アメリカ人旅行マーケット概要

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富裕層インバウンドの中で、クルーズは非常に重要な項目であると思います。

最近では日本でもクルーズを楽しむ方は増えてきたものの、
未だ富裕層のための旅行という概念が日本では根強い傾向にあります。

日本人以上にクルーズを楽しむ国はアメリカです。 

マーケットが日本の数十倍の規模です。

そこでメッカであるアメリカでのクルーズ客船事業に参入検討と
戦後アメリカの時代背景を辿ってみたいと思います。


第二次世界大戦後のアメリカは産業基盤が変わり、軍需産業が大きく成長。特に西南部のシカゴなど五大湖周辺都市や、ピッツバーグなどを中心とした一帯は大工業地帯と言われるまでになったのです。

労働者層を中心とした都市部人口の急増は、彼らの生活スタイルを変え、仕事場から離れる休暇や旅行にも及ぶのですのです。
 
当時の女性の労働参加の活発化は、家庭の収入構造も大きく変化し、時間とお金に余裕が出てきたのです。


家族などを訪ねる里帰り旅行や家族との再会とは異なった季節に合わせた滞在型の新しい旅行を好むようになりました。

寒さが厳しいアメリカ中西部を中心にした寒い北国の人たちがスノーバードと呼ばれる、南の島の「太陽と海」を求める旅行者群が増えたのです。

彼らは避寒を求めてカリブ海へ移動。

この南の島々では、太陽と海以外にも北の生活と異なる環境に新しい発見をしたのです。

自分たちの「滞在体験」に刻まれ、この地域を繰り返し訪ねては滞在し、リピーターとなり、安定した旅行者層になったのです。

当時のパンアメリカン航空(現在のユナイテッド航空)などの航路網の拡大に伴い飛行機を利用した旅行が拡大し、遠距離旅行を刺激したものもこのでもあります。


第二次世界大戦から15年後の1960年代は、テレビが普及するようになりました。

有力テレビ局のABC社はワーナーブラザーズ(TV)と組んで、ハリウッドをベースにした「サンセット77」(1958年)ニューオリンズを舞台にした「バーボン・ストリート」(1959年)マイアミの太陽の下、展開される「サーフサイド・シックス」(1960年)がゴールデン・タイムを独占していたのです。

このように、アメリカ各地を“ロケ地”を舞台にした、屋外型のモビリティを中心としたストーリーに焦点を当てたのです。そして各社のテレビ番組は、新しい旅行世代に国内各地や海外に新しい「旅行目的地」への誘惑を後押ししたのです。

当時の大統領であったアイゼンパワー氏が推進したことも牽引力ともなったのです。

アメリカ国内の高速道路の整備は、個人や家族旅行にも、自動車や大型バンなどの機動性が重宝され、定期遠距離バスや鉄道に依存していた旅行スタイルも急激に変化することとなったのです。

第二次世界大戦前は、移民船の寄港するアメリカの東部の都市からの「移民の道」といわれ、1960年には退役軍人の家族などが新しい職を求めて移動したシカゴからロサンゼルスまでの高速道路「ルート66」は、この高速道路沿線で起こるエピソードを素材にしたテレビ映画でした。

海を知らない内陸部のアメリカ人に、「サンサンと降り注ぐ太陽に青い空、そして温暖な町と太平洋」をアメリカ人の脳裏に思い描かせることに成功し、自動車での旅への衝撃をかきたてたのです。

そして自家用車の普及により大陸横断鉄道などを担っていたアムトラックなどの鉄道会社も、この事業から撤退を余儀無くされることになった時代背景があったのです。

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