時は1988年 5月、サンフランシスコでの旅行代理店等とクリスタル・クルーズのプロジェクト関連の話題に関して直接意見を聞く機会がありました。
この意見交換会での議論の多くは、アメリカ人乗船客に対する接客能力に関しての話てがメインだったそうです。
クリスタル・クルーズの経営首脳陣は、NYKが運航するクルーズ客船でもあり、何とか日本人幹部船員を新造船に乗せたいと強く思っていた。
しかし、サンフランシスコなどでアメリカの旅行代理店などの率直な意見を聞いているうちに、NYKの海務関係者の説得には、更に中立的な調査による分析が必要として、更なる調査を命じたのです。
1990年になって、アメリカとして客観的な調査を開始。
まずは新会社、クリスタル・クルーズ社の在り方。組織問題等の話題になりました。
日本とア メリカを駆使して、幹部国際船員の混乗や英会話力なども含め、アメリカのクルーズの販売の前線にいる旅行代理店網やクルーズ乗船客。
特にラグジュアリー・クルーズの主客層であるユダヤ系アメリカ人乗船客などの「本音」を聞く事にしたのです。
主観的な議論を避け、できるかぎりアメリカマ ーケットに聞き、彼らの見方・客観的な分析との対応を優先したのです。
アメリカ市場が最も求めるプロダクトを作らねば生き残れない事を当時のクリスタル・クルーズの幹部は知っていたのです。
旅行代理店や乗船客の見方・価値など買い手価値をどれだけ実現できるか?
この事業で生き延びて、アメリカの起業コンサルタントなどとの接点を通して、この事業を成功させるため残る鍵であると感じていたのです。
先ず、販売網である旅行代理店などのマーケットの反応を調べる事とした。
アメリカでのクルーズ客船の集客は旅行代理店を中心としたデストリビューション・ ネットワークに依存している以上、仮に彼らの意見がきわめて偏見に満ちて溢れていたのです。
就航実績のないクリスタル・クルーズの現状下では黙って謙虚に聴くしか方法はなかったのです。
調査で、旅行代理店からは以下のような多くの厳しい質問が浴びせられました。
・日本郵船の日本人幹部船員の語学対応およびクルーズ客対応能力については一切判らないが、在米日本人駐在員等や家族との接触などから推察すると国際レベルで中以下ではないのか?
・ノルウェー人船長と一緒に働くと言うが、緊急時にノルウェー船長の指示に基づき、自分たちが 送り込む)アメリカ人クルーズ船客に迅速に対応できるのか?
・クリスタル・クルーズは、ラグジュアリー・クルーズとは言っているが、乗船客を初めての試み(日本人とノルウェー人上級船員の混乗)の「実験台」にするとはどういうことか?
以上、旅行代理店の多くは、貨物船の経験と接客が重要視されるクルーズ客船とでは、安全運航への対応がまったく異なるのです。
そのコミュニケーション能力が重要ではないかと、緊急時の 日本人幹部船員のランゲージ・コミュニケーション」能力はどの程度かをとりわけ危惧していたのです。
まず、新会社の在り方、組織問題などの話になりました。
文化や価値観、考え方が日本とアメリカの溝を埋める方法を模索されていたようです。
例え話としてコンサルタントから得ていた情報などを元に、アメリカのメジャーリーグの野球チームの組織などの話をしました。
球団経営とその現場である野球場での監督選手の行動責任などの明確な分離について首脳陣に話したのです。
現場の監督が活動しやすいように、現場の選手に対する差配は球団はしない。 しかし、勝負の結果に関しては、契約を元に口を出すといった、棲み分けを明確にする必要がある のではないかとお話をしたのです。
販売網である旅行代理店には、アメリカ人幹部などのノウハウや経験を中心に置き展開することが必須条件でした。
彼らが、ある程度自由な判断で活動できる環境が重要ではないかと言う意図でもあり、乗り出し時は、ブランドが確立するまで、NYKというの会社のブランドより、アメリカで採用した欧米の幹部経験者の力を優先する仕掛けではなかったのかが懸念材料でした。
このプロジェクトの素案創りの段階から、アメリカ市場を前提にすれば知識も経験も少ない投資家側の主張よりも、「郷に入っては郷に従う」仕掛けが、重要だったのです。
日本には、NYKや他の会社が築いてきた日本の常識やスティタス・歴史は有るだろうが、この事業は、アメリカで展開する以上、投資家であるNYKが、アメリカの仕掛けに あふ程度任せる寛容さが無ければ、将来もこの異文化の軋轢は残り、上手くいかない可能性が高いと思われたのです。
ここは日本の常識を超えた、新しい世界基準に基づいた組織や仕掛けを考えるのです。
このような日本の常識が、世界基準では必ずしも受け入れられていないことを経験的に理解していたのです。
この会社経営に横たわる日米間の考え方の違いに加え、日本郵船が採用した「便宜置籍船」を基にした新会社の船舶運営やこのところ顕在化していた日諾幹部船員問題についても話をすることが出来たのです。
しかし、他のアメリカの有力クルーズ会社の経営から得た知識を元に議論すると、この事業 は、クルーズ先進国やマーケットを攻めながら、新しい会社としてのプランドを創る必要があったのです。
投資家である日本郵船の自社都合で、マー ケットの意向と対立することは、全くゼロから始める会社にとって本末転倒ではないのかと思われていたようです。
今回のNYKの英断である便宜置籍船の持つ特性を最大限に活用して、他社の追従を許さぬ地位を確立するという発想があったのです。
その実現のためには、この業界で経験が豊かで、ラグジュアリー・クルーズの基本をなす幹部人材に対するアメリカの販売網の評価が高いノルウェー人幹部船員たちの経験を軽視・無視する考えは成立しません。
彼らの経験を最大限に使い、それに更なる革新を加えて、既存の船社に対抗する戦略が賢明かと思われたのです。
新造船や建造や営業開始等、時間的な要因を考慮して、アメリカクルーズ業界にて未経験である以上、我々の置かれている立場を謙虚に理解するしか他に無かったのです。
米国クルーズ業界で最も評価の高いといわれるノルウェーの幹部船員を核にして、この事業を乗り出し、NYKとしての日本人幹部船員の登用については、5〜10 年後を目処に見直すことも可能にする方法もあったのかも知れません。
NYKの運航部門が熱意を持って、世界に通用するクルーズ会社の運航を主導したいと主張しているのであれば、具体的な目標を立て、幹部船員候補生に積極的に、他の欧米の客船での長期研修やアメリカ社会にどっぷり浸かるような長期英語・文化研修制度を導入する事なども考慮すべきかと思います。
このアメリカや世界の最高レベルでのクルーズ事業の挑戦が今後も続くという事であれば、クルーズ客船向け幹部船員の養成に関しても、日本郵船として、抜本的な体制を検討する必要があるのではないだろうかなどと議論したのです。
明治時代に、NYKが日本で始めて外航海運を始めたころ、航海に対する知識が無かったそうです。
その窮状を解決するために、イギリス人船員などに任せたエピソードがありました。
同様にクルーズも、運航面以外の多くの船上における業務や乗船客との交流を考えると、将来を見て、じっくりした対応が必要かと思われたのです。
乗船客とそれを接客する船上の幹部船員との関係は、社会心理学のケミストリーの世界だと実感したのです。
ラグジュアリークルーズ事業は、高いクルーズ料金にもかかわらず、自前で、船上での滞在中の時間を楽しみを求める乗船客で成り立っているのであって、それを満足させる仕掛けが不可欠なのです。
乗船客の大半は、アメリカでの生活形態の”日常性”をそのままクルーズ客船と言う滞在空間に持ち込み、その環境で世界を周遊する人たちなのです。
彼らの日常の生活において、彼らの交流の基本である言葉の問題(英語)などで苦労があってはならないのである。使い勝手の利便性などで、相対的に判りやすいモノの価値観とは異なり、船上で経験するソフトや コンテンツには、それに参加する乗船客の主観的意向が働きやすく、まさに人間関係が織り成すケミストリー(相性)の世界なのです。
企業側の”主観的な”判断や経験で良いと思って も、対応される乗船客の主観は別のところにあるのです。
彼らがクルーズを楽しむために用意した旅行資金を、新会社のために使ってくれるかどうかは、彼らしか決められないからです。
世界を舞台にしている日本郵船の幹部船員も、この分野においては全く素人であり、言葉の問題 に加え、この経験不足は即戦力を活用し、世界基準の実現には、時間が掛かりすぎたのがネックだったようです。
マーケットや相手が何を考える かを予見して、出来るだけネガティブな環境を避ける舞台づくりを優先せざるを得ないのでした。
より客観的なデ ータを下に議論を詰める事にしていたが、その多くは「船も就航していない段階で、サービスの実績を示す前にイメージだけで不要な先入観を商品開発の過程で入れないほうが良い」と言うのが、PR 会社や各種の覆面調査を経た旅行代理店や将来の潜在的な乗船客の意見でもあった。
当時クリスタル・クルーズは、まだスタートしていないのでした。
理想は日本郵船の船長が前面出て、接客の面でも堂々とアメリカ人乗船客とやりあえて、ノルウェー人幹部船員などを自由に使えればよいのであると思案したこともありました。
しかし、当時のアメリカ人幹部が、日本から出張してくる 船員などとアメリカ人幹部との日常会話などを通して、現在の「英語力」「会話力」 では彼らは残念なが ら納得しなかったのです。
戦前の日本郵船の欧州航路の客船は、行き先が決まった日程で、そこに辿りつく事が最優先されていたのです。
そのためには、船上の会話や滞在環境などよりは、目的地に少しでも早く着くことが最優先されたのである。
それに対して、自分のポケットマネーで好きなことを自由に楽しみ、時間に対する満足度が勝負の現代的なクルーズとは全く目的が異なったものでした。
ここに、戦前の日本郵船の客船と戦後の周遊を目的とした「時間を買うクルーズ」との違いがあったのです。
「その第一番に乗る日本人の英語力などが今問題になっているのです。
まずは第一船の事業展開を成功させなければならなかったのです。
次の段階として第二、第三船も建造し、就航させてこの道で成長することを望んでいたのです。
乗船客のニーズを満たし、同業他社との競争に勝ち残ってこそ、未来を開けてくるものです。
これら現実を前に、日本郵船本社も決断した模様でした。
船上の組織、特に指揮系統に関しては「マーケットの要請」を受け入れ、ノルウェー・システムすなわちノルウェー船長の下でノルウェー副船長と日本人副船長を配し3 人の船長体制を構成し、機関部についても ノルウェー・システムを日本人幹部機関員が補佐する体制が出来上がったのです。
また日本郵船から派遣されるクリスタル・クルーズの海務担当執行副社長は経営・監督業務に専任する事になったのです。
この方向性に関してはクリスタル・クルーズのアメリカ人幹部も全く異論が挟めなかったのです。
新規事業の立ち上げでもあり、これからの事業の方向性と自分たちの置かれている状況を、客観的に見詰める事が重要であり最初のボタンの賭け違いを何としても避ける必要があったのです。
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