戦後の空路や陸路における輸送手段の急激な変化は、人口集中都市と滞在型リゾート地の距離を急激に近付けることとなるのです。
シカゴやニューヨークなどの人たちは従来の東海岸のニューイングラ ンドやメイン州など「夏の避暑地」で滞在型旅行に加え、昼間はビーチやプール、夜はカジノと ショーを求めて、フロリダを含めた東南諸州やカリブ海諸国まで広がり、「冬の避暑地」として滞在先の選択肢を広げることになったのです。
ケンタッキーや北マイアミ一帯のカジノやキューバに加え、新型ラスベガスなどのカジノやショーを含めたエンターテイメントを織りこんだ滞在型の旅行スタイ ルが以前にも増して注目されました。
当時のキューバの情勢不安もあり、砂漠の中の新興都市ラスベガスには、中西部を中心とした輸送組合などの年金を原資とした資金が流れ込み、この新興観光地の急激な成長を助け、 超大型ホテルの新設や増床など、同地のホテル業界を刺激していたのです。
資金力を盾に、新規開業ホテルは、 従来の小規模滞在型設備の発想を一掃し、大規模な滞在施設とカジノやショーも満載した大規模滞在型旅行の滞在地としての新しいビジネスモデルを創ったのです。
60 年代に入ってカジノ事業の透明性が問題となっていたのです。連邦政府の税制上の締め付けと州当局 の積極的な介入が、従来からの「負の遺産」(マフィア支配のスキミング防止策を一掃させること に成功したのです。
ハワード・ヒューズやカーク・カーコリアンなどの「事業家」のカジノ産業への参入や州政府の企業によるカジノ産業に対する行政上の諸対策も後押しとなり、ヒルトンホテルなどの 国際的ホテル会社などによるラスベガス進出が可能になりました。
彼らの多くは、ラスベガスの将来は カジノ産業から脱皮。
劇場や多くのレストランなども備えた総合エンターテイメント都市とし て発展にあると見ていた。彼らは、今までのカジノ産業都市を、家族も楽しめ、イベントもできる新しい滞在型の観光都市として積極的に売り出しました。
1960 年代後半には、ロサンゼルスやハリウッドからのスター・エンターテイナーなども呼び込み、 ラスベガスは「カジノ」「ナイトライフ」も備えた新しいテーマパーク型滞在観光としとして基礎が築かれました。この頃、ラスベガスは、健全かつ最も安全な都市となっていたのです。
このような環境の改善 により、ネバタ州や観光当局は、コンベンション・センターの設備的な拡充を進め、一方、民間の 資本で成り立っているのです。
ホテルなどの宿泊施設や夜間の健全な娯楽は、全米からのイベントや旅行 者を誘致することに努め、更なる安定成長のために、リピーター対策も強化したのです。
西のラスベガスと同じように、東のフロリダ州オーランドも新しい滞在型のリゾート都市を「家族滞在型」のディズニ一ワールドとして急激に発展してきたのです。
この新しいリゾート都市は、 娯楽産業、ディズニーの周到にして長期的な視野に基づく壮大なプロジェクトに沿って拡大プロジ ェクトに沿って拡大していたのです。
1963 年頃から建造計画がなされ、土地の買収を進めていた。1971 年「ディズニー・ワールド」などの巨大な家族型遊園地と滞在型ホテルを完備したテーマパーク型都市の誕生となったのです。
ちなみに隣接のエプコット・センターは1982 年開園。
そしてディズニーランドなどでの体験した喜びを、次世代や孫の代に繋ぐ経営思想があるのです。
これら都市では、更に裾野を広げ、総合エンターテイメントの大型宿泊施設を備え、ますます「テーマパーク都市」化へ発展していくこととなるのです。
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