり、長続きしないし、堅苦しく 飽きかやすいのです。気楽さがより重要です。

クルーズ客船会社がセグメントしている客層で、船上での多数を占めるクルーズ船客の国籍や文化的共通性をベ ースにしたものになる。したがって、旅行商品をつくる立場のクルーズ会社としては、ターゲットとなる客層のライフスタイルを充分理解した上で、構想を練る必要があったのです。

ラグジュアリー・クルーズ・マーケットに於けるクルーズ旅行商品の革新には、クルーズ客船会社に、ゲストを合わせるのではなく、運航会社がライフスタイルの時代の先取りを提案する先見力が求められるのです。

アメリカ人ゲストを客層とするクルーズ会社から見ると、彼らにとっては、船上での生活は、英語が通じて、食事もエンターテイメントもアメリカでの生活そのものであり、まさに日常の状況を海上と海外にまで延長したに過ぎないのです。

クルーズ旅行を通じてアメリカでの日常生活をそのまま外国に延長し、その上で、新しい国々・異国を訪ね、深夜までの食事やエンターティメントを楽しんでもその間船は移動し、翌朝は新しい観光地に着いていることなどが、クルーズ旅行の醍醐味であると考えます。クルーズ会社の役割は、アメリカにおける日常性を前提に舞台回りを設営し、寄港地に着いたら海外、船に戻ればアメリカ。これの舞台演出を創造していくのです。

アメリカ人旅行者を対象としたクルーズ客船が、アメリカ的雰囲気に溢れているのは、これらの要素を運航会社が理解した上で舞台づくりを仕掛けているからです。

そして滞在型休暇の宿命として、船上で大多数を占めるゲストの国民性や文化性が前面に出た旅行商品であるとの現実を無視し、クルーズ客船運航会社が自らの主観的経営哲学だけで事業を始めてもなかなかうまく行かない場合が多いのです。

ゲストは、1 人 1 人が異なった価値観に基づき旅行を楽しんでいるが、クルーズ客船会社としては出来るだけ最大公約数的基準を設定し、潜在的船客需要が何処にあるのか十分事前に調査する必要があるのです。

寄港地・行き先・船上での乗組員の構成やサービス方法、食事、船内イベントなどを考えながら、船自体の建て構え・雰囲気を備えた舞台づくりを心掛けているのです。クルーズはこのような多数を占める国籍の旅行者・クルーズ船客を主役としたショ ービジネスであると言っても過言ではありません。まさに洋上に浮かぶラスベガスと言った方が適切かも知れません。

乗船客と乗組員との相性が全て

クルーズ客船は、クルーズ旅行者のライフスタイルの延長線上に存在することは前記しました。しかし、各社がターゲットとするゲストの客層によって滞在環境は全く異なってくるのです。

陸上のゴルフクラブや社交クラブの場合、その入会金として入会料を徴収することで会員などのセレクションが可能化tと思われます。しかしクルーズ客船 はそのような「会員制」方法は取れないのです。船上のライフスタイルが例えゴルフのカントリークラブのような雰囲気であっても、それは閉ざされた会員だけのものではない。すべてがアメリカの消費者マーケッ トに対してオープンなので以下の通りの検証を行なったのです。

上記の様なライフスタイルを持ち、同じような価値観を持つクルーズゲストにとっては、船客同士の居心地がよく、お互いの社交や 交流も活発になる。これが、クルーズ客船社の滞在環境に良い意味の刺激を与えるのです。

プリンセス・クルーズ社の「アイランド・プリンセス号」を舞台とし、その船上での出来事をテレビドラマ化した「ラブ・ ボート」は、船上で起こる人と人の出会いのをロマンチックに描きアメリカで長期間の人気番組でした。

このようなテレビ番組を通じて、主役であるゲストにとって心地よい交流はまさにヒューマン・ ビジネスと位置づける事ができるのです。

全く異なった価値観を持った乗船客が、異なったコンセプトをもとにでき上がったクルーズ客船に乗ると不快な事も多く、滞在型の休暇を台無しにしてしまいがちです。どのクルーズ客船に乗船するかは、その旅行の楽しみ方にも影響を与えるのです。

理由は、一旦船に乗ってしまえば、船の雰囲気が違うといって、下船するわけにはいかないし、予定の変更も効かないのです。それゆえ、このゲストとクルーズ客船会社のミスマッチを避けなければならないのです。

ラグジュアリー・クルーズ客船会社としては、販売網の中核をなす旅行代理店などに、自らセグメントしたゲストは、クルーズに対してどのようなイメージを抱いているのか、そして滞在中の生活環境は、他のラグジュアリークルーズ客船会社に比べて何が違うのかなど、営業面や運航面における特徴を前面に出し、試乗など乗船活動を活発化させ、その違いを具体的に知って貰う必要があるのです。

クルーズ旅行経験者都旅行代理店等を味方につけ、彼らの顧客と新会社のクル ーズ旅行商品との相性を知ってもらい、適切なシステムを構築するのです。

こうしてラグジュアリークルーズの黄金律とはゲストとクルーが織りなす相性が命という結論に至ったのです。

————————————————————————————————

旅行手配の旅行会社様からのご依頼はこちら

旅行手配以外の官公庁及び法人様お問合せ: info@celebrityworld.jp

※個人の方からのお問合せはお答え出来かねます。

————————————————————————————————-

ラグジュアリークルーズの世界基準

アメリカクルーズマーケット実体

アメリカにおけるクルーズマーケットをリサーチしている段階で、クルーズを計画する乗船客は、パンフレットを入手した瞬間から、自分を主演者にしたドラマが始まると見えたのです。

言い換えれば、乗船客の多くは、自分の「ストーリー」をクルーズを通じて買うのです。未経験者の多くは、旅行代理店の店頭などでクルーズのパンフレットを手にした瞬間から、自分をパンフレットの目的地や船上の体験の中 に思いを馳せるのです。

例えば、ダンスをしている場面や船上でのレセプション、社交の場面が有れば、そこに、自分を置いて、自分のドレスをあれこれ思いを巡らせるのです。

特にラグジュアリークラスのクルー ズに乗る人は、予約をしてから1年から半年も、その料金やサービスの中身の吟味に時間をかけ、自分流の旅の姿を脳裏に描きながら、楽しみを待ち続けることが多いのです。それだけワクワク感に溢れた旅のスタイルでもあります。

多くの旅は、目的地に行くことだけに目が入ってしまいます。しかし人生を語るときに、旅が話題になることが多いように訪問地以外に、そこに至るまでの日々を過ごすプロセスにより多くの時間を割き楽しむように思えるのです。乗り物での移動時間は限られた空間が多く、行動範囲も制限されるので、飛行機やバスのなかで寝て時間を過ごす旅では、この 「過程」を楽しむ機会は比較的少ないものです。

しかし、クルーズ旅行は移動手段そのものも含め、プロセスの主役である以上、食事、船内の散策や就寝前のナイト・キャップなど、多くの人との接点が満載されており、好奇心があれば、多くの人と交流を生む事もできれば、孤独の時間を楽しみたければ、他人に邪魔されること無く、自室で過ごす事も可能です。

船は輸送手段を兼ねており、次の目的地に運んでもくれるので、時間対効果で見ると、 最も充実度の高い旅行のカタチなのである。

日本語で「一石二鳥」と言う言葉があります。「一つの行為で二つの成果を得ること」と意味しますが、 クルーズ旅行はまさに「一石二鳥」に合致した旅行の形態なのです。すなわち1つの旅の形で、2 つの旅行が楽しめることを示している。 その 2つの旅行とは、旅の目的でもあり好奇心や興味を刺激する旅行先と、船上における出会いなど、船上での出会い・出来事・滞在型リゾート体験など旅のプロセスを楽しむ滞在体験への期待できる 2 つの休暇、これらを同時に楽しめることを示しているのです。好奇心と期待を満たさなければならぬ旅のスタイルなのです。

しかも、クルーズ客船はゲストが、船上で食事を楽しみ、寝ている間に、次の新しい訪問地まで運んでくれる、時間的にも体力的にも楽なのです。空港での待ち時間、 ホテルでのチェックインやレストランの予約など、陸上の旅行のロスタイムも無い、時間に追われることのないストレスフリーな旅です。

これらのことを考えると、ラグジュアリー・クルーズでは、

1.旅の目的地
2.旅のプロセスを楽しむ船上体験

以上2つで構成されています。

これらをどのように構成するかによって、評価や格付けが決まるのです。

アメリカでのクルーズの概念とは、船上での体験価値において、アメリカ人ゲストが、船上においてあたかもアメリカのリゾート都市に滞在している生活環境、レストランのメニューも英語、会話も英語。

彼らの自分の生活スタイルをそのまま持ち込んだ日常生活であり、海外の港を巡り、異国での経験や船上で仲間や友人を作り、人との出会い・交流を旅のアルバムや人生の足跡として刻むということです。

アメリカのクルーズ客船は、アメリカ人乗船客をメインとして、 母国アメリカを離れて、異国での発見や体験を経験する事が重要なのです。都会の喧騒から離れた船で寄港地を巡りながら、陸上での異国の文化や言葉を体験し、船に戻ればアメリカの自宅のように落ち着いた雰囲気に包まれるのです。

そのようなアメリカ的要素のある環境に、自らが置かれた舞台環境こそが、至福の歓びなのです。 その実現のためには、 船内施設やエンターテイメントなどが、重要な長期滞在の価値を演出するのです。

ラグジュアリー・クルーズの仕掛けを全体のタイム・ラインで見ると、
1. 陸上での予約までのシステム
2.予約後のゲストへの各種情報提供
3.クルーズ旅行実施

※営業・セールス・宣伝・予約・クルーズ寄港地企画は、ラグジュアリークラスのクルーズは約2年ほど前からプランニングされます。

ラグジュアリー・クルーズは、 他のクルーズ旅行と異なり、上記の1.から2の期間が比較的長いのです。それは、長期滞在型休暇でもあり、乗船客が、自分のライフスタイルに合ったクルーズ客船社を選びたいと思い、それゆえ、 選択に時間を掛けるのです。

世界一周クルーズのような 100 日間もクルーズ客船で旅行するような長期間で、高額商品であればあるほど慎重になり、最終的な決断に時間を要する傾向が高いのです。

このような比較的長いリードタイムの中で、予約したゲストは、クルーズ客船会社の情報を収集し、会社としては、彼らの気分を高揚させてそれを持続させる仕掛けが必要です。その上で、上記3のクルーズ旅行を実行するのです。

乗船客にとっては、船上での滞在体験が、クルーズ行程の晴れ舞台なのです。船自体の居住性や船上でのサービスを中心とした滞在体験環境の充足度や感動が、この事業の根底に流れるリピータービジネスを支えると言う事になるのです。

様々な視点から見た「ラグジュアリー・クルーズ客船」の定義


1987年末、日本郵船はアメリカでのマーケットを主とするクルーズ客船事業は、新造船、かつラグジュアリー・マーケットを対象と決定。

同社は客船事業準備室を開設。ラグジュアリー・クルーズ客船の本質について多方面からの分析をすることになったのです。クルーズ客船のパンフレットや宣伝文句を目にすると、そのどれもが「豪華客船」 あるいは「ラグジュアリー」「非日常の世界」等の表現を乱発して、旅行を計画している人達の興味を引こうとしているのです。

では、この「豪華客船」とはどのような基準で、定義付けられているのでしょうか?

勿論、クル ーズ客船の基準は、

(1) 乗船客から見た基準 
(2) 旅行会社から見た基準 
(3) クルーズ客船評論家が見た基準
(4) クルーズ運航会社から見た基準

でそれぞれ、力点の置き方が異なるケー スも多いのです。

基準軸の取り方によって、評価基準は左右されるが、クルーズの世界で、旅行代理店や専門家が 客船のランクを決める際に、一般的に参考するのは、下記のような視点かと思われます。

1.船の利便性の良し悪し。
例えば、インサイドの客室か否か、あるいは 最近では、ベランダ付きか無しかなどの相対的比較をするのです。

2.サービスの面での「ソフト」
サービスのスタ イルや食器などのサービス備品と、それを実行する乗組員のサービス・システムです。これに加え、 クルーズ船客同士やクルーズ船客と乗組員が織り成す交流などが中心となる滞在環境の満足度が重要になります。

例えば船の大きさと乗客の比率と、乗組員と船客の比率が非常に大きな基準要素となるのです。

旅行ガイドなどの「ラグジュアリー・クルーズ客船」の評価基準は、その評論家自体の乗船経験、 その中でもかなり主観的な好き嫌いが入り込んで評価されている傾向が強いものです。

日本でも評価の高いベルリッツの出版しているダグラス・ワード氏の評価本は1965 年以来、今日まで、船上で生活してきたダグラス・ワード氏個人の客船・クルーズ客船評価実績の各年ベースの積み上げであり、 評価基準に出来るだけ、自分の主観的な判断を排除するように、検証細目を決め、それを、合算する方法を取っているため、より専門的な「ラグジュアリー度合い」の 評価システムといえるのです。

自分の乗船経験を旅行商品として、利用者の側面から格付けをすることを考え、ニューヨークのビルの一角にICPA (International Cruise Passengers Assn) を設立したのです。

ダグラス・ワード氏は、当時は、自らの出版で「クルーズ・ダイジェストリー ポート」を発行。世界のクルーズ客船の評価査定をしていた。下記のようなシステムを作り出し、 その後Berlitz社と提携し、クルー ズハンドブックを発行していた。 彼は評価の基準点として下記の通り挙げています。

1.船自体の機能面や仕上がりサービス評価 (500 ポイント)
 2.部屋周り(200 ポイント)
3.食事 (400ポイント)
4.エンターテイメント (100ポイント)
5.航行スケジュールや乗船体験(400 ポイント)
合計 1,600 ポイント


上記の点を考慮して対象船全てで点数化して最終的な数値を決定しているのです。

このレベルに応じて 「ファイブスター」 とか「ファイブスター・プラス」など言った表現が使われ、ラグジュ アリー度のグループ化がなされています。

彼は、これらの計数化された評価に加え、主に、下記の側面からの分析も加え、 総合評価を下すのです。 その際にはコストパフォーマンスの高さも念頭に入っているのです。

(1) ハード:
船自体の評価・構造や船体全般の評価・清潔度・利便性・宿泊施設としての快適度・家具機器・デコレーション・装飾・フイットネス施設・緊急時の避難経路。

(2) ソフト:
スタッフ・サービスの仕方、雰囲気・メニュー、フードサービスの中身やメニューの多彩さ・エンターティンメントの中身やプ ログアム・乗組員訓練・コミュニケーション力と英語・旅程および寄港地観光の企画や快適度などにも厳しい目を向けます。

旅行ガイドなどのラグジュアリー・クルーズ客船の評価基準は、その評論家自体の乗船経験、その中でも、かなり主観が入り込んで評価されている傾向が強いのです。

クルーズゲストから見た基準

クルーズ船客が、他のクルーズ客船や船社の「ラグジュアリー」度を、客観的に比較したものは少ないが、アメリカにおいては、数百万部も発行する各種旅行雑誌が、旅行者の立場で、ホスピタリティ・ビジネスの「世界ランキング(サー ビス度など)」発表している。例えば『コンデ・ナスト・トラベラー(Conde Nast Traveler)』や『トラベル・アンド・レジャー(Travel And Leisure)」 などは、 その代表的なものです。

彼らは、そのランク付けを、購読者に詳細な質問をぶつけて、 それを集計するシステムをとっている。「コンデナスト・トラベラー」では、ラグジュアリーの評 価基準が示されている。 その比較基準を見ると、下記の通りです。

1. 寄港地・航路企画
2. 船上での滞在体験を演出するサービス
3. 居住空間とそのデザイン
4. 船上での食事
5. 船上での催し・活動・フィットネスなど

ゲストから見た場合は、寄港地と共に、プロセスである滞在体験を大事にする旅のスタイルでもあり、ゲスト自身のクルーズ経験や、個人的な生活背景・ライフスタイルとの比較や、他の社会的・文化的主観が含まれるケースが多く、より独断と偏見なりがちであるとの指摘もあります。

旅行代理店など販売網から見た基準

旅行会社が抱えているゲストとクルーズ会社のプロダクトと共に予約や、 その後のメンテナンスなどの陸上のシステム自体が、判断の中に入り込むケースが多いのです。

特に、クルーズ会社との関係においては、ゲストからの不満などは、 離反顧客の予防に繋がり、その対応が、旅行代理店がフレンドリーな対応をしているか、否かが問われるのです。

しかし、旅行代理店から見れば、システムとしての 「包括料金」は、その管理を簡易化しており、旅行商品として扱いやすく、送客した船客の帰国後の満足度が最も高い旅行のスタイルだと高く評価しています。

ラグジュアリークルーズは、他の旅行形態と比較して、より高額である傾向があるので、予約してから、旅立ち日までの時間が長いものです。

実はこれが、旅行代理店の活用の為所なのだ。クルーズ旅行を予定する人は、旅行の数ヶ月も前から、パンフレッ トを手に入れてから、旅行会社との接触が始まるのです。この期間の面談を有効に利用して、クルーズ会社との相性を探ったり、他の旅行を勧めたりも出来るのです。

ラグジュアリー・イメージ確立のために

評価を得る前に、先ず新会社が望むラグジュアリー・クルーズの客層が、何を求めているのかを知る必要があります。クルーズ事業は、1つの旅の形で、2つの旅行を楽しむ旅のプロセスでもあり、この客層のライフスタイルに於ける嗜好や価値観を冷静に分析し、最大限に配慮する必要があります。

旅行者や彼らとの仲介役として存在する販売網などの「マーケットに聞く」買い手価値を優先する仕掛けを知らざるを得ないのです。

そこで、新会社の船上サービスなどの滞在環境を創る際に、各種の市場調査を行った。その結果、船客層の多くは、以下のようなプロダクトを求めている事が判明したのです。

アメリカ人のラグジュアリークルーズ客船とは

アメリカ人がイメージするラグジュアリークルーズを以下の通りです。

・ 目的地・寄港地企画など配船形態
・ ヨーロッパ人幹部船員
・ 待ち時間の無いサービスと細部まで行き届いたサービス 
・ 乗船時のシャンパンや出航時のエンターテイメント
・ヨーロッパ人の部屋係
・ 24 時間バトラーサービス
・ 部屋には、個人名が記入されている便箋などスティショナリー 
・ 高級なリネン石鹸などのアメニティ
・ 食事の量と飾り付け、メニューの種類の充実さ
・ ワインの種類と豊富な在庫量
・ ソムリエサービス
・ 船内での不要なアナウンスはしない
・ 公室などでのバックグランド・ミュージックの排除
・ 乗下船口は乗組員と別になっているか否か
・ 乗組員の刺青やピアスには否定的

などなどこれからクルーズ事業に進出する新会社としては、これらの嗜好調査を見極めて、 既存のラグジ ュアリー船社との差異化と独自性を徹底する必要がありました。

クルーズ客船と言う旅行者・船客にとっての”世界を漫遊する・浮かぶ長期滞在型 の別荘”は、実は、 水面下には、

1.巨大な工場及び各種施設プラントを備え、その上部に生活・居住区が在る構造になっている。その工場及び各種施設の「ハード の部分」

2.これを、船上に滞在中の生活体験 を満足させるための「サービス(ソ フト)の部分」とに分けることができるでしょう。

船のハード部分について見ると、工場プラント部分は、各種の近代的施設が整備されている。造水能力、冷凍設備の拡充や生活・居住区の改善等が、最近のクルーズ客船の大型化・クルーズ期間の長期化に貢献しているのですが、目立たぬ所では船体を安定させるため海中で翼を出す装置(フィンスタビライザー)などの改善で、 静などに対する不安はかなり解消することとなったのです。

又、居住性に ついても、クルーズ会社は、太平洋横断定期船の輸送手段としての時代とは、明らかに異なった視点から、設備の投資に配慮してきたのです。

クルーズ客船は周遊型で、なおかつ居住性が極めて重要であり、競合関係にある陸上のリゾート地にある滞在型ホテルとか他の滞在型リゾート関連施設を想定して各種改善が進められてきたこともあり、リゾート・ホテルに劣らない部屋の設備や施設が整備されています。

しかし、このようなハード面は、ライバル会社の新造船の投入などが無ければ、 時代の流れに遅れたりして、クルーズ船客から飽きられやすいのです。

クルーズ客船会社として、人的な要素が核になるソフトの面での特徴こそが、旅行商品としての価値を持続し、クルーズ船客の評価と支持が得られれば、クルーズ船客の主観が全てを決めるというこの競争の激しいマーケットにお いても生き残れるのです。

————————————————————————————————

旅行手配の旅行会社様からのご依頼はこちら

旅行手配以外の官公庁及び法人様お問合せ: info@celebrityworld.jp

※個人の方からのお問合せはお答え出来かねます。

————————————————————————————————-

アメリカクルーズ事情

(1)定期型客船から周遊型客船への変貌

今から30年以上前に、日本がクルーズ元年と謳っていた時期がありました。まだまだ一般庶民にはクルーズなんて高嶺の花と言われていた頃ですこれは日本に限ったことではなく、アメリカでも同様の話です。今やクルーズのメッカであるアメリカの約30年前から現代に置いてのクルーズマーケティングをお伝えしたいと思います。

当時クルーズは主に2つの周遊型旅行に集約されていました。一つはカリブ海などの太陽・海などを宣伝文句にしていたカリブ海やメキシカンリビエラなど地域特化型。

二つ目は、富裕層をターゲット にして、ヨーロッパやアジアの寄港地への訪問などを織り込んだ世界周遊型にと分けられていました。アメリカの著名な海事歴史家のビル・ミラー氏によると1858 年、イギリス船、セイロン号(2000 トン)が最初の「クルーズ客船」であると言われていました。

オーシャンライナーと呼ばれる当時の定期航路の客船はエアコンの効いた部屋も無いイギリスとエジプト間を往復していた。船客の少ないシーズンに冒険心の旺盛な客層を誘致して、地中海諸島をクルージングしたとのこと。その頃、欧米においては2点間を結ぶ定期船いわゆるオーシャンライナーが主流。ビクトリア時代のイギリスでは、主な観光地を巡る客船もありました。

ドイツの詩人ゲーテの「イタリア紀行」の影響や 1890 年代の「休養と気晴らしの航海」(Voyage of Rest and Recreation)によると、イギリス・ドイツ・オランダ・フランスなどから、 太陽と青い空、そして広い海を求め、地中海や南アメリカなどへの従来の移動を目的とした2点間の定期 航路とは異なった、より観光に重視した船旅も活発になってきたのです。

しかし、まだごく僅かの客船に限られていたのです。

これらの客船は、現在の海域中心とした周遊型クルーズのサービスをしていたので、発想としては、現代のクルーズに近いものがあったのです。

しかもその主なマーケットはイギリス人など、ヨーロッパの富裕層旅行者。即ちバカンスを満喫できるようなライフスタイルを有している人たちを対象としたものでした。

20 世紀を跨ぎ、飛行船や小型機航空機による航空事業の急激な発展し、これらの輸送手段を通して、新しい形の「民族移動」が始まったのです。その結果、第一次世界大戦を挟んで、海運や海軍を中心とした海の戦略的な活動が注目を浴びていました。大西洋を挟む欧米間でも、物流のみならず、人の流れも大きく変容しつつあった。

しかし、当初は、船といえば、一定の定期航路における輸送を目的とした貨物船に一部の客室を 併設した客船、所謂、貨客船が一般的てだったのです。
特にヨーロッパと北米の間に横たわる大西洋では、 ヨーロッパと北米を結ぶ定期航路が、或る程度定着していた。第一次世界大戦の 頃には、ヨーロッパの列強で、国域をかける純客船型新造船競争が勃発し、ヨーロッパ諸国は、ヨ ーロッパと北米間の回航スピードを競う「ブルーリボン競争」などで覇権を賭けた競争を繰り広げていたのです。

これらの多くの貨客船や定期客船の主要目的は、富裕層船客の輸送や、アイルランドやイタリアなどの移民や迫害を受けていたユダヤ系の人たちの、アメリカへの送り込みでした。

1997 年 12 月 19 日に公開されたジェームス・キャメロンの映画「タイタニック(46000 トン、長さ 270 メートル)」に見られる船上でに出来事の多くは、当時の定期客船として典型的な出来事でした。

上層階の船室に生活する少数の優雅な欧米の富裕層や ユダヤ系の資本家など、上級階級の顧客とともに、下流階には上流階の船客と交流を妨げられたイタリア人やアイルランド人、第一次世界大戦の後、ロシアなどの国を追われたユダヤ人など主としてアメリカに “移民を目的とした船客”が乗船していた。

アイルランド人、第一次世界大戦の後、ロシアなどの国を追われたユダヤ人など主としてアメリカに “移民を目的とした船客”が乗船していた。彼らの多くは、片道切符でエリス島に降り立ち、ヨ ーロッパで広がっていたトラコーマなどの疫病検査を受けた。一定期間拘束されても、何とか新天地アメリカの地で成功を夢見た人たちであったのです。 

アメリカの最大の財閥、JPモルガンは、傘下の「ホワイト・スター」社に、従来の輸送目的のス ピードを競う客船から、より「居住性」や船上での豊富な食事などにより、気を配った船「オリンピア」や「タイタニック」(1912 年)を、イギリスのハーランド・ウオルフ造船所で建造したのです。 

これらの2船は、従来の概念を打ち破る大きさと、移動の“快適さ”を第一に考えていた点では、 従来のスピードを競う定期客船とは、一線を画し、「船による旅」に新しい時代を開く ことになったのです。

この客船航路の中には、貨物も積める「貨客線」と言われるものもあったが、航空機の発達していない当時としては “南米などへの移民者の唯一の移動手段でもあった。このようなサービス は、点と点を結ぶ定期貨客船を基本としていたのです。

(2)カリブ海クルーズと新しい客層「スノーバード」の誕生

カリブ海地域は、戦前の暇と金のあるヨーロッパ(宗主国)に富裕層の長期滞在型の旅行目的地でした。一方、フロリダの沖90キロにあるキューバは、1920年代の禁酒法の時代にアメリカ人の富裕層として受け入れていたのです。

その頃の宣伝文句は「マイアミの隣の島、キューバは、太陽が燦々と輝き青い海がどこまでも続き、スペイン文化が残っている。ラム酒を含めて酒 に不自由はない」という者で、この頃から、キューバ政府とマフィアとの接点が構築され、その後 のカジノ事業へと発展することになる。

カストロ政権誕生(1959 年)後には、アメリカとの国交断絶となり、多くのクルーズ客船会社は、 豊かなアメリカ国内のサプライソース(送客側)としての旅行マーケットの応えるために、キュー バを迂回しながら、アメリカの基点港と観光地(ディスティネーション)としての「カリブ海」と いう「ゾーン(海域)」との結合させるビジネスモデルを構築。

目玉であった「キューバ」 には寄港できないにも関わらずスペインの支配以来、「アンチレス(諸島)の真珠」と呼ばれ、ユカタン半島の先端部に島のように点在するキューバやプエルトリコ・ジャマイカなどの島々 は、アメリカ人や西欧の人たちにも知られた島でした。

しかし、第二次世界大戦のあと、航空機の急激な発展と、それに伴うパン・アメリカン航空などによる国際航空網の拡大により、欧米間の定期航路を初め国際側の人的輸送は、航空機に取って代しかし、第二次世界大戦のあと、航空機の急激な発展と、それに伴うパン・アメリカン航空などによる国際航空網の拡大により、欧米間の定期航路を初め国際側の人的輸送は、航空機に取って代わることとなったのです。


その結果、欧米の避寒地指向型の休暇スタイルが「太陽と海を追う」リゾート 滞在型休暇へと変容し、特に冬の厳しいシカゴを中心とした中西部の旅行者は、スノーバード(季節移動者)として、極寒の冬の時期を、この海洋滞在型リゾートとしてクルーズ旅行を求め 「南の渡り鳥」として旅行の大きな波を形成していたのです。

彼らの多くは、親の代に、ポーランドやドイツなど北部ヨーロッパから新しい世界をアメリカに求めたのです。迫害をされていたソ連のユダヤ人として移民してきた人たちもいた。その後、アメリカの産業構造の変化とともに東海岸などの海岸地域から内陸に向かって、民族の大移動が発生し、中西 部に移住した人たちでした。

彼らの第2 世代は、このアメリカ中西部で生まれ海を知らないアメリカ生まれのヨーロッパ人が多かったのです。

これらの移民世代の多くは、カリブ海や中南米はカトリックの影響を受け、スペイン系文化を引き継いだ地域であり、その異国性に憧れを持っていたのです。

戦後の経済的隆盛に支えられアメリカにおけるレジャーや長期休暇に対する考え方も大 きく変わっていた。ビーチ指向の憧れやテレビや映画で啓蒙された当時のハバナやラスベガス的なエンターテイメントの影響もあり、これらを内含したテーマ都市型滞在型リゾート型の旅行へと、大きく変わって行くことになるのです。

そしてカリブ海クルーズの発展は、戦後のレジャー産業の発展を予見させるものであったのです。

「スノーバード」にとっては国交を断絶したキューバ以外にカリブ海諸国・島々間の移動は、 極めて不便であった。

アメリカの「裏庭」と言われるカリブ海諸国は、植民地時代から欧州諸国の 複雑な利権争いの結果で成り立っている島国の集団であり、それゆえに観光地としてはそれぞれ 極めて特徴的で、個性的な文化・生活環境が存在していたのです。

そのインフラやロジスティックはキ ューバなどで、観光地としての快楽を経験したアメリカのスノーバードたちやアメリカ人旅行者を受け入れるには、あまりにもインフラが貧弱だったのです。

アメリカ人旅行者の空路による島々間移動の不便に加え て、各島々には、宿泊施設も含め、十分なインフラがなく、彼ら、スノー・バードにとっては最も 不便な観光地で、娯楽性や滞在の利便性においても、魅力が乏しかったのです。


セントトーマスなどのアメリカ領バージン諸島にも新しい旅行先を求めたが、以前のキューバのような多彩で快適な滞在環境ではなかったのです。新婚旅行の対象とするにはよかったが 長期滞在して快適な滞在を楽しむにはまだ魅力が薄かったのです。 

のちにクルーズ会社は、多島のカリブ海に目を向けるようになるのです。第二次世界大戦後、ポンドなどの英国の通貨不安により、イギリス経済に多くを依存していたヨーロッパ系客船およびフェリー会社が、イギリスマーケットを捨てて、新しい船客マーケットとしてのアメリカの巨大消費マーケットに目をつけたことから始まったと言えるのです。

即ち、アメリカにおけるクルーズ産業の聡明期は、ヨーロッパの船客による、アメリカの裏庭カリブ海という新しい観光地へかじを切ったことから始まったのです。

(3)カーニバル・クルーズ…南の島々への旅と船上の「娯楽」&「快適さ」を売る


アメリカ基点のクルーズ客船会社は、従来の欧州的在来船によるクルーズから、アメリカ人客仕 様に変え、娯楽的要素も加味した滞在型の船旅として、より休養と気晴らし色を濃くした新しい趣向やプログラムを満載した船型の模索やサービスを展開し始めた(1960 年〜1970 年代には、 大西洋航路を運航していた船会社の多く船舶は、係船やスクラップとなった)現在のノルウェイジ ャン・クルーズ ・ライン社(1966 年)なども、この頃に起源を発する。

もちろん、彼等の船客の多くは、アメリカ人の船客を狙っていたのである。

そこでキューバ革命後、アメリカ人のカリブ海崇拝に目をつけたのが、カーニバル・ クルーズ社の創業者、ユダヤ系アメリカ人である「テッド・アリソン」だったのです。

キューバと至近 にあるマイアミという地勢的な土地勘が、彼を、カリブ海クルーズに目を向けさせたに違いない。当時のカリブ海の有力クルーズ会社、ノルウェイジャン・カリビアン・クルーズ社(現在のノルウェージャン・クルーズライン社)も、1966 年に、NCL のサンワード号を、マイアミ を起点とした英国領バハマクルーズから、カリブ海クルーズを重心を移していた。

アリソン氏はこの NCL 社の代理店経営者であったが、1972 年に定期客船「マルデグラ」を買取、ハバナやラスベガス的な内装とエンターテインメントを組み合わせたクルーズ客船に改装し、今のノスタルジックな世界のキューバにあったエンターテイメント的色彩の強い特徴も組み込み、 新しいクルーズ客船サービスのビジネスモデルを構築に成功。新しいコンセプトのクルーズ客船に変え、カリブ海での周遊クルーズを始めたのである。カーニバル・クルーズ社の旗揚げでした。

このように、カリブ海クルーズの成長の裏には、キューバ革命による恩恵や影響があることを否定できない。クルーズ客船は、ハバナにあった逗留型の施設やエンターテイメントを、船上に移すだけで事足りたのです。

カーニバル・クルーズ社は、アメリカの旅行者の嗜好の変化に目をつけ、 改造クルーズ客船を投入、カジノができるクルーズ客船として運航開始。

少なくとも、船上での宿泊施設、食事などはアメリカ基準でクルーズゲストにとっては快適な生活環境を演出していた。 アメリカの生活をそのまま持ち込みながら、周遊する仕掛けを考えたのです。

しかも、料金設定を他のアメリカ本土のリゾート・ホテルなどの宿泊料金より安くし、娯楽は、ラスベガス的に選択肢に豊富 にした。船籍を便宜置籍船)にすることで、外国人船員を大いに登用して、サービスに、より目をくばり、クルーズ客船の売り上げで勝負するカリブ海型クルーズの 原型を編み出した。

クルーズ料金が比較的安いという所にラスベガスの誘客システムに似たコンセプトを見ることができるです。 

ナイトクラブ型エンターテインメントとカジノ・ホテルを中心としたキューバブームを操っていたのは、ユダヤ系のマイヤー・ランスキーでした。

彼は観光顧問としてキューバの観光利権支配を独占していたと言われていました。北マイアミから南に位置するキューバの将来に夢を馳せ、この国をカリブ海のモンテカルロにすることを考えていたのです。

クルーズ各社はマイヤー・ランスキーの影響を受け、安全性をPRし、明朗会計なシステムを導入することによってこの事業を展開していったのです。

画像
ジャマイカ沖のカリブ海クルージング

カリブ海クルーズの特長

当時アメリカの旅行会社はカリブ海型クルーズの特長を下記のように宣伝していたのです。

太陽と青い海、そして白い砂に溢れた遠浅の海岸線と多様な多彩な文化を背景とした寄港地。当時の他のレジャーや滞在型の旅行と比較し、「オール・インクルーシブ型料金」であり、旅行に要する総経費との兼ね合いで、料金的にも格安感があり、支払いがシンプルなのです。

カリブ海諸港の訪問地へ。船で行く以上、アメリカの日常生活の延長であり、安全で、違和感のない旅が実現。寄港地はヨーロッパの宗主国の下にある植民地でも、クルーズ客船上はアメリカそのものです。

食事・宿泊体験は、すべてアメリカの日常生活の延長上にあることをアピールし、アメリカのライフスタイルで通せるのが海外旅行のストレスを軽減することに成功したのです。

空路での島から島への東西移動は不可に近く、陸上のインフラ未整備が、未整備の所が多いが、船で巡る以上、ハッスルフリーで、ゆっくりとした環境で、多くの寄港地や国を訪れることが可能となったのです。 その結果、アメリカ人観光客が求めた気候、島々の文化の違いが魅力的で、1週間以内で観光をするクルーズ客の人気を集めだしたのです。

アメリカの販売網ネットワークである旅行会社からも、クルーズ料金の簡略システムと併せ、「No Visa」のカリブ海の観光地としての価値が見直され、評価されだしたのである。また 1980 年代の米ドル安は、主要旅行先である欧州などでの陸上旅行は高くつくとして、カリブ海クルーズを後押ししたのです。

テレビ映画の「ラブ・ボート」効果も大きかったのです。カリブ海クルーズの誘致活動においても、99%を占めるアメリカ人乗船客をいかに満足させて、集客に成功させる目的としてカリブ海の島国諸国が観光連合を発足し、積極的に誘致活動を展開してきたのです。

その後、カリブ海クルーズは順調に成長し、1978 年から 1985 年のクルーズ産業の成長率は。103%を達成。各クルーズ会社も、船体の代替期に入っていたのでした。1986年の統計を元にすると、新造船建造予定は、1990 年までの5年間で年率10%増の勢いとなると予想もあったったのです。

アメリカのカーニバル・クルーズ社は、改造船などを中心に、客層の急増に対応してきたが、老朽化した客船戦隊の抜本的な見直し、新しい時代のクルーズ客船需要に合わせた船隊の整備の先取り を目指し、乗客定員2,000人以上の大型新造船の投入を積極的に進めることを発表したのです。 

カーニバル・クルーズ社は1982 年最新造船「トロピカーレ」を投入。1985 年以降、「ホリデイ」「ジ ュピリー」「セレブレーション」など5万トン級の大型船を続々と導入したのです。

この新造船の投入に併せて、契約した女優キャサリン・リー・ギフォードを前面に出し、テレビなどを通してマーケット認知策を高める営業を展開したのです。このような、カーニバル・クルーズ社の動きは、ロイヤルカリビアン・クルーズ 社などの他社にも刺激を与え、カリブ海クルーズにおける新造船投入競争と、それに伴い、マーケットの急激な拡大が始まったのです。

旅行スタイルの変容、すなわち、 滞在型旅行の基本は、ラスベガスのみならず、フロリダのディズニー・ワールドを開発したオーランドの例に見られるように、テーマパーク化し、エンターテイメントと滞在型ホテル産業の合体でした。

この変化を、クルーズ客船も、この「テーマパーク」のコンセプトとして積極的に取り入 れ、船上プロダクトの多彩で充実した知恵を絞り、これらのニーズを満たすためには客船の大型化を促進させ、スケール・メリットの追求が始まるのです。

1980 年代後半は、カリブ海型クルーズ会社は、クルーズ船客のニーズの面からも採算性の面からも、 スケール・メリットを追求し、クルーズ会社同士の吸収合併や競争の時代に入ろうとしていた。 またカリブ海におけるクルーズ客船事業は港と港を結ぶ線から、海域を対象とするレジャー産業へと展開するのです。

 カリブ海の周遊クルーズは、値段も、カリブ海諸島の陸上に展開し散財するアメリカ人客を対象とした滞在型ホテルなどと競合を常に念頭に入れ、これらホテルとの競争を勝ち取るためには、コスト競争が重要なのです。

カーニバル・クルーズやロイヤルカリビアン・クルーズなどで運航コストを下げる目的として大型船化の道をたどることになるのです。このマーケットでコスト競争を究めて行くと最終的には大型船が必須になるのです。

カリブ海クルーズではアメリカ人旅行者のNo Visa(パスポート携帯不要)で支えられていたのです。アメリカ政府は、アメリカ隣接国であるカナダやメキシコ、それにカリブ海諸国パナマなどには、パスポート不携帯でも、運転免許証や誕生証明書があれば、これらの地域を自由に旅行が可能でした。

カナダ人、メキシコ人・バミューダー人の米国入国に際しても、同様の方法が認められていたのです。

しかし 2001 年の9・11事件以来、入国などを厳しくチェックする方向になり、結局ブッ シュ政権は、2007 年1月より原則パスポートの携帯を義務付けたのです。

画像
キュナードライン「クイーン・ヴィクトリア」号

世界周遊型クルーズの出現

客層を絞り込んで、世界を巡る回遊型クルーズ客船も定着し始めました。この背景には、戦後の 強いドルに支えられていた富裕層など、レジャー旅行人口の急激な増加。1950 年代に急増したヨー ロッパなどのご当地ハリウッド映画やテレビ、クレジット・カードの浸透、コンピューター予約などの合理化システムなど多くの要因をあげることも出来るが、中でも非常に大きな影響を与えた出来事は、カーター・レーガン時代からの航空業界の規制緩和政策だったのです。

この規制緩和は、 ジャンボ機導入に見られるように機材の大型化と料金の低価格化が実現し、クルーズと航空料金のパ ッケージ化を図り、アメリカ本土を遥か離れた外国で漫遊するクルーズ客船への船客の送迎など従来にも増して簡単になったのです。

乗船地まで飛んで行って現地で船旅を楽しみ、その後また航空機で戻るパターンが定着する兆しが見えて来た。フライ&クルーズコンセプトの誕生は、航空料金も多様化し米国の旅行者を世界の各地に送り込むことがそれほど難しく高いものではなくなって来たのです。

アメリカ資本においても、これらの旧来の定期船を利用し「休養と気晴らし」の休暇を目的とした顧客を、主たる対象としてサービスをする初期のクルーズ客船が出現したのです。

アメリカ の西海岸では 1965 年、シアトルの起業家、スタンレイ・マクドナルドがカナディアン・パシフィッ ク社の当時のバンクーバーとアラスカ間に就航していた「プリンセス・パトリア」を就航し、季節 に合わせてカリフォルニアとメキシコ西海岸にも配船。これが、最初のプリンセス・クルーズ 社の元祖になるのです。

画像
バイキング・クルーズ社所有の「バイキング・オリオン」

ノルウェー系クルーズ会社の展開

1970 年、ノルウェー系の3社の船主資本で、ロイヤル・バイキング・ライン社は、カーニバル・ クルーズ 社とは全く異なったビジネスモデルを模索していたのです。

アメリカのマーケットの富裕層をターゲットに、従来のカリブ海クルーズとは異なったラグジュアリー・サービスを提供すべく「バイキング・スタ ー」「バイキング・スカイ」「バイキング・シー」の三隻のラグジュアリー船を投入。同社は、ラグジュアリー・マーケットに焦点を当て、カリブ海クルーズ会社との差別化を図り、就航の地域を全世界に求めて世界周遊型のクルーズを始めたのです。

世界各地を周遊し、多彩な港に寄港するが、旅行の期間を10日から14日間に区切り、その寄港地までは、空論を利用しクルーズ 船客を送迎するといったフライ&クルーズ旅行の導入でした。

ロイヤル・バイキング・ライン社は、世界の新しい観光地を求めるとともに、船上でのサービスを強化して差別化を図ったのです。

世界を周遊するクルーズ会社の 中には、線世代の客船を建造する動きも出て、客船運行会社間の経営の差別化が始まった。航空会社との提携により、世界周遊の途中でも乗船可能な区間クルーズも多彩になって来た。

このラグジュアリー・マーケットでは、典型的な2点間を結ぶ客船定期船を運航していたイギリ ス系のキュナード社が「クイーン・エリザベス2世号」など従来型の定期客船で、大西洋横断サー ビスを行なっていたのです。

彼らは、生き残りをかけて、1973 年復路の航空会社 BOAC との提携などに より、航空料金と客船サービスを一体化したが長続きしなかったのです。

その後、1983 年には「クイーン・エリザベス2世号」を所有するキュナード社は、ノルウェイジ ャン・アメリカ・ライン社の「ビスタ・フィヨルド」「サガ・フィヨルド」を買収。ロイヤル・バ イキング・ライン社の後を追いカーニバル・クルーズ社など、カリブ海指向型とは異なった特定の地域に特化することを避け、季節に合わせて、ヨーロッパなどを中心とした世界周遊型ラグジュアリーマーケットを狙ったクルーズ客船を展開することになった。

ラグジュアリー・クルーズ客船の世界は点と点を結ぶ定期ライナー型運航から、世界を舞台により広い海域で、季節性の高い周遊旅行を織り込んだレジャー型クルーズ客船の時代へと移行することとなるのです。

彼らの成功の重要な柱として、クルーズの主力マーケットであるアメリカで商売をするが、そのサービスを提供する会社は、アメリカ以外の国に置くことでした。これにより、サービス業本来のより競争力の効果が期待される運航の基本を自由で迅速な体制として構築することでした。 

クルーズ事業とは個性と多彩性が大きく影響される事業ゆえ、経営陣や集客などの営業、運航部門、船上でのホテル経営部門、各種購買部門、寄港地観光などにおいて、世界で最も優秀と言われる人材を集めて雇用することが重要なのです。

このような客船業界の変貌は、1970年代から始まり、1980年代に入ると、レジャー旅行の人口の急激な増加に伴い、航空産業の規制緩和の動きを睨みながら、料金のパッケージ化、クルーズ客船運行会社間の対象客層に合わせた船上サービスの差別化や就航地域の多様化、旅行期間のセグメント化、ライフスタイルを元に顧客に合わせた、新しいコンセプトに基づく新造船の導入の動きが出てきたのです。

従来の老朽船や貨客船などでは提供できない時代に突入し、レジャーに特化したマーケットや客層や、新しいニーズが新しい長期滞在型の旅行の目的を満たしてくれるクルーズ客船をマーケットは求めていたのです。

————————————————————————————————

旅行手配の旅行会社様からのご依頼はこちら

旅行手配以外の官公庁及び法人様お問合せ: info@celebrityworld.jp

※個人の方からのお問合せはお答え出来かねます。

————————————————————————————————-

米国ラグジュアリーマーケットを攻める

マーケットを3つにセグメント

アメリカでは、クルーズ・マーケットは、以下の3つに分かれています。

1. カリブ海を中心にしたサービスに代表されるカジュアル・マーケット。

2.プリンセス・クルーズ社などが求めるプレミアム・マーケット。

画像
横浜港大桟橋に停泊中の「ダイヤモンド・プリンセス」

3. クリスタル・クルーズ社がそのブランド・イメージの代表となっていた世界周遊型のラグジュアリー・マーケット。

画像
クリスタル・シンフォニーとレディ・クリスタルのツーショット

これらのクルーズは、その核となる乗客の層も違えば、船内サービスも、乗組員の構成方法やサービスも同じクルーズ世界とは思えぬほどの別世界です。クルーズ会社としてもその対応の仕方が異なります。

特に、カジュアル・マーケットやプレミアム・マーケットでは、大衆を相手にする傾向が強く、船隊として、大型の船を用意しなければならないのです。船隊の整備に巨額の資金が必要になるのです。

リスクのより少ないより少ない船で、選ばれた客層で勝負するニッチなラグジアリー・クルーズに焦点を当てる事が賢明であるのは、明白ででした。

今から30年前、アメリカのクルーズ客船業界、特にラグジュアリー・クルーズの世界は、急激な変革期に突入していたのです。

アメリカのライフ・スタイルの変化とともに、 一カ所の観光ゾーンにこだわらず、世界周遊型やエリア周遊型クルーズ客船事業が形成されつつあったのです。富裕層の出現、あるいは船社間の競争の激化により、船上のライフスタイルに加え、就航先における先見性とか企画力がより重要になってきた時期です。この結果、クリスタル・クルーズ社に見られるように、サービスや配船航路などで差別化が始ままたのです。

ニュー・リッチは、ストック型富裕層とは異なり、豪華一点主義的な消費行動を中心とした富裕層の出現も影響がありました。もちろん、従来型の客船は地方の名士などの資産家のようなストック型富裕層を顧客として取り囲んでいたようです。ニューリッチの出現でクルーズ客船のマーケットのポテンシャリティが、拡大の兆しを見せていたのです。

またニューリッチ世代のライフスタイルは、自分が特別で、何時までも若く自己顕示もあるし、行動的で好奇心が旺盛。サービスにこだわりと食事などに対する興味や多様性に目が行く世代像を描いていたのです。アメリカの社会形態は 50 歳以上の人達が人口の 3 分の 1 になり、彼らがアメリカの富の4 分の 3 を占めると予測。

ラグジュアリークルーズのパイオニア「ウォーレン・タイタス」氏

画像
シーボーン・ソージャン号(シーボーンクルーズ)

ウオーレン・タイタス氏は、サンフランシスコに、当時、小型船を建造して、新しいラグジュアリー・クルーズのコンセプトを目論んでいたのです。シーボーン社のプロジェクトに関わっていました。

彼は、このラグジュアリー・クルーズの世界では、指導的なメンターとして、高く評価されている人物であったのです。ハワイの船舶代理店に勤務していたのですが、北米での船による旅行の新規マーケットの拡大のために P&O に雇われることとなったのです。

そこで、当時最も行動的な宣伝調査のエキスパート「オグルビー・グループ」と”Run Away to Sea”のキャンペーン等を張っていました。その実績をノルウェーの新規会社ロイヤル・バイキング社が、高く評価したのです。

この新事業に首を突っ込む事になったと言う。その後ロイヤ ル・バイキング社を、唯一無二のラグジュアリー・クルーズ客船社に育て上げた人でした。彼は、 当時の客船が「豪華で贅沢」との評価でありながら実際のサービスは、定期船のような「最低限の居住空間やサービス」であったのを残念に思っていたのです。

何としても、ラグジュアリー・クルーズとして、 他の古典的なクルーズ客船事業から、脱皮させようと、クルーズ客船に対する新しいアプローチを 試み、その結果当時のクルーズの世界で、当時のラグジュアリークルーズの代名詞であったロイヤル・バイキング社を、孤高の評価を得るまでに育てました。彼の基本は、クルーズは、「ライフスタイルの先取り」という発想にあったのです。 

画像
クリスタル・セレニティのメインダイニング

具体的に、ダイニングルームでは、従先客の自由な選択肢に任せるワン・シーテング(自由席制)の導入や乗客1名に対して、高い乗組員比率。

船客 1 人当たりの船上空間比率の高さ(スペース・レイシオ)や上級客室にはバルコニーの採用、ヨーロッパ人船員の登用とスカンジナビアン・スチュワーデスの起用など、画期的なシステムの導入と、それに加えて、先進的なリピーターズ・クラブの導入など、各種レクチュアー等船上でのアクテビティの充実やテーマクルーズ配船先を「世界」 に求める、ラグジュアリー・クルーズの原点を作りました。

彼の話は、NYKのような、貨物船としての経験が豊富ではあるが、クルーズ客船世界には、余り経験がない会社にとって、非常に参考になったようです。結果として彼が描いたビジネスモデルを、大いに参考としたのです。NYKのクルーズ・プロジェクトも彼が作り上げたロイヤル・バイキング社と同じような仕掛けで始まる事になったのです。

ウオーレン・タイタス氏の話によると、1970 年代に彼が独自に市場調査てした結果、 輸送手段としての客船が、休暇を対象としたクルーズ客船として取って代わり、カリブ海を中心とした1 週間クルーズが爆発的に伸びるとの分析があったのです。

また、アメリカには、未だ発展途上ではあるが、2 週間以上のクルーズ旅行の潜在的なマーケットが確実にあると確信。マーケットはよりラグジュアリーを指向していたのです。

ノルウェーの船主は、このアメリカでの調査を更に深め、そのマーケット調査が示す可能性に賭ける事にしたのです。

より好奇心に溢れ、旅行の経験豊かな旅行者など、ロイヤル・バイキング社が狙うラグジュアリーな客層が、更に増えるであろうとの予兆は、高級ホテルの新設、より高額なレストランの人気や、より高額の車やブティック型の商品の売れ行きなどの調査でも、ハッキリしてました。

NYKの新会社(クリスタル・クルーズ社)設立の際、将来のマーケットのベビーブーマー 世代の性向と極めて類似している客層でもあったのです。

このようなアメリカの客層を見立て、新造船のコンセプトを描くのに、彼らのマーケッティング調査を参考にし、デザイン会社に探求させることとしたのです。特に、マーケティングの分野での調査結果を元に、新しいコンセプトを、果敢に取り入れることを推進しました。

画像

彼らの食事なども調べ上げ、それに見合った、料金体系や船上のイベント、 寄港地などを決める手法をとったのです。その調査によると、カリフォルニアの客が一番将来性があると言うものであった。その結果、サンフランシスコが、アメリカの本社に選ばれたのです。オスロの事務所は、雇用や一部オペレーションに特化。

彼は以前、イギリス船主の P&Oからノルウェー船主へと渡り歩いたが、その過程で、この業界の人脈の重要さ、特に、業界の現場との接点を持つ事を、何度も強調していたのです。クルーズ客船は、 安全で乗船客が欲することを満足させるサービスで、「ブランドの価値を高める事である」と話していたのが印象的でした。

ラグジュアリー・クルーズの世界で、クリスタル・クルーズの世界戦略を描く際に彼の数々のアドバイスやヒント等も、客船準備室へ伝え、NYKの客船プロジェクトのグランド・デザインの参考となったのです。

アラスカクルーズで知ったアメリカマーケット

アメリカマーケットを知るためには、アラスカクルーズに乗船することが一番手っ取り早いと思ったのです。そこで私もアラスカ・クルーズで乗船した。プリンセス・クルーズ社の「スター・プリンセス」で行くシアトル往復のクルーズでした。

画像
スキャッグウェイ港に停泊中の「スター・プリンセス」

プリンセス・クルーズ社とアラスカクルーズの上位シェアのホーランド・アメリカラインは、日本のNYKと同じような歴史を辿っていた定期航路が充実していた会社でした。

戦前は、イギリスのタイタニックのように大西洋航路などで、ヨーロッパからアメリカへの移民などを主客として、貨物船以外にもクルーズ客船事業を展開していたのです。

日本にも寄港したホーランド・アメリカラインの「ロッテルダム」等の運航会社てが、戦後、貨物から完全撤退し、クルーズ客船に特化したのです。

大西洋などのサービスでは、航空機に押されて大苦戦をしていたのです。

カリブ海のクルーズが、活況を浴び出した 1970 年代後半から、 彼らは、アメリカ人カーク・ランターマンという、その後の HAL のアメリカ戦略を支える人材を得て、アメリカ・マーケットに重心を移し、オランダ人乗客よりも、アメリカ人乗客を中心とした戦略に転じたのです。これが成功して、 アメリカにおけるプレミアム・マーケットに焦点を合わせた運営を展開したのです。

画像
「スター・プリンセス」号のアラスカクルーズにて

彼らは、新しい配船先として、”The Great Land” と言われたアラスカに目を付けたのです。当時アラスカは、チャック・ウエストが展開する小型船やスタン・マクドナルドが始めたプリンセス・クルーズなどが、夏場の配船先として集客を強化していた。

カナダのバンクーバーは、このアラスカ・クルーズの基点港として、「カナダ・プレース」など街の中心部の大型客船ターミナルの建設など、その後、大成長をすることになる。

画像
ヘリコプターでアラスカの大氷河に着陸

アラスカ・クルーズの秘境めぐりは、クルーズに最適であることを発見。多くの入り江、車ではいけない辺境後などに加え、氷河あり、雄大な自然や珍しい動物など、今までのクルーズとは全く違った観光地でした。

画像
ケチカン港では小型飛行機で寄港地観光

しかも、これらの秘境めぐりは、クル ーズ母船(ホーランドアメリカやプリンセスクルーズ) と小型クルーズ客船、小型飛行機やヘリコプターなど を組み合わせた新しい形の旅行形態であることを発見したのです。

画像
アラスカクルーズの定番「ホワイトパス&ユーコーン鉄道」

しかもこのようなインフラを、ホーランド・アメリカとプリンセスの子会社であるプリンセス・ツアーが独占しているビジネスモデルに驚いたのです。

小型飛行機やヘリコプターは、冬には全てカリブ海に操縦士ごと移動し、カリブ海クルーズに転用されていました。しかもこれらを利用する料金体系のシンプルさに関心しました。

画像
黒塗りの「アムステルダム」号

アムステルダム号の定員は1,200 人。そのうち約900人がアメリカ人。他はカナダとオーストラリア等、英語園からの人たちで埋まってました。本船は、船体が黒塗りで、郵船の貨物船の色に近かったのです。

画像
アラスカクルーズらしくシーフード料理が充実。

オランダの落ち着きを持たせた作りになっており、 従業員は、オランダ人の幹部船員のもとで,旧オランダの植民地、インドネシア人が働いていたのです。船上には、持ち場持ち場で多国籍船員のグループで採用していると言っていた。特に、インドネシア人は、オランダ人の仕事の遣り方に精通していると。

フィリピン人従業員と比較して、一般的に、イスラム教の影響下にあるので、 酒類にも厳しく、品行方正な従業員が多いのです。フィリピン人のようなアメリカ人船客に対する積極さは無いかもしれないといったコメントもありました。今まで、本場アメリカのクルーズを知らない私にとっては、「クルーズ客船とは何か」を考える際に、 この機会は、 強烈な印象を受ける機会になったのです。その後、ホーランド・アメリカも、プリンセス・クルーズも、カーニバル・クルーズの傘下に入りことになったのです。

現在ではラグジュアリーマーケットを対象としたアラスカクルーズも数多く就航していますので、充実したラインアップでお楽しみ頂けます。

————————————————————————————————

旅行手配の旅行会社様からのご依頼はこちら

旅行手配以外の官公庁及び法人様お問合せ: info@celebrityworld.jp

※個人の方からのお問合せはお答え出来かねます。

————————————————————————————————-

ラグジュアリークルーズのライフスタイル

クルーズ事業は乗客の価値観と販売網の評価で、クルーズ運航会社に対する評価が決まるというこです。旅行商品を造成する側からは、どのような点に注目をしているのかを、客観的に見る必要がありました。

この事業の現場になる業界や乗船客の事情を理解することでした。

アメリカのクルーズ市場概要

画像
船会社が所有するプライベートアイランド

これから企画するクルーズ客船事業の業界の現状、 市場分析と規模、アメリカにおけるクルーズ・ マーケットの概要の把握と既存のクルーズ会社を分析が必要でした。

その結果、以下のようなことが解ってきたのです。

当時のアメリカの 3 日以上の船旅をするクルーズ客マーケットは、2018年には 1,400 万人で、1泊あたり食事代込みで300 ドル前後の客層を主力とするラグジュアリー、200 ドル前後を中心とするプレミアム、 100 ドル前後の大衆路線を中心とするカジュアルクルーズに特化しつつありました。

特に、プレミアムやカジュアルコンテンポラリーマーケットでは、クルーズ客の 大半はマイアミやプエルトリコなどを基点としたカリブ海などのクルーズを中心として長くて 1 週間というスタイルです。

一方、5%を占める約 70 万人は、これらとは明らかに異なる客層であった。いわゆるラグジュアリーといわれる長期間、しかも年に数回も船旅を楽しむリピーターでした。

多くリピーター は、世界周遊型のクルーズ愛好者であり、1 度のクルーズ旅行に2週間かける人を中心に、長いものになると 100 日間もの間、船旅をするという人々で成り立っていたのです。

その結果、客層、特にラグジュアリークルーズの客層において、次のようなイメージが浮かんできたのです。

1. クルーズ船客のプロファイルとしては年収 6 万ドル、平均年齢 60歳前後、ラグジュアリー・クルーズに はリピーターが大きな比率を占めユダヤ系船客が多い。

2. 富裕層は、多彩な観光地を望んでいる。

3. クルーズは 寄港地・訪問目的地と船上での滞在体験のミックス。旅のプロセスを大事にすることが楽しめる旅である。

すなわち、観光地への移動手段とその地における観光に加え、移動期間中の船内で 世界各国からの多様な人たちと一緒に織り成す滞在型生活体験 を併せ持つ旅の形である。

このように、船上での滞在リゾート施設は、多様な生活空間を生み、 人それぞれのライフスタイルに合わせた喜怒哀楽を刻んでいくのです。

従って、 デスティネーションのみならず、船上における滞在時の生活体験環境が重要であり、その価値をどれだけ高めることができるかが、クルーズ会社としての企画力であり、サービスの基本と考えます。

富裕層を対象 とするクルーズ事業で成功するためには「生活体験価値を高めること」 にあることが必須条件。

船上生活におけるライフスタイルは、ごく普通のアメリカ的な日常性が重要であることに確信を持ったのです。

4.クルーズ会社間での「差別化」が明確であること、旅行会社や顧客は、自分のニーズに合わせてクルーズ客船社やクルーズ客船を選ぶ傾向があるのです。

5. 新造船が出来れば、後続船に真似され数年で陳腐化するが、人材が織り成すソフトは真似されづらいのです。

6.他の旅行も経験したうえで、初めてクルーズを試乗するケースが多いが、これは他の旅行でのパッケージ的なツアーを嫌う傾向があり、新しい旅の形をクルーズに求めているのです。

7. クルーズ試乗のきっかけは家族友人の紹介もあるが、クルーズ会社の宣伝や旅行会社からの紹介も大きいものです。

特にクルーズ知識の豊富な旅行会社などの薦めで船を決める傾向が強いのです。

クルーズ事業は、クルーズ会社と旅行会社との顧客の囲い込み、維持、拡大が大きな成長の鍵となっているのです。

そのためには、クルーズ会社としてはその核となる客層のライフ・ スタイル・嗜好の先取りをする「先見力」が重要です。

8. 初めての乗客は、旅行会社を頼りにしている。

アメリカにおける顧客の囲い込みは自社集客ではなく、強力な販売網である旅行会社のネット ワークを味方につけるのです。

このシステムの構築とは、マーケットを押さえる主要旅行代理店との密接な関係構築が必須条件です。

また、1 度乗船した船客は、自らの経験で次も同じ船に乗るかどうかを決めるし、満足度の高い完璧な休暇であれば、友 人や家族に、この会社を勧めるようになるのです。

9. 初歩的な調査によると、一般的に、クルーズを経験した旅行者のクルーズの評価としては「思ったよりも安くかつ満足度も高い」というものでした。

コストパフォーマンスが良く、船上での楽しみも充実しています。

10. また、CLIA の統計によって、彼らがなぜリピーターになるのか分析したところ、約 50%の船客 がスタッフの親切さとサービス、船客に対する配慮と述べていました。

初めてのクルーズ旅行者は 19% が以前に経験した陸上の旅行よりクルーズ旅行の方が充実していると言います。

特に 13%が部屋・食事・ ショーなど船上体験がよかったそうです。

11. クルーズ会社は旅行会社や顧客のネットワークによる人脈でつながっているのです。したがって、新規参入会社にはこの人脈とつながる人材の確保が必須条件になります。

12. ラグジュアリークルーズの船客は、アメリカの株式市場に影響を受けやすく、乗客は株など投資利益を利用してクルーズを楽しむ傾向があります。

13. ラグジュアリークルーズでは、船上ではファーストフードやお仕着せ料理の定食は避ける、 乗客の好みに任せるメニューが必要。

食事はクルーズの楽しみの重要な要素です。

14. ラグジュアリークルーズのリピーターは、「1 年に 3 回以上もクルーズをする」 が 47%と圧倒的な数字でした。

彼らは同じ船・スタッフと異なった寄港地を求めてクルーズを楽しんでいる人 たちでもあった。

15. クルーズ旅行で何が重要かと聞いた統計では

(a)寄港地
(b)船上で過ごす時間の多彩で充実な環境
(c) 乗組員との相性

以上がクルーズにとって重要な決め手です。

各種の市場調査の結果導き出した結論は、クルーズ事業に とって重要なのは、船上 における「体験価値」、そして船を舞台にした人が織り成す相性 であるということでした。

富裕層の求める価値ある感動とは

画像
クリスタル・セレニティのカジノ

ラグジュアリー・クルーズ船客の求めるものは日常性。

ラグジュアリー・マーケッ トに対する業界筋の見方は、乗客のライフスタイルが活動的になり、いままで以上にラスベガスのテーマ・ パーク的な要素が求められるというものであった。 彼らのリポートによると、ラグジュアリー・クルーズ・マーケットは以下のような姿でした。

  • 船室的な「キャビン」からラグジュアリー ホテルのスイートルーム。
  • 3度の食事ではより種類が豊富なメニューが求められます。
  •  カジノやラウンジなど船上における活動の選択肢が大事。
  • 船上でのエクササイズ指向が高まる。
  • 船上リクレーショナル施設の充実。
  • 多様なエンターティンメント。
  • ラグジュアリークルーズの評価の基本として、船客あたりの船上スペースと乗客と乗組員の比率がきわめて重要な要素になる。

    一般的にラグジュアリーとは何か。

    この答えはかなり個人的な価値観や、主観的な感覚、経験体験が影響を与える。

    ハッキリしていたのは、 富裕層の多くは、陸上のライフスタイルの延長線で自分の好きな時に好きな事が出来る「わがままな時間と選択肢」を求めている傾向があります。

    日本では、クルーズ旅行は、「非日常性」の体験と宣伝されていた が、少なくとも、アメリカの富裕層は、これとは全く反対の「日常性」が最も大切であるという事であったのです。

    アメリカ人は、自分たちの日常生活の環境(言葉・食事・ライフ・スタイル)をそ のまま船に乗せて、寄港地と言う彼らの「好奇心」を刺激する仕掛けに、この旅行 の価値を求めている との確信を得ました。

    アメリカの乗船客は、自国のライフ・スタイルをそのまま持続しながら、異国の観光地での旅を楽しむ事で、クルーズ旅行の醍醐味を楽しんでいたのです。

    人が持つストーリーに、船上で織り成す多くの交流を通して、色をつけることを願っているのです。

    船上においての行動をみれば、自分が自分の都合に合わせ、自由に選べる多くの 選択肢も必要と言うものです。

    新しい形のクルーズは、従来から描きがちな暇な船上生活ではなく、高齢であってもそれ なりに活動を求め、美しく年齢を重ねること、そして好奇心を 刺激することを望んでいるのです。

    旅行期間中といえども次に訪れる国・都市の歴史が知りたい、絵画を見てみたい、ダンスを習いたい、料理を習いたいなどといった船旅の期間を積極的に自らの生活あるいはライフ・スタイル のリセットにしようとするクルーズ客が多いことも判明。

    このような好奇心や探究心でさらな るクオリティの高い人生を求めていることがよく理解できました。

    いまや、これらアメリカの富裕層の言うラグジュアリーとは、経験価値の高いものであるということです。

    彼らには、モノを持つ喜びよりも、クルーズ客船で船上での出会いとか、経験を心に刻む事により価値を置いているのです。

    従来型のクルーズ客船には配慮が少なかったが、このあたりのライフスタ イルにもとづいた船上での体験価値を演出することを積極的に取り込むことが出来れば、新規参画社でもラグジュアリー・ マーケットでトレンド・セッターにもなれるのです。

    船上での経験価値を究めていくと、クルーズとは、日本で宣伝されるような非日常性ではなく、逆に日常性が重要なのです。

    非日常性の持つ固苦しさは、滞在型の旅行では持続しないのです。

    多くのアメリカ人は、自国での生活スタイルを変えずに海外旅行するというところをクルーズを通じて発見していたのです。

    海外旅行するのに自国での生活をそのまま、維持しながら旅行できる事に、クルーズ旅行の良さを見出していたのです。

    これらの旅行者の新しいニーズに合わせるため、サービスを提供するクルーズ運航会社は、寄港地という旅行先と船と言うリゾート環境での生活に、開放感やサービスを受ける快感と選択肢が多くて好きなときに好きなことが出来る滞在環境など宣伝文句を加え、新しい旅行マーケットを開拓します。

    この時間をどのように刺激するかがポイントです。

    空路や陸路を中心とした空港・ホテル・レストラン・移動のための時間待ち時間のロスタイムや異国における言葉の違いから来る意思疎通の難しさが関わってきます。
画像
フランス3つ星レストランでの食事

一例として、パリの高級 レストランに行っても、フランス語メニューでは、食べ物が出てくるまで自分が何を注文したか判らない等の煩わしさをクルーズでは出来るだけ解消しようとしていた。

このような極め細やかなシステム構築が、当時の旅行者にとって、陸上の旅行などよりも圧倒的な支持を得たのです。

————————————————————————————————

旅行手配の旅行会社様からのご依頼はこちら

旅行手配以外の官公庁及び法人様お問合せ: info@celebrityworld.jp

※個人の方からのお問合せはお答え出来かねます。

————————————————————————————————-

日米クルーズ価値観の違い

日本側のクルーズに対する価値観

1980年代、アメリカを中心としたクルーズブームと日本でのゆとりの増大や海外渡航ムードに支えられてクルーズビジネス発展の夢が膨らんだ.

日本郵船(NYK)は上記を背景に、1960年の「氷川丸」引退以来、約4半世紀ぶりに客船事業を復活させたのです。NYKは世界のクルーズマーケットをター ゲットとする目標の高さを大義名分とし,既存の 日本マーケットとの正面衝突を和らげるコンセプトとして客船事業のプロジェクトを推進していました。

クリスタル・クルーズ創業前の1987年にNYK本社とクリスタル・クルーズ社があるアメリカ側のコンサルタントとの間で、会議が行われたエピソードがあります。

これは米国クリスタルクルーズ社がNYKからの指示に基づいた質問、種々の調査事項に関しては、アメリカ側から報告され、それらも加味して、NYK側のこのプロジェクトに対する基本的な事案というべき青写真が用意されていたのでした。1987 年 6月にアメリカ側のクリスタル・クルーズ社が雇ったアメリカのコンサルタントとNYK本社との会議のエピソードがあったのです。

その会議の目的は、アメリカで採用したコンサルタントの顔合わせと、アメリカ側に伝えられているNYKの基本プランに関して、アメリカ側のコンサルタントとの意見の調整でした。

結論から申し上げると、この会議から35年の月日が経過し、現在クリスタル・クルーズは北米マーケットを中心にラグジュアリークラスのブランドの名を馳せるようになったのです。

会議自体は、主に提示されていたこのクルーズ事業のNYK案の説明に終始し、アメリカ側のコンサルタントは聞き役に徹したのです。理由はクルーズのメッカ、アメリカにおけるプロ集団であっても、初回の会議では、様子見に徹するしかなかった。

NYK本社曰く

「ラグジュアリー分野、日本船社の独自性を生かすためにも、まだ欧米船社によ って開拓されていない太平洋を中心にしたサービス構想として進めるべき」

という提言しそれが柱となっていた。

しかし、アメリカ側から見ると、環太平洋を中心とした配船は、「リピーターマーケット」の配船先であり、全く新しい会社ではリピーターが存在しない現実かつ、アメリカ人客船マーケットでは最も需要の少ない就航先であって、サービスを開始するのは至難の業と思えた。

日本郵船本社に意向に対して、 運航面、集客面などの基本的な処で、食い違いが発生する余地があった。

日本側の環太平洋クルーズ構想

画像
横浜港大桟橋に停泊中の「飛鳥Ⅱ」(旧:クリスタル・ハーモニー)

この会議で、日本側の描く構想は「環太平洋クルーズ客船構想」であり、 日本郵船本社としては、これが、クルーズ事業に参入する際の“絶対条件”であるという。

その後当時の構想とは多少異なるものの、完全な日本マーケット向けのラグジュアリークルーズは「飛鳥」「飛鳥Ⅱ」として日本最大級のクルーズ会社として成長したのです

コンセプトは「太平洋の女王が君臨」

日本側の構想は以下の通り。

1・新規クルーズ客船事業は「日本郵船による環太平洋クルーズ」と位置付け、世界有数の客船運航会社を目指す。

2・会社組織は東京、運航本部はシンガポールに設置。

アメリカには、アメリカ人集客を対象とした集客機能のために現地法人会社を設立し、そこに日本人幹部として、会長、副社長、経理部長、海務部長、新会社船長を配属させる。

3・新造船のハードウェアは最上級レベルで、しかもその最先端を行くような新造船の整備士、将来的には3艘体制と考えていた。のちに、2003年にクリスタル・ハーモニー、クリスタル・シンフォニー、クリスタル・セレニティの3隻が揃った。

4・配船先
春:万里の長城の「中国」から桜咲く「日本」のアジアクルーズ
夏:氷河のアラスカクルーズ 
秋:パナマ運河の観光通航
冬:最後の楽園・南太平洋、オーストラリアとニュージーランド

5・セールス戦略は当面、50%をアメリカ人乗客が対象。将来的にはオーストラリア・ニュージーランド・シンガポール・香港やヨーロッパなどの国際的なマーケットに拡大。

日本人乗船客は、クルーズそのものが世の中に浸透していないことを考慮して10%程度。数年で30%は達成したい。

特に南太平洋エリアでは日本人乗船客で過半数を目指す。

当面は主な客層はアメリカ人に頼らざるを得ないので、サンディエゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトル、シカゴ、ダラス、マイアミの7ヶ所んいアメリカ人セールスマネージャーを置き、カナダにも現地セールススタッフを置く。

最重点営業所は日本や香港に直行便が就航している都市中心部に構築。

6・料金の設定は、配船行程が決定次第、アメリカ側のゲートウェイを決め、そこから航空料金を交渉して航空料金を含んだクルーズ料金を決める。価格は当時の「ロイヤル・バイキング・クルーズ」社に対抗するレベル。

7・船上のホテル部門は日本に供給マーケットがないため、ヨーロッパ人やフィリピン人に依存しざるを得ない。フレッド。オルセン、ウイルヘルムセン社など日本郵船のチャネルを通じて依頼する。

8・新造船に対する基本的な方針:建造監督は日本郵船工務部。アメリカ側は建造の早い段階から本線に予定される船長、機関長など現場に派遣したい意向だが、直接造船所との話に介入されると現場が混乱する恐れがある

9・本船(クリスタル・クルーズ)乗組員構成:安全運航が最優先。日本郵船の安全基準を熟知している日本人船員を核にして運航する体制をつくる。

10・クルーズ客船における接客面で優れている経験豊富な欧州人船長を雇い、将来的な展望を踏まえて、この船長の下に日本郵船から派遣される副船長を配属。機関部問は日本郵船出身の機関長の監督指揮の下で欧州人副機関長を雇用する日本人と欧州船員の混乗形態とし、日本郵船船員との混乗に慣れたフィリピン人船員を起用。

11・NYKから派遣される船長他幹部社員にはアメリカ人乗船客を念頭に、米国での文化や習慣を理解させるため、一定期間英会話や接客マナーのトレーニング、約半年間のホームステイを実施させたのです。

画像
世界中から集まるクルーと(クリスタル・セレニティ船上にて)

このようにして新造船は、最高級のハードを備えた「太平洋の女王」でなければならない。 さらに、このクルーズについては、以下のような青写真が描かれていたのです。

1・船のハードは振動や騒音の少ないハイグレードな電気推進。乗船料金は1日あたり約400ドル(日本円;約56,000円 2022年9月現在)乗客定員は1,000人以下、クルーズ日数は1行程あたり10日〜2週間。

2・ソフトとハードの両面で世界最高水準のサービスを目指す。NYKが開発したコンテナ輸送技術である氷温技術を積極的に生かして最高のクオリティを求めた食材を提供し、様々なコスト削減を実現。そのロジスティックセンターをシンガポールに拠点を設ける。

3・サブレストラン
日本における最高級和食レストランと同様に、クルーズ客船を通じて最高級の日本文化を世界に広める。

画像
クリスタルクルーズ船上で提供された日本食

このようなNYK側のクルーズ客船事業のアウトライン は、戦前の定期客船運航の延長線上で、NYKの潜在的な力を信じた内容だったのです。

当時に日本人社会もバブルで浮かれ、数年内にはアメリカの客船人口までとは行かぬまでも、それに近い船客が見込まれると思われたので日本を中心とした国際客船を建造することで、 その需要を満たせるという憶測があったのです。

アメリカ側のクルーズに対する価値観

画像
アラスカの人気寄港地スキャッグウェイにて筆者

前項における日本側の構想は、アメリカ側としては、極めてハードルの高いものであった。

彼らにとって問題と思われたのは、本船の就航先と、運航部門の運用法であった。

クルーズエリアの問題:
環太平洋の配船とアメリカ・クルーズ・マーケット配船先の決定は、クルーズ事業の企画力で、最も労力を要し、営業的に最も重要な仕事である。これ如何で、採算が大きく変動する。

クルーズ乗船客が存在するマーケットで、2 年先のマーケット状況を予見し、集客戦略を練るアメリカ型の考え方と、日本郵船の名で建造する新造船と、「新しいクルーズ・マーケットを創る」 という熱意を基に、新しい客を創出し誘導しようとする日本郵船との考え方はこの事業の進め方に関して言えば、両極端な考え方でした。

アメリカ側では、このサービス・サプライヤ ーの利益優先型の配船計画や運航では、マーケットでの支持は、広がらないと懸念したのです。

アメリカ側の主張は、クルーズは、ライフスタイルであり、個人の嗜好に基づいて構成されている「客層」を運航会社の意向に合わせて、首に縄をつけるような”運航会社の希望するデスティネーションに誘導する集客戦略は、非常な労力を要し、その成果を短期間で得るのは難しいと判断。

否定的で、配船の基本航路を環太平洋に固定する環太平洋クルーズ客船の発想に対して懐疑的な見方をしていたのです。

その中でも、集客を携わるアメリカ側のセールスの意見としては、「アメリカにおけるラグジュ アリー・マーケットの主客層であるユダヤ人乗船客等を文化的な価値や範疇から最も遠いと思われる日本やアジアといった異質な配船先に誘致することがいかに難しいか。

「とても日本までアメリカ人を行かせる自信はない」

と、環太平洋クルーズ客船構想に対してなかなか頷かなかったのです。

使い勝手や利便性で、優劣が評価しやすい「モノ」と異なり、極めて抽象的なクルーズ船客の「主観」が、旅の価値を決めるクルーズであれば、「マーケットに聞く」 仕掛けを徹底すべきです。

固定客もなく、ブランド・イメージも創られていない状況で「マーケットを創る」誘惑には乗るべきではないと言うのが、アメリカ側の意見でした。

当時は、地中海でパレスチナ解放戦線による、アキレラウロ号船上でシー ジャック事件が発生(1985 年)、1986 年にはニュー ヨーク州ロングアイラン ド島沖で米トランス・ワールド航空機(乗員・乗客 228 人)が、空中爆発を起こし墜落したテロ事件の結果の後 1988 年 12 月 21 日、イギリス・スコットランド上 空でパンンナム 103号機爆破事件。

いわゆるリビア政府が関与したとされるロッカビー事件も発生などでヨーロッ パ・地中海向け旅行のマーケットが停滞してはいたが、それでも、アメリカ人の旅行者の目はヨーロッパを向いており、太平洋や日本を含む極東は、彼らにとっては、 興味の薄い配船先なのです。

アメリカ人にとって日本を含めた環太平洋エリアのクルーズは、アメリカマーケットにおいては、既にさまざまな観光地を行き尽くして、その最後に行くと言う、「秘境」を目指すリピートマーケットでした。

このように、当時のアメリカ旅行会社のマーケットリサーチを通して、アメリカの旅行会社が抱えている客層を主要な旅行先をヨーロッパから、日本を含めた環太平洋エリアに向ける事は、至難の技であると判断したのです。

アメリカ側から見ると、

「何が何でも、ヨーロッパに向いているアメリカ人乗船客を日本に目を向け、この船に乗せろ」

という発想に思えた。

そのアメリカ人船客が 50%、残りの不足分を同じ英語圏のオーストラリアやニュージーランド、 それに日本のマーケットで補充すればやって行けるというのがNYK案の基本にあったのです。

当時は、日本人が円高で豊かな気分になったとはいえ、10 〜14 日間のクルーズに出かける客層極めて小さく、この構想では採算的にも苦しい事は明らかでした。

また、オーストラリアやニュ ージーランドのクルーズ 乗船客は、まだ発展途上で、その多くは旧英連邦系の P&O やキュナード社等英国系クルーズ客船の船客であったのです。

料金的にも新会社が想定しているレベルより 1 ランク低めに設定されている客層で、彼らを未だ 2 年先にしか、新造船が就航しないクルーズ客船に誘致することは極めて困難だったのです。 

現実に、まだ会社の具体的な姿や船上の仕掛けなど、イメージも分らぬ段階で、数年先の配船予定だけで、船客を誘致しようとすることは、旅行会社にとっては、自分達の抱える顧客に、まだ見たこともない船にしかも乗客の期待薄の日本を含むアジアをサー ビスする新会社船を薦める無謀な商売は出来ないと考えていたのです。 

結論的にアメリカ側の「マーケットに聞く」ことを最優先することになったのです。

英語力と日本人とノルウェー人幹部船員の混乗

このプロジェクト の検討の段階でもう一つの難題があったのです。

NYKがこの客船事業を投資するから、運航上の最高責任者は、安全運航への信頼が厚い日本郵船出身の船長を前提に、船上における船員、特に幹部船員の職務権限を明確化すると言うものでした。

もし、欧米のクルーズ 船客が、幹部船員との交流が必要と言うのであれば、ノルウェー船長を接待要員としてとしての採用。

つまり幹部船員を日本人とノルウェー人の混乗だったのです。

運航面での実質的な権限や船上における指揮権は、日本郵船出身の船長が握るという発想です。

この事業が、NYKにとって、ある意味で、長年の” 念願のプロジェクト”でもあり、この事業が具体化するにつれ、それに関わる人たちの熱い感情が伝わってきたのです。

対象は、モノで はなく、ヒトであるところに問題があったのです。

当時のアメリカのクルーズ客層や旅行会社などに高い評価を得ているノルウェー幹部船員でなくても、東京側は、日本人幹部船員主導で、アメリカのクルーズ客船マーケットに参入すれば、ラグジュアリー・クルーズの覇者、ロイヤル・バイキング社はノルウェー幹部船員など、当時のラグジ ュアリー・クルーズ・マーケットの一角を占めることが出来るとの自信に溢れていたのです。

NYKの行う事業である以上、自社の乗組員を前面に出して、運航する事に対して、違和感が無かったが、それも日本のマーケットが 存在すると言う前提です。

NYKとして、特に海技の技術と歴史に裏づけされた、優秀な「船員力」で、 アメリカ人やヨ ーロッパ人が支配するアメリカの客船マーケットに一石を投じたい思いが強かったように思われます。

NYKの海務部門の主張は、本船の安全運航や操船上の技術・保船の能力 は優れているNYKの幹部船員に任せる体制が最優先事項であり、日本人幹部船員の多くもすでに海外駐在の経験もある。

これは英語も出来るという視点からの議論でした。

これに対し、アメリカ側は日本人幹部船員を中心とした船上組織構成を考える NYKの基本案に対しても懸念を隠せなかったのです。

アメリカ・マーケットを主戦場にするという方針のもとで、主要船客のニーズに、迅速にして、柔軟に対応できるような仕掛けを生み出す「便宜置籍船」として運航することが、この事業の成否を決めるとの意見で一致。

従って、幹部船員は、このラグジュアリー・クルーズ業界で一目置かれているノルウェー人を雇用するのが好ましいと結論を下していたのです。 

アメリカのマーケットの要請や国際的な混乗の仕組みの他に、英語力の問題などがクローズアップされ、以下の2 つの視点からの検討が必要だった。

1つ目は、 船上での指揮権との兼ね合いである。彼らの多くは国際船員を支配下に置き、乗船する欧州船員なども含めた500人前後もの船員と 1,000 人ものクルーズ船客を統率する共通語としての英語を通した「コミュニケーション力」が必要となる。 

2つ目は、ラグジュアリー・クルーズの評価を左右する船上でのホスト役ての問題でした。アメリカ人のライフスタイルを基本としたレジャー指向の強いクルーズ客船の評価を決める、多くの乗客に船上での滞在体験価値を高める必要あったのです。

より高い満足度を求めるラグジュアリー・クルーズに乗船すろ顧客を増やすことが、この事業の成否に関わってくる以上、生活の中から身に付いている英語力によるコミュニケーション能力と経験豊かなヨーロッパ幹部船員の特長を生かさない手はないというのが、アメリカ側の主張であった。

クルーズ旅行は、目的地や運航技術に加え船上での生活がクルーズの価値を左右するものである。

アメリカ人幹部やアメリカの主力旅行会社や乗客の描く、当時のラグジュアリー・クルーズの船上の雰囲気は、ロイヤル・バイキング社に代表されるような「サロン」や「クラブ」的な存在であった。

当然、アメリカ人船客のライフ・スタイルに入り込んだ話題・社交術が求められるのです。

「日本人幹部船員に、アメリカ人乗船客路の食事の席での会話力や話題力、アメリカの毎日のテレビのモーニングショーの話題や映画・ 音楽・芸能界の話、小説等の話題も含めて、彼等のライフスタイルを理解して、約2週間のクルーズでのテーブルで乗客を楽しませる事が出来るのかと纏ったのです。

新しくコンサルタントとして雇った彼らも、日本に行くと、ほとんどの食事の席での会話が、仕事の話、ゴルフの話、レストラン等の話で、極めてローカルかつ日本的な話題が多い印象を受けたのです。

欧米社会のような、CNN などで報道されるようなホットな話題は少なく、彼らの経験を通して、アメリカ人船客が船上で求めているような 娯楽や社会の出来事の話題は極めて少ない事を知っていたのです。

日本人の幹部船員に、 主要客であるアメリカ人、その中でも、主要な客層を構成するユダヤ系アメリカ人客に対して、どれほどの交流術があるか不安を感じていた。

また、過度にプライバシーに、踏むこめない日本人に、アメリカ人向けの愉快な会話術があるのだろうかと、 アメリカ人コンサルタントや旅行会社も疑問に思っていた。

アメリカの西海岸の旅行会社の担当者の多くは、中高年女性で、彼らの家族の中には、太平洋戦争や朝鮮戦争などに関わった人たちが、多くいたことも意識せざるを得なかった。

当時は、急激な円高による日本資本のアメリカ流入があったころだった。

特に、ゴルフ場の買収やホテルの買収や突然日本人経営になる事によるネガテイブ・インパクトなど、当時のアメリカは、日本バッシングも一般的であった。

このプロジェクトに関連し行った乗船客の反応 チェックの為の初期マーケット・リサーチによれば、年配のアメリカ人乗船客や日本人船員の優秀さを知らないユダヤ人の客層にとっては、日本人の凛々しい制服姿は残念ながら、ドイツ人軍人と同じように、映画の「パール・ハーバー」等の映画の世界の「太平洋」を思い起こさせるという厳しいコメントも少なからずあったようです。

彼らにとって、「太平洋」とは、硫黄島を含めて激戦地を意味するというユダヤ人もいる。

現実の例として、アメリカ人船客はドイツのクルーズ客船「オイローパ」を敬遠し乗船しない。ポケット・マネーを使ってまで、不快な環境に身を置きたくないのが彼等の本音らしいのです。

これは、相手の感情やサブリミナルな意識の問題であって、提供側ではコントロールできない話でもあった。

旅行会社やクルーズ船客の多くは、電気製品や車など、日本製品がアメリカで高い評価を受けている事は理解していたが、会話や接遇などが重要視されるホスピタリティ・ビジネスの世界においては、日本資本の所有しているホテルにおける、日本式マネージメントやサービス方式は、必ずしも高くは評価されていなかった。

市場調査で現実的な解決案を模索

 アメリカに滞在した多くの駐在員にとっても、10 人ものテーブルで、英語で毎日2時間の場を楽しませるためには、かなりのアメリカの生活に入り込んだ話題が求められます。

日本語のタイトルや翻訳、通訳 を通してしか接する事のないアメリカ的映画・音楽・娯楽ニュースの話題は、理解するのも簡単でないことも認識しなければならない。

このような、アメリカ側の主張もあり、NYKではこの事業に携わる主要幹部船員候補生に対してクルーズ客船に携わる準備として、英語力の向上のため日常会話についていける程度の英会話力とアメリカの文化を学びながら、接客マナーをマスターするためにホームステイなどを通して実習したのです。

アメリカ人富裕層のライフスタイルが理解でき、ほぼ毎日数時間の会話の場を楽しませることが出来るとは到底思えなかったのです。

特に、新しいクルーズ客船が注目さ れればされるほど、日本郵船が考える船上組織で、アメリカのクルーズ乗船客が求めるライフスタイルをどれ程演出できるのかといった視点での注目が、集まっていたのです。

ロサンゼルスのコンサル タント・チームとしては、最初の「プロダクト・デリバリー」でのマーケットの反応や評価か極めて重要であるとの意識が強かったのです。

また、このマーケット・リサーチでは、出きるだけ客観的に、世界のクルーズ客船における多国籍乗組員とアメリカ人クルーズ船客の混乗とその相性の側面も、更に掘り下げて調査することとしたのです。

NYKとして、全くゼロから始める事業である以上、初めてのクルーズ事業において、欧米人幹部船員や乗組員のノウハウを最大限に生かさなければならないのです。

その際に、船上に於ける従業員の構成にも大きな影響を与える多国籍間 の相性に対する理解が重要でした。

事実、世界のクルーズを見渡してみても、ドイツ船員主力の船にはドイツ人客、 同じ英語国船であっても英国船員の多い P&O の船に乗るのは豪州人やニュージーランド人で、アメリカ人は乗らないという母国客船主義のような傾向がはっきりと出ていたのです。

この辺りの背景も客観的な調査の意図するところであった。
判断の基準をマーケットに聞くと言うことでした。

コンサルタントの採用により方向性が見えてきたこともあり、以前よりス ムーズに進んだ。

次の一手は、ラグジュアリー・クルーズのマーケットを更に掘り下げ、今描いている最も望ましい「究極のクルーズ会社」の姿を引き出すことであった。すなわち、更なる乗船客のライフスタイルを十分理解する必要がある。

今までのアメリカ・クルーズ・マーケットと言った漠然とした広い意味のクルー ズマーケットから、さらに焦点を、「ラグジュアリー・クルーズの世界」絞り込んで、新しいラグジュアリ ー・クルーズに特化したクルーズ客船社の創設を想定して、将来の「ブランド創り」の核になる初 期調査が必要になってきた。 

これには、既存のラグジュアリー・クルーズ客船社やその客層に焦点を当て、全米の旅行代理店や業界関係者の聞き込みなども含め、多様なマーケット・リサーチが必要であった。このような調査を通じて、日本の客船準備室と以下のような認識を共有することとなった。 

マーケット調査の分析とヒアリングの結果

ラグジュアリー・クルーズ業界の規模や客層のプロファイルが、より明確になったのです。

客層が絞り込まれたラグジュアリー・クルーズには、世界周遊型で、季節に合わせた「多様な」寄港地・配船先に加え「船上体験環境」の充実さが、非常に重要であること。

すなわち、カリブ海などのゾーン型クルーズ運航を指向するカジュアルやプレミアム・クルーズとは異なり、ラグジュアリー・クルーズは、長期滞在のクルーズ旅行で「ワン・トリップ・ ツー・バケーション」の充実度を、 極限まで高める必要がある事が理解できたのです。 

滞在型体験には、食事等も含めた船上プロダクトとエンタテインメントの質や寄港地観光の充実度が重要な要素になるのです。

その充足感が、リピ ーター率を高めるのです。

運航における多様な寄港地と、その企画力、船上におけるクルーズ旅行者の充実した滞在体験、その結果であるクルーズ船客の満足度による判定が事業の成功の可否を決めると言っても過言ではありません。

長期滞在・体験型旅行の形であるがゆえに、船上での生活環境や、クルーズ船客が持つラ イフスタイル、そして、その旅行空間に存在する人間の織り成す相性が最も重要な要素を占めるのです。

「モノ」の質の良し悪しは、客観的要件の検証で、判断し易いが、ヒトが作り出す「サービス」 のクオリティーの基準は、受け手である顧客のライフスタイルによる「主観的基準」で判断される傾向も強い。

したがって、船上に於ける 人間関係・構成において、社会心理学的なサイコ・グラフィックの分析も必要になった。どのような生活環境を有した従業員がクルーズ船客に接するのが良いのかなどが、船上での旅行体験を演出する上で、極めて重要であり、これが顧客満足度に繋がる。

将来、企業として成長するための方向性は、2006 年以降のベビープーマー世代のコブにありこの基本設計の「長期展望」は正しいとの確信に至ったのです。

何とか、2006 年まで最低3隻を確保し、その後のベビー・プーマー世代を取り込み、成長する努力が必要であるとの判断でした。

新参会社として、このアグジュアリー客船の客層を押さえるには、2 つの分野での、既存のクル ーズ会社やクルーズ船客に対して、差別化・差異化を徹底して独自色を明確にして「WOW」(ワオ)と言わせる、独創的で積極的な方向付けが必要であることを認識した。

画像
クリスタル・セレニティでのカウントダウンパーティ

既存のラグジュアリー客船との差別化


既存のラグジュアリー客船との差別化、その答えは将来の競争相手となる船社の分析を知ることです。

その上で、絞り込んだ客層にとって重要なものは何かを考え、新規会社としての既存会社との差異化・魅力度をいかにマーケットに伝えるかの答えを探求するのです。

何か顧客に与えるインパクトが必要であること。

新しい客層は、よりアクティブな船上生活を望む。 次世代のコンピューター・システムの導入。

船上での教養教室や良質のレクチャーも重要で、アメ リカ人クルーズ船客にとって、船上は「日常性」にあふれたもので無ければならぬ。アメリカの言葉(英語)・通貨(ドル)・ライフ・スタイル(ハンバーガーもある)の延長であるべきだ(ホーム・アウ ェイ・ホーム)。

非日常性は長続きしないし、飽きられるといった調査結果が出た。滞在環境の充 実 が他社とのデフェレンシェション(差別化)に最も大切な鍵となると判断していたのです。

ターゲットとする客層に、最も近い販売ネットワークにおける仕掛け。

その主要ターゲットなる客層に到達するまでの業界の仕掛け・ 関わりやカラクリを分析した上で、旅行会社のネットワークを味方に付ける必要があったのです。

特に、クルーズ初心者にとって旅行会社が与える影響、つまり共存共栄関係を強調、関係を確立することはとても大きいものです。

この様な差別化が、マーケットに周知でき、就航後のプロダクトが期待通りなら、この業界、特にラグジュアリー・マーケットでは旅行代理店やクルーズ船客の口コミを通してブランド の浸透は早いに違いないと確信していた。

幸いな事に、各種の調査、旅行代理店網やクルーズのリピーターとの接触からラグジュアリ ー・クルーズの分野において、その当面の競争相手になるロイヤル・バイキング社が、必ずしも、 彼らから 100%の支持を得ていないことを知ったのです。

 ロイヤル・バイキング社は、このラグジュアリー・クルーズ業界で、一人勝ちの状態で有ったが、 このクルーズ客船社を所有するノルウェーの親会社 3 社が、彼らの本業である海運業での不振で、 クルーズ業に対する意思の微妙な食い違いを生んでいたのです。

アメリカの事業推進の核である ウオレン・ タイタス社長の退社、それに加え、サービス自体がマンネリ化し他に競争がない事により、サービスが傲慢になりつつあるのです。

またリピーター比率が、高くなりすぎ、平均船客層が 65 歳を超えるほど高齢化している傾向があります。

時代の変化に対応できるような新しい客を取り込む仕掛けに欠ける = 船上 における旅行商品開発力の陳腐化。人材の流失により、プロダクトに貫かれていたシステムが変容し、適切なサービス に対する訴求力に欠けているように思われるのです。

 彼らの親会社3社としての将来の展望が、不明確な事に対して、不安を感じていたし、 既に、船隊も老朽化しているにも拘らず次世代船隊像を描ききれない所に、特に旅行会社の多くは失望していたのでした。

当時、ノルウェーの親会社が同じくノルウェー資本であるノルウェージャンクルーズライン社から買収などを仕掛けられ、長期的な展望を開けるような環境でなかったのです。 

これらの調査を通して、私たちは、初期ブランドの構築には、下記が重要であると確認したのです。

旅行会社や将来の船客に対する認知 が最重要であるが、今まだ形に見えるプロダ クトがない状態では「誰が」このプロジェクトを推進しようとしているか、人材作戦を前面に出す。

ラグジュアリーマーケット進出の際、既存のブランドとの差異化がどこまで出来るかがポイ ントとの認識に至ったのです。

マーケットとの接点においては、旅行会社など販売網との共存共栄関係の構築が不可欠との結論を出していたのでした。

————————————————————————————————

旅行手配の旅行会社様からのご依頼はこちら

旅行手配以外の官公庁及び法人様お問合せ: info@celebrityworld.jp

※個人の方からのお問合せはお答え出来かねます。

————————————————————————————————-

旅行決済システムの簡素化

コンピュータ化、クレジットカードの普及により、決済システムはより迅速かつ簡便になりました。

アメリカでは、一般に現金を持ち歩くことはなかったのです。

現金を持ち歩く習慣のないアメリカ人にとって、クレジットカードは「買い手が現金を持ち歩かなくても取引ができるシステム」なのです。

クレジットカード・システムの拡充は、モバイル的なアメリカ人の生活に大きな変化をもたらした。クレジットカード会社の積極的な市場拡大戦略の基本設計は、アメリカ人旅行者の海外旅行を容易にすることと密接に結びついていたのである。

西部開拓時代から、ウェルズ・ファーゴとその仲間であるアメリカン・エキスプレスは、西部移民の便宜を図るため、郵便活動の一環としてマネーオーダーやトラベラーズチェックを発行し、米国郵政公社と競合していたのです。

第二次世界大戦後、銀行が中心となって「ペイ・オン・デリバリー」システムを導入し、1950年にはダイナースクラブがレストランを含む独自のネットワークでクレジットカード・システムを導入した。

当時、トラベラーズチェックを主業務としていたアメリカン・エキスプレスは、州間の資金の流れや旅行者などの利便性を高めるために独自のシステムを1958年に設計し。

1959年に最初のプラスチックカードを導入するなど、さまざまな工夫を凝らした。これを機に、カード網を海外市場にも広げ、流通を拡大するために供給者側の拡大が図られた。

ヨーロッパへ向かう旅行者が増えてきたこともあり、ヨーロッパでの市場拡大にも力を入れた。大手銀行のバンク・オブ・アメリカはクレジットカードを導入した。


1960年代には他の銀行が結成したインターネット・バンクカード・コーポレーションがバンク・オブ・アメリカと同様のバンクカードを発行していたのです。

1970年代には、バンク・オブ・アメリカは独自のクレジットカードを導入したが、1980年代には他の銀行が設立したインターネット・バンクカード・コーポレーションがバンク・オブ・ アメリカと同様のバンクカードを発行しています。キャッシュレスなアメリカ社会がプラスチック1枚で移動できるようなシステムが構築されつつあったのです。

コンピュータによる「電子処理」はこの管理システムに大きく貢献し、またこのカードのマーケティングや顧客管理の戦略にも大きな影響を与えた。

もちろん、アメリカン・エキスプレスや他のカード発行会社も、ヨーロッパなど旅行先で独自のネットワークを展開し始め、ヨーロッパをはじめ世界各地での流通が拡大しました。

銀行系カード会社も、他国の銀行と提携し、市場を拡大することでアメリカン・エキスプレスに対抗していたのです。

アメリカで使われているシステムを海外旅行にも適用できる利便性は、米国の旅行者に受け入れられ、多大な需要を生んだのです。

当時、全米から旅行者を集めるネットワークでもあった小さな旅行会社は、支払いに小切手や銀行振り込みに頼っていたが、このクレジットカード代理決済システムによって、会計処理が合理化され、中小企業経営者の会計処理も簡素化されました。

体験型旅行の代表格であるクルーズ旅行では、小規模旅行会社の経営者は、地元で自らの船内体験(例えば「地中海クルーズは楽しかった」「移動の手間がなく快適だった」など)の満足度の高い旅と評価されています。

このようにクルーズ旅行は他の旅行商品と比較して統計的にも満足度の高い旅行商品と評価されているのです。

自分が住んでいる地域の口コミで集客できることを体験し、これほど簡単な販売方法はないと、ますます集客に精を出すようになりました。

しかも、支払いの手間も省ける新しい旅行者誘致の仕組みは、複雑な航空券の発券よりもはるかに魅力的だったのです。
複雑な航空券の手配より、新しいシステム、つまりクルーズのセールスの方がずっと魅力的だったのでした。

————————————————————————————————

旅行手配の旅行会社様からのご依頼はこちら

旅行手配以外の官公庁及び法人様お問合せ: info@celebrityworld.jp

※個人の方からのお問合せはお答え出来かねます。

————————————————————————————————-

アメリカクルーズ業界大御所の意見

日本人でも客船評論家としてクルーズ愛好者にとってダグラス・ワード氏の名前を知っているかと思われます。

彼は趣味ではなく職業として、クルーズ客船の「格付け」をスタートし、業界に一石を投じていたのです。

世界のクルーズ客船約300隻に対して 彼独自の500項目のチェックポイントをもとに格付けし、その後、世界的なクルーズ業界の権威者として頭角を現してきたのです。

Inc. Berlitz International

画像
Inc. Berlitz International・クルーズトラベラーカンパニー株式会社

ダグラス・ワード氏は数十ペ ージのクルーズ客船乗船記を書いて小冊子にし、希望者に配布することを仕事にしていたように思われていたのです。

そしてクルーズ客船の分析をできるだけ客観的で、 科学的な手法を取り入れる評価を売りにしていたのです。

当時の業界の動向や、ハード・ソフトの両面に おけるクルーズ会社の内容を把握するのに、非常に役立ったのです。

画像
ダグラス・ワード氏が最高得点をつけた「オイローパー」船上にて

目次

  1. ダグラス・ワード氏の市場観
  2. 船内設備やサービス
  3. 乗組員に関して

ダグラス・ワード氏の市場観

  • マーケットは二分化しつつある。一つはリピーターを中心としたラグジュアリー、そして客船ビギナーや比較的低バジェットのプレミアムおよびカジュアルマーケットである。       

    日本郵船がクリスタル・クルーズ社を起業する際に当たって、ダグラスワード氏からのアドバイスを受けた際、アメリカ市場で勝負するのなら、ハパグ・ロイド社の「オイローパ」号の先例を研究することを示唆していたのです。
  • 今後日本円の強さを背景とした日本人船客が増えると予想。
    その場合に、現在のリピ ーターがどのように反応するかを充分検証した上で日本マーケットの対応を考えるべきであろう。クルーズの船上プロダクトの対象はターゲットとした、より多数の客層が中心となると思われたのです。
画像
ドイツ市場向け客船「オイローパー」のメインダイニング
  • 文化的に差別的な商品でもあるハパグ・ロイド社は、ドイツのマルクが強くなり、急激にドイツ人マーケットが拡大。特に上層階に集中したのです。

    その結果、アメリカの旅行代理店は「オイローパ」を売らなくなってしまった。結局「オイローパ」はアメリカマーケットでは敗退し、 ドイツマーケットに特化することになったのです。日本最大級のクルーズ客船「飛鳥Ⅱ」も同様に日本マーケットに特化することで、コンスタントな集客があるようです。
  • アメリカのベビーブーマー層は、自分の払う金の価値が本当にあるのか自問自答する世代でもある。
  • もし、ラグジュアリー・マーケット層を狙うのであれば、特に客層の主力は、旅行経験の豊富なリピーターであり、このマーケットに特化した旅行代理店の優良見込み客です。

    彼らの評価は厳しいもので、このようなニッチ・マーケットのセグメントは、上記のリピーターと旅行代理店のメンタル、つまり心理的側面に追うことが大きく、きめ細やかな対応を求められているのです。
  • クルーズ業界、特にプロ集団である旅行代理店の最大の販売のパートナーは極めてメディア指向であり、一度、新会社の「誤解」と「間違った情報」のイメージが定着すると回復が極めて難しいのです。

    最初の乗り出した時に、いかにラグジュアリー・マーケットのニーズ を吸収し、クリスタル・クルーズ社の方向性を納得させることが最重要とのこと。ここで失敗すると、回復に数年の時間を要すと示唆。
画像
ニューヨーク港で停泊中のクリーン・メリー2(左)とクイーン・エリザベスⅡ(右)
  • 1980年代後半のマーケットでの失敗例は、キュナード社に見られる。傘下に三様の戦隊を持っていた。

    クイーン・エリザベスII号(ウルトラ・ラグジュアリー・ライナー)、
    キュナ ード・プリンセス号(カジュアルマーケット)
    フィヨルド・タイプ船(NAC 社:ラグジュアリー)

    これらは全く異なったマーケットであるが、これを一元コントロールしようとしている。

    しかし旅行代理店からすればターゲットが不明瞭かで極めて売りづらい状況にあったのです。

    フィヨルド・タイプにしても本船のソフトとリピーターのロイヤリティでどうにかなるものの、会社としての次の 10 年のビジョンを描けていないので、新規の旅行者を他社から引き剥がすことができないのです。
  • 船体が 大きいクイーン・エリザベスII号に力を入れると、マス・マーケットの値段で勝負するキュナー ド・プリンセスとの相打ちになる。

    旅行代理店は、自分が抱えるリピーターに対して、ラグジュアリーから売ることを考えており、同じ会社に三種のプロダクトがあるのは好ましくない。もし それを認めるなら、大手のホテルと同様にホールディング解釈としてキュナードを持ち、運航などは独自に展開するのが重要だという意見があったのです。
画像
モーツァルトをイメージしたアフタヌーンティーの時間

清潔感と安心感が得られるから、これは、北欧系ホテル部門のマネージメントが長年に渡り築いた傾向と、クルーズ船客のわがままな選択以外何物でもないかもしれなかったのです。

北欧系乗組員とホテルスタッフは清潔感と安心感が得られるイメージがあります。これは、北欧系ホテル部門のマネージメントが長年に渡り築いた傾向と、クルーズ船客のわがままな選択以外何物でもないかもしれなかったのです。これはマーケットや船客が作ってくれたバイアスなのかも知れないが否定はできないのです。

  •  イタリア人従業員は、カジュアルマーケット的なイメージが定着している。親しみが持て、気楽な雰囲気を持っているがラグジュアリーのイメージではない。ホテル部門ではやはり北欧系かオーストラリア系の方が人気が高いのです。
  • ホテル部門でフィリピン人、ポルトガル人が増えているが、これは語学力や陽気さ、および接待力によるところが大きい。今後増えると予想します。
  •  ダイニングサービスにおける気安さや落ち着き、スタッフの笑顔やサービスする能力などは、クルーズ会社が、プロダクトそのものをいかに考えているかを示すものになっているのです。
  • ホテル・スタッフの教育および運航会社の組織指示体制が、7〜80%の評価比重を占めるのです。
  • 船上での不快な経験は、下船後直ちに旅行代理店を経由して運航会社の方に伝わるし、その対応を誤れば、船客の仲間を通して、ネガテイブな情報として流れてしまう傾向があります。
  • 飛行機の旅行と違い、滞在型の旅行である事を認識し、この対応処理システムの整備が必要でした。
  • リピーターは、ますますわがままになり、事前に決められた時間や席につきたがらない。

    「いつも同じ客とは嫌」

    と言う乗客も増えてきた。
  • クルーズ船客は同席した本船側のキースタッフの人物評価が好きだ。キースタッ フの身なり・ 社交性・接遇・話題の豊富さや性格に関する話題も多く、これらも船やサービスを分析する際には重要な項目である。

船内設備やサービス

船上での居住性、即ちキャビンおよび客室の広さ(スペース・レイシオ)サー ビスの質、コストパフォーマンス感、エンタティンメント、フィット・ ネス施設の質、寄港地観光の組み方も重要な評価の分かれ目であるのです。

食事の質や船客の受け、およびサービスの仕方などから見ると、欧州イタリア系基調のメインコ ースの評判が良い。また、肉食主導から植物性食事に変わりつつあったのです。

ダグラスワードにとって日本食の見解は、将来面白いだろうが、即受け入れられるかは不明ということでした。 

ニューヨークの高級日本レストランで見られる鉄板焼きやすき焼きは一般的にセルフ・スタイルに近く、ライフスタイル型クルーズには向かない。

また、料理をつくるときに危険度が高く、クレームの対象になりやすい。衣装の汚れ、においが残る。これらは洗濯代請求のクレームにつながりやすい。日本食も含めて肉料理は敬遠される傾向が強いのです。ルームサービスで弁当、うどんや冷やし麺なども興味深かったのです。

画像
「クリスタル・シンフォニー」に常備されていた醤油

ただし、しょうゆなどの日本的なにおいには注意を要するという意見。なぜなら欧米人の中には醤油を先天的に受け入れない人たちもいるのです。

日本食の場合、ベビーブーマー 世代には、寿司あるいはうどん・そば類が受け入れられるだろう。食事の定食・弁当化は避け、多岐にわたるメニューを選択させる仕掛けが必要かと思われます。

また、 日本食が、あまりにも日本人好みになり、日本人ゲストがそこを占領しだと、 アメリカ人客からは違和感や疎外感をクレームしてくるので要注意。

当時のロイヤル・バイキング社、プリンセス・クルーズ社のロイヤルプリンセス号のマーケットを狙うなら、北欧船員を前面に出すのは、アメリカのマーケットの現状では絶対必須”である。5~10 年 の長いレンジで日本人従業員(乗組員) の露出を考えたほうがよいのです。

もちろん、そのころには日本人 従業員がアメリ カ人船客に日常生活の話題や文化論を話せるエンターテイメント能力があることが必要です。

プロダクトがマーケットに出て、新会社のイメージが定着すると、この時期を早めることも可能でした。

そして最後にダグラスワード曰く

「いずれにせよ、 最初が肝心だ」と

乗組員に関して

乗組員・ホテル従業員など ・リピーターは、一般的にハイプロファイル指向の人たちで、自分が差別的に特別扱いされていることを好むリピーター・クラブのメンバーとして存在しているのです。

ヘビーリピータまだ行っていない寄港地に行きたい観光地の就航航路や船長や幹部船員は誰か、乗組員に関しては、乗船前の問い合わせも多い傾向があります。

本船の幹部乗組員には、食事中の2時間以上の場を取り成す会話力や、社交・ 接遇力が重要で、 クルーズ船客と直接物理的に接するダンスなどのサービスは、専門家に任せるのが現代の時流である。

特に、船の従業員や船長などの船客とのダンスは、船客間の批評・噂の対象になりやすく、 その距離感も重要になります。

画像
船内にて専門のダンスホストによるダンス教室

クルーズ船客とのボデイタッチや、船に対するセクハラなどのクレーム にもなりやすいので、ロイヤル・バイキング社などは、専門のダンスも出来るホストを乗せている。 この傾向は、ますます顕著になっている。 

マーケットが認知していない段階では、日本人従業員の過度な露出を宣伝するのは逆効果になるかも知れない。日本人が、モノ造りの世界で、優秀なのは知っているが、ホスピタリティの世界で、アメリカ人や英国人にはいまだユニフォーム姿の日本人従業員をレジャーな気分で受け入れるところまではいっていないだろう。

特にラグジュアリー・クルーズではユダヤ系の船客が多く、難しい挑戦となると予想していたのです。

これは、世界でも有数なクルーズ客船で あるドイツの「オイロ ーパ」という前例がラグジュアリークルーズのお手本となる。日本の「飛鳥Ⅱ」も「オイローパ」を参考にして業績を上げていることを見受けられます。

ドイツ船には映画で脳裏に刻まれた、U ボートのドイツ制服姿などが連想され、英国人は自腹を切ってまで乗らないのと同じ心理があります。

外交辞令と本音はまったく異なるのです。

貨物輸送などのように利便性や車のようにモノが、 高品質であることが実証でき、そのモノの価値がわかり易い世界と違い、人間の「主観的な」心理 に影響される業界であることを認識しなければ、この事業は成功しないと示唆。

幹部乗組員の混乗方式も、串刺し方式は乗客にとっては奇異に映るだけで、どちらかというと運航者側の都合で決まっている方式てと思われたのです。

初めは、上級は A 国・中級は B 国などにランクで船員の国籍を分ける方法もあるが、いままで の他の船の例でいえば、仕事の仕方が国ごとに異なったり、 英語理解力の問題があったりで上手く行ったこと試しがないようである。

乗組員との円滑な関係を築くには様々な課題があるようです。

————————————————————————————————

旅行手配の旅行会社様からのご依頼はこちら

旅行手配以外の官公庁及び法人様お問合せ: info@celebrityworld.jp

※個人の方からのお問合せはお答え出来かねます。

————————————————————————————————-

ユダヤ系富裕層の乗客との出会い

マーケットのカギを握るユダヤ系富裕層

アメリカのユダヤ系人口は、500 万人で、アメリカの総人口 に占める人口比率 が、2%前後。現在 650 万人であったが、その人口比率からの考えられないほどの影響力をもち、特にアメリカ の経済や政治の 4 分の 1 を左右するといわれていたのです。


※注:イスラエルには、550 万人、口シア、1900 年で 400 万人、現在 100 万 人と言われています。

彼らの経済力、社会組織力は、アメリカのマイノリティー 社会でも、際立っていたのたです。この傾向は、旅行業界においても見られました。

旅行業界においては、彼らの先祖は移民枠のない頃に、 アメリカに渡り、ロシアに加えドイツ・ポーランドやオーストリアなどの中欧系のユダヤ人を親に持つ第 2 世代が多かったのです。

彼らの多くは、親の世代に、ニューヨークなど東岸の都市や繊維産業に代表される都市に、人口が集中していたのです。

しかし戦後、アメリカの経済が大きく変容し、南北戦争後の繊維産業から、第 2 次世界大戦前後には、鉄鋼産業・自動車産業・軍需産業への産業基盤の拡大したのです。

さらに新しいサービス産業なども加わり、アメリカ中西部の大都市は隆盛を極めていました。

これによって新しい仕事を求めて、東岸に点在していたユダヤ系アメリカ人も、この新しいアメリカ経済の中核地五大湖工業地帯にあるシカゴなど主要都市に集団的に移動し、移住する傾向が見られたのです。

この時代、すなわち、親の世代に新しい仕事を求めて中西部に移住してきた世代 の第 2 世代が、 中西部の都市部で、大きな人口の比較的豊かな人たちの)瘤を形成しつつ有ったが、彼ら自身は、 中西部生まれの海を知らない世代でした。

当時、北欧系やドイツ系の移民の多くは、アメリカ中西部の都市部やアメリカ西海岸における新興都市、ロサンゼルスやサンフランシスコの住宅建材供給基地としての林業などが主な産業で生計をしていました。

その彼らの居住地ミネソタ州やミシガン州、ウィスコンシン州での厳しい冬の寒さを避け、南に彼らの居場所を求めていたのです。

このようなヨーロッパ系移民やユダヤ人社会の周りには、旧ヨーロッパ祖国への里帰り便の手配などが旅行会社の仕事の関係で、零細旅行会社が多かったのです。

例えば、ユダヤ系社会の大きいシカゴ近辺には、1973 年よりニューヨーク〜ワルシャワ便を開設したポーランドの航空会社LOTと提携。

ポーランド系移民を対象とした里帰り便専門の会社が多くあったが、彼らも、彼らが抱えるユダヤ系客層の旅行に対する変化を嗅ぎ取っていたのです。

彼らのユダヤ系顧客は、厳寒の冬を避け、キューバなど南の島々に快楽を求めるスノー・バード族が多数存在していたのです。

アメリカの航空業界最大手、パンアメリカン航空(現在のユナイテッド航空)等の国際線の急激な発達と重なり、ポーランドの冬に似た内陸のシカゴからの逃避を求め、新しい太陽を求めた旅の形に憧れていたので、旅行会社もセールスの方向を転換せざるを得なかったのです。

この様な客層には、彼ら特有のシナゴーグ等の集会や互助共同体的な生活パター ンを介して、キ ューバ観光などに、更なる注目が集まってい増田。

カストロ政権の出現で行き先が無くなり、その多くは、自動車の普及と共に、フロリダ州のマイアミなどや、急激な娯楽性を高め、滞在型の観光都市としての地位を固めつつあったラスベガスへと人は流れたのです。

その後、カストロ政権発足から数十年の時を経て、 再びカリブ海にはクルーズ客船が就航し始めたのです。

当然彼らも主要客層として、再びカリブ海へ繰り出しつつありました。

当時、提携先のビバリーヒルズにあるクルーズに特化したユダヤ系旅行者を扱っていた旅行会社のオーナーと対談し、 彼らが「海」に対する 願望が強いのかと聞いた事がありました。

答えは単純。「多くの客が中・東欧からの出身者で海を見たことが無い」と言うものでした。

この巨大な大陸の中西部では、空路網の発展なくしては、アメリカの旅行業界は、発展し得なかったと思われるのです。

この深層心理が、中西部の季節移動型のスノー・バード族を支えていたのです。

ポーランド系ユダヤ人を送り出す旅行会社としては、航空産業の規制緩和などの動きで、料金体系が複雑化し、減収になりつつあったポーランドへの里帰りの飛行機旅行より、高単価で高収入のラグジュアリークラスのクルーズ旅行を扱う傾向が顕著になった。

しかも、個人的なネ ットワークで、営業を行うスタイルでありながら、彼ら社会の地縁・血縁などやシナゴークといった特殊なネットワークや交流の機会などもあり、人的な繋がりが深く、堅く高額商品を扱うニッチマーケットで、頭角を現してきた。

ラグジュアリークルーズのリピーターとして、繰り返し乗船する傾向が強いことも彼らには好都合であった。

クルーズ会社から見て彼らは重要な存在であり、船上での「体験価値」を売るクルーズ客船にとっては貴重なマーケットでした。

帝政ロシアや中・東欧から逃れてきたユダヤ人作曲家たちは、戦前、戦後のアメリカの音楽界や映画界を支えてきたのです。

一例として、アーヴィング・バーリン「イースター・ パレード」「ホワイト・クリスマス」「ゴッド・ブレス・アメリカ」、

ジョージ・ガー シュウィン「ラプソディ・イン・パリ」 「パリのアメリカ人」

ロジャース & ハマーシュタイン「回転木馬」「南太平洋」「王様と私」「サウンド・オブ・ミュージック」などなど、、、。

これらはクルーズ旅行者にも大きな影響を与え、創業当時に就航していた「クリスタル・ ハーモニー」は、彼らの音楽などを中心とした舞台構成を約1年間演出していたのです。

その演出は大好評。

その後3〜4年は、彼らのショーはいつも満員御礼。
スタンデング・オベーションでした。

ユダヤ系ネットワークという特殊な販路

画像
クルーズ乗船後はそのままデッキでランチタイム

当時の「ロイヤル・バイキング・サン」(乗客定員:850人名)船上において、毎週金曜日に定期的に開催されるラビ主催の宗教的会合には、150人前後の船客が参加していたといわれていたのです。

このような類の乗船客の販路を探る事となりました。

ロサンゼルスの某ユダヤ系旅行会社は、当時「ロイヤル・バイキング・クルーズ」に、年間 200 〜250人を送り込んでい増田。

その集客の仕組みは、毎週恒例のシナゴークという集会所を中心とした宗教的 会合や頻繁にユダヤ人が主催する集まる席でのクルーズに対する自己体験、彼らの血縁的交流・会話などを通しての誘致活動などにあったのです。

また、ユダヤ人専門のゴルフクラブでの「クルーズの夕べ」等のイベントを積極的に頻繁に開催し、クルーズの魅力を語ることも忘れなかった。

ラグジュアリー・クルーズ客船の集客には「船上での体験」の評価が、大きな動機付けになっており、そのためには、対面誘客活動や彼らの地縁血縁色の強い社交クラブ活動においての口コミによる誘いが 非常に大きな意味合いがあったのです。

情報の伝達力が、充分発揮されるという意味では「新しいクルー ズ会社」の進出と言う情報発信をしなければならない。アメリカのラグジュアリークルーズマーケットにおいて、極めて重要なマ ーケットでした。

こうしたユダヤ系旅行会社が、全米に散らばっている零細旅行会社に発信することがラグジュアリークルーズマーケットの拡大に繋がっていくのです。

このようなユダヤ人社会の零細旅行会社は、特に中西部の中小都市や西海岸のサンフランシスコやロサンゼルス、東海岸のニューヨークなどに、顕著であったのです。

ユダヤ人社会マーケットの把握は、統計なども余りなく、極めて難しいものでした。

しかし、 これらのマーケットの多くは、全米のユダヤ系政治家の地盤と奇妙に一致していたのです。

同じユダヤ人社会でも、第 1 次世界大戦時代からの帝政ロシア下の中・東欧を中心としたアシュケナジー系ユダヤ人社会や、アメリカで出生した子供世代、そしてホロコーストを経験した後の世代や、1980年代後半のソビエト連邦崩壊後に急激に増え、イスラエルより迂回移民した当時の旧ソビエト圏出身ユダヤ系移民などが存在していたのです。

同じユダヤ系でも、それぞれの行動パターンは異なっていました。

近年移民して来た旧ロシア系ユダヤ系の人たちは、旧体制下での富もあり、行動も積極的であり今後のラグジュアリー・クルーズにおいても新しい影響を与えるものと思われたのです。

その他、ペルシャ系やアルメニア系ユダヤ人社会とスペインなど西欧系、メキシコなど中南米系 ユダヤ人社会の旅行観が違う事も新たな発見でした。

同じユダヤ系アメリカ人でも第 2 次世界大戦前から移住し、子孫は生まれも育ちも根っからのユダヤ人と戦後のヨーロッパの政情不安てによってアメリカに移住してきたユダヤ人とも、その考え方は異なっていたのです。

カリブ海旅行に対する考え方も、戦前から、長く東岸に定住しているユダヤ系アメリカ人は、保守的でそれほど熱狂的てではない傾向です。

経済の発達に伴い機会を求めて中西部に移住した第 2 世代は、カリブ海クルーズ指向が強いといわれる。

彼らの多くが、ポーランドを初め、中・東欧からのユダヤ系移民で、「太陽と海と青い空」に対する考え方が違うが故であると言われていました。

遥か昔18 世紀のゲーテの「イタリア紀行」や、昨今の北欧やドイツなどの富裕層が、地中海スペインや旧ユーゴスラビア、特にボスニア・ヘルツコビアなどの海岸に、冬の住処を求めると同じ心理かと思われていたのです。

ユダヤ人の客層にとって、そのサービス海域も重要で有ることが分かった。イスラエル寄港は多くのユダヤ系乗船客の強い希望であり夢でした。

またアメリカの南西部に旅行代理店を展開する、 スペインやフランス系出身のユダヤ人旅行会社のオーナーは、スペイン・南フランスなどの寄港を提案していたのです。

一方、当時のユダヤ系の旅行代理店から、日本を含めたアジアへ行きたいとの要望は、極めて少なかったのです。

つまりアジアは彼らにとって最も遠い、遥か彼方の観光地でした。

ここで彼らの日本社会との関係の疎遠さを感じたのです。

その後、1990 年代初めから、このような地方に根を張るユダヤ系の零細旅行会社が「ヴァーチェソロ」や「シグネチャートラベルネットワーク」等の主力コンソリデーターなどの出現で集約され、現在のラグジュアリークルーズ市場の約40%前後は、彼らによって握られるいると言われてました。

彼らの希望する旅行先は、特にイスラエルやフレンチ・リビエラなどは人気が高いのです。

1990年代の湾岸戦争やイラク戦争の頃には、彼らは過敏に反応し、結果として、地中海クルーズは、彼らから敬遠されたのです。

その代替寄港地として、アメリ カ国内クルーズであるアラスカや北欧や南太平洋クルーズが、人気を集めたのです。

ユダヤ人人口:総人口比の高い州TOP10

2020 年版 「アメリカユダヤ年鑑」によるアメリカ国内のユダヤ系アメリカ人の人口推移が以下のように記載されてました。

数字はあくまでも目安ですが、かなりの整合性があると思われます。

・1位 ニューヨーク州  1,618,320(人) 総人口比 8.4 %
・2位 カリフォルニア州 1,194,190(人)総人口比 3.3%
・3位 フロリダ州 653,435(人) 総人口比 3.7 %
・4位 ニュージャージー州 480,000(人)総人口比 5.5%
・5位 イリノイ州  278,810(人) 総人口比 2.2 %
・6位 マサチューセッツ州  275,030(人) 総人口比 4.3 %
・7位 メリーランド州  235,350(人) 総人口比 4.2 %
・8位 コネチカット州  111,830(人) 総人口比 3.2 %
・9位 ネバダ ユダヤ州  69,600(人) 総人口比 2.9 %
・10位 ワシントンD.C ユダヤ人口 28,000(人) 総人口比 5.1 %

このようにしてアメリカのクルーズマーケットとしては、彼らの存在はなくてはならないものであるということがこの統計で理解できるかと思われます。

旅行手配の旅行会社様からのご依頼はこちらのフォームをご利用ください。               旅行手配以外の官公庁及び法人様お問合せ: info@celebrityworld.jp          ※個人の方からのお問合せはお答え出来かねます。