和食のカリスマ「NOBU」を船上に

クリスタル・セレニティ和食レストラン「Silk Road」にて

クリスタル・セレニティの建造計画が、具体的に進展していた2001 年 2 月クリスタル・セレニティの船上のソフトに付いても、新しい試みを演出する事となったのです。この頃はクリスタル・クルーズの客層も大きく変化しました。

より活動的で、新しいものに挑戦をしたがる客層が増えてきたのです。

特にスペシャリティ・レストランは、 イタリアン・レストラン・プレーゴ(Prego)は、流行の最 先端のハリウッドのセレブにも人気の「ヴァレンチーノ・レストラン」のオーナー・シェフ、セルバッジオの特別メニューを中心として検討を始めたのです。

一方、2002 年ごろはこの事業を開始した 1990 年ごろと比べると、アメリカの社会でも、日本食に対する見方が変わってきたのです。

そのアメリカ人の 食習慣に大きな影響を与えた日本食のシェフがいた。

松久信幸さん、通称「ノブ」さんです。

ノブは、 日本料理を主としたレストランを、ロサンゼルス、ビバリー・ヒルズで展開し、高 い評価を得ていた「松久」のオーナーシェフです。

クリスタル・ハーモニーの就航間もない、 1992 年 2 月のオーストラリアやニュージーランドのクル ーズの際ノブを、船上のゲストシェフとして招待。その目的は評判の芳しくない「京都」レ ストランのメニューの見直しと、彼が提供する料理がアメリカ人に受け入れられる理由を知りたかったのです。

このように、多くの機会を通して、クリスタル・ハーモニー 船上での、日 本食レストラン「京都」での苦労、その後のクリスタル・シンフォニー 船上における「ジェード・ ガーデン」の運営などに関して、よく松久氏に相談をしていたのです。

ビバリー・ヒルズに店を構える「松久」は、その料理の独創性と、未経験の和 メニューを試食するアメリカ人へのスタッフの対応力などから、店内はアメリカ人客であふれていたのです。そして彼が関わる新しいレストラン・チェーン「NOBU」の料理は、欧米では圧倒的な評価を受けいるカリスマシェフでした。

なぜ、彼の店はアメリカ人であふれている理由は、料理の内容や素材の質、プレゼンテーション、優秀なシェフと初めての客にも食材を説明できるウェイターなどや、尋ねてくるお客様の相性と彼らが織し出す独特の臨場感にあったのです。

また「松久」には、ベビー・ブーマー 世代の食に対する感覚を先取りする進取性や先見力があったのです。特に寿司の巻物のみならず、アメリカ人のお客様が生の寿司を、 未経験お客様にも食べやすい料理にする独創性があったのです。

日本食はその食材の手配に困難がともない、高級素材をもとにする「松久」や 「NOBU」並みの食材を維持するとなると、クルーズ客船上のメインダイニングルームやイタリアンレストランなどで供する食材コストの数倍もかかるのです。

クルーズ客船社にとって平均1日1 人10 ドル〜15ドルの予算が目安の料理コストを大幅に上回っており、それも食べ放題 がクルーズでの食生活の基本です。

それに加え、席数 80 人が時間代わりで最低3シフトものクルーズゲストが訪れるとなると、コストはイタリアンレストランの数日分に相当するのです。

このように世界各地を周遊するクルーズ客船で、日本食を提供しながら採算的に維持することは非常に難しい挑戦だったのです。

第三船の建造の機会に、「NOBU」の協力を打診してみた。クリスタルクルーズの幹部は、船上での手配となる食材コストに制約があり、通常の日本食に掛けるような予算は無いことをノブに話した上で、このように切り出したのです。

「Matsuhisaスタイルの料理とサービスをクリスタルクルーズ客船上で導入し、世界に紹介したい。わが社の新しい船に協力していただけませんか」と打診したとこる松久氏は即座に無償で協力をすると快諾してくれたのです。

この協力が実現すれば、世界にも広がりつつある「松久」や「NOBU」のブランド力を得て、この食材コストを充分にカバーできるような仕掛けができるのです。

クリスタル・クルーズとして、”松久スタイル”の日本食を提供するに当たり食材費のコストア ップについては、松久信幸としてのシェフのカリスマ価値と「松久」や 「NOBU」のブランド価値を宣伝費と割り切ってしまうという思考でした。

通常「NOBU」で食事をすれば通常100ドル以上もするが、クリスタル・ セレニティ船上では無料でしかも食べ放題と言う寄せ効果と、そのコストを天秤に掛けた発想でもあったのです。

こうして、第3船クリスタル・ セレニティでNOBU監修の「シルク・ロード」が誕生したのです。その後、クリスタ ル・ シンフォニーも、スペシャリティレストラン「ジェード・ガーデン」を「シルク・ロード」へ変更しました。

この結果、クリスタル・セレニティ船上での「シルク・ロード」は、誘客の仕掛けでは「マーケットでの効果」を発揮した。オーナー側には批判的な人たちもいるので、余り彼の名前を出さぬ方が良いのでないかとの意見もありました。

「松久」での客層を考えると、クリスタル・クルーズの発行する「クルーズ・アトラス」という年間航海スケジュールを網羅したパンフレットのみならず、多くの社外向け出版物に、ノブ自身を積極的に露出し紹介すべきと、マーケッティングの窓口に提案していたのです。

クリスタル・クルーズの宣伝を通して、欧米に広がる「NOBU」への援護射撃であると同時に、世界各地の「NOBU」で試食する食通な客層に、クリスタル・ クルーズを売り込む事が必要と考えたのです。

NOBUの提供する日本食を世界を漫遊する クリスタル・クルーズの船やそのゲストを通して、世界に広く知らしめ日本食の世界で、「ウイン・ウイン」の関係を構築を望んでいたのです。

日本食は、新しいエスニックへの挑戦であっ たが、クリスタル・クルーズに乗船する日本食 に不慣れな客層、特にクリスタル・ クルーズの主要顧客であるユダヤ系クルーズゲストからも彼の独特な料理手法は高い評価を得たのです。

彼の持つカリスマ性は、ハリウッド映画界や音楽界などへの露出度も高いのです。

クリスタル・クルーズの日本食導入のための食材コスト上昇を相殺 するに充分と判断していたのです。「松久」や「NOBU」としてのブランド価値を最大 限に利用できることも意味があったのです。

就航後は、クルーズゲストにとっては「松久」や「NOBU」 並みの高級素材の食事を、それも陸上の「NOBU」等で食事をすれば、1 人100ドル以上に相当する食べ放題かつ無料であり好評を得たのです。

かなり過剰サービス的と思われたのですが、クリスタル・セレニティ就航後、以下の点でクリスタル・クルーズにとってはかりしれないポジティブ効果があったのです。

・「NOBU」のトレードマーク価値シェフとしての松久氏の個人の魅力や「松久」「NOBU」社員の彼に対する尊敬の念と忠誠度。

・松久氏自身の社員に対する配慮、船上で働くことの苦労や厳しさ。

・他社との差異化。

・ 運営面このプロジェクトを進める上で、ノブの推薦するシェフの中口氏が、このこのプロジェクトの中枢で、「NOBU」スタイルと定着させる事に非常に大きな貢献をしてくれたのです。

また、アメリカ人が好きなものを食べてもらうに当たり、ウェイターが食材をよく説明する・創意工夫や世界的なロジステックス網や人材調達、ウェイターの説明力アップも各段に改善されたのです。

NOBUの起用の話を打診した初期の段階から、このコンセプトの採用には、本社側から異論が多々出ていた。

彼らは、東京に展開している「NOBU TOKYO」を数度尋ね試食し、その料理は、日本郵船が求めているようなものではないという厳しい要求が来ていたのです。

日本郵船の上層部の描く日本料理は「稲菊」とか「吉兆」のような日本を代表する純和風料理であり、それを船上でも同等のものが出せないのか?

「NOBU」の料理は日本食ではなく「創作料理」 じゃないか?

日本人乗船客は、「NOBU」の料理よりもっと、高級感と知名度の有るメニューを期待している等、日本の中に有る議論やパーセプションで、何とか”純和風のレストラン”か、割烹料理的なものができぬのかと言う。

本社が、まがい物の日本食を出しているのでは「サマ」にならないと言う意見。日本郵船がメニューを創り、それを「NOBU」で創ってもらってはどうか等といった暴論もあったほどです。

クリスタル・ハーモニーの和食レストラン「京都」導入 時と同じ議論が繰り返されたのでした。日本郵船本社の幹部は、クリスタル・ハーモニー建造の時から「純和風」に強いこだわりがあったのは事実でした。

日本郵船が配船するクルーズ客船でサー ビスをする以上、戦前の貨客船時代からの日本食を広めたような使命を持って、正統な日本食を提供し、その日本食の良さを世界に広めるべきだと言う肩に力の入った意見が大勢を占めていたようです。

当初は同じ主張をしていた幹部陣が「吉兆」などに 接触し純和風料理を模索したが、そのロジステックスも含めた運営面での難しさを知ったのです。

日本食にこだわる気持ちは理解できるのですが、 クリスタルクルーズのマーケットマーケットであるアメリカ人ゲストの嗜好を優先に考えるべきであるとして、議論はしばらくの間平行線を辿っていたのです。

創業の頃議論したアメリカ人クルーズゲストのマーケットに聞くべきだと現場再度では主張していたのです。アメリカで成功している「松久」「NOBU」を見る目はクリスタル・クルーズの主要客層であるアメリカ人と、東京に居る日本人とに、大きなギャップがあったのです。
投資側の日本郵船本社の幹部がロサンゼルスに来た際、松久氏が経営するレストランに案内してそのコンセプトを体験させたのです。その結果アメリカ側のニーズを優先すべしと、反対の意見も多かった上司や社内説得を展開となったのです。

2年余の時間を経て、アメリカ人にとってブランド 価値がある松久信幸氏のコンセプトが採用に至ったのです。

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船上日本食レストランへの挑戦

「クリスタル・セレニティ」の建􏰀計画の過程で、この業界において「ワオ」と唸らせる仕 掛けが必要がありました。

その仕掛けを見つけ出すために、クリスタル・クルーズの最も弱点を検討したのです。

その結果、クリスタル・クルーズの特徴は何か。その今までの歴史や或いは経営の背後に居る日本郵船本社とも議論した経緯があります。

創業の頃、このアメリカのホスピタリティ業界で、日本の企業としてのプレゼンスは、なかなか、 評価されなかったが、創業 10 余年を過ぎ、今や、数々の高い評価を得て、このラグジュアリー・ク ルーズでは最先端を行くまでになったのです。

常に、トレン ド・セッターとして、世界の海を駆け巡らなければならない使命を感じていたのです。そのような中で、アメリカのクルーズ業界やクルーズ船ゲストに、日本郵船が構想している、日本食に挑戦しようとの判断に至ったのです。

それが「クリスタル・セレニティ」の船上の一角 を占める「シルク・ロード」 +「スシバー」でなのです。

第一船、クリスタル・ハーモニーで苦戦を強いられた日本食レストランについては、「京都」の 運営面で、問題百出したこともあり、第二船クリスタル・シンフォニーでは、オリエンタル・レス トランとしてジェイド・ガーデン(Jade Garden)を開設しました。

これは、ロサンゼルス・サンタモニカ に、「シェノワ(Chenois)」を経営していたアメリカのセレブレティ・シェフ、ウルフギャング・パックの指導によるものであった。アジアンフージョンと言えるものであったのです。

クリスタル・クルーズ はこの様な食の文化にも挑戦をしてきたのです。

しかし、創業以来、日本郵船として何とか船上で上等な和食の提供が出来ぬものかというのが、まだ解決されていない大きな課題がありました。

特に、日本郵船としてのこだわりは和食。

「クリスタル・ハーモニー」で、当初のサイズを半分にして始めた「京都」は、極めて不評であった。これには主に4つの問題がありました。

(1) クリスタル・クルーズの主要客層であったユダヤ系アメリカ人や年長者にとって、日本食は、極めてエスニック食の強い料理という印象。

(2) 料理の段取りの複雑さ、スペース、シェフの個性

(3) 人材や食材の調達の難しさ

4) ク ルーズ船客へのコミュニケーションの難しさ

などなどもあり、和食色を抑えて、アジア風フージョ ン料理に提供などを試みてきたが、どれも不満足の様子でした。

アメリカ人クルーズゲストにとっては、 クリスタル・シンフォニーの中華料理「ジェード・ガーデン」 の方がクリスタル・ハーモニーの「京都」よりも相対的に高い評価は得られたのです。

しかし乗り出し時期から試行錯誤を重ねてきて、問題点も判ってきたのです。

新造船の建造のプランが具体化する過程で、アメリカ人ゲストにも受け入れられる和食の提供が出来るかも知れないと考えていた。

当時のアメリカのレストラン関連のマーケティングの専門書を読んでいて、アメリカ的な キッチンという舞台裏で料理をつくり、その作られた料理をサーバーがテーブルに持ってくるサー ビスをクリスタル・クルーズの基本姿勢である舞台裏の「ヒト」を前面に露出するシステムが出来ぬかと思っていたのです。

シェフの個性や魅力や、料理をつくるプロセスや技術に責任を持っ ているパフォーマーとしての魅力を前面に出して、観客であるゲストの前で、 披露できないのかと試行錯誤していたのです。

ロサンゼルスのハリウッドの近くには、何の特徴もない小さなホットドッグは (Pink’s Hot Dog) が、行列のできる店になって一日中繁盛していた。

この大盛況が、 数十年も続いているというのです。

この小さなホットドッグ屋には、ホットドッグをつくっている人とそれを食 べる人たちの交流(ケミストリー) にあると発見するのに時間はかからなかった。

日本の寿司屋スタイルは、板前さん(料理をつくる人)と顧客の持つヒトの取り持つケミストリー の露出が特徴になっている。

これこそクリスタルクルーズが求めていた究極のヒトを中心とし た食事の環境であると考えたのです。

日本的な寿司屋ほど究極のオープンキッチンはないと思ったのです。

この個人好みの発想をアメリカのレストラン雑誌の幹部と、今後の世界のレストラントレンドを話した時にいろいろ打診してみたのです。

アメリカ人はバーベ キューなどや鉄板焼きや等以外、魚などの食材に接する機会が少ないので、自分好みの料理をつくる板前さんと相談して試食できるレストランスタイルは、新しいトレンドになる可能性を秘めていると思われたのです。

最上級の寿司カウンターをつくって、 そこで、板前さんが顧客と会話をしながらサービスを提供する仕掛けを考える過程で、大きな確信にまで変えたのです。

ヒトの魅力を前面に出した、「オープン・キッチン」の発想でした。

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企業の永続的な成功をもたらす7つの方法

前述

クリスタル・クルーズはアメリカ合衆国ロサンゼルスに本社を置く日本郵船により1988年に設立されたラグジュアリークルーズ客船運行会社です。中型の高級クルーズ船を2隻運行していたのですが、2015年にゲンティングループのゲンティン香港に売却されたのです。

その後、2020年に新型コロナウイルス感染症の世界的流行により経営が悪化。2022年1月19日オーナーであるゲンティン香港は会社清算を申請したことを受けて運航を停止。その後2022年6月A&K Travel Groupがクリスタルクルーズの「クリスタル・セレニティ」と「クリスタル・シンフォニー」の2隻を取得し現在に至ります。

このように売却を繰り返すものの、クリスタルクルーズはアメリカをはじめとする世界中の富裕層旅行者に支持されていることが見受けられます。その永続的な成功には及ばなかったものの、売却価値のある企業の秘訣を以下の通りにまとめてみました。

1 企業ミッションの確立と販売網の囲い込み

新造船建造による新規事業への進出が、結果として時間に余裕が出来、
(1) アメリカ側での徹底的なマーケット・リサーチと僚社の分析
(2) 最適任の人材を集めることが出来た。

同時に旅行代理店などアメリカの販売網をこのプロジェクトの仲間として抱き込むことに成功し、 この親密な関係でマーケットに対して新会社の将来への展望も含めた中長期的なビ ジョンの提示をしてきたのです。

親会社のトップマネージメントのお墨付き事業でもあり、会社としての意思が明確で、それが、 現場であるアメリカ側(運航会社クリスタル・クルーズ)の対応を容易にした。

親会社のこの事業に 関わった担当者たちが人事異動で交替しても、アメリカにおけるこの事業を推進している幹部の方向付けやバックボーンは揺るがない体制が短期間で構築できたことで、クリスタル・クルーズと それを支える販売網との間で、明快な企業のミッションを共有し、新興企業として目指すビジョン を業界や消費者マーケットに伝えることができたのです。

当地の日本人幹部や米人組織に対する明確な権限委譲によるところが大きいと思われたのです。

この事業の企画設計を担っていた日本側幹部陣はこの状況を理解する寛容さを持ち合わせていた事はとても意義のあることでした。

この事業の始める際に成功の基は人材次第と理解しており、試行錯誤しながらミッションを全社内で共有できていたのです。

この事業に携わるコンサルタン トやラグジュアリークルーズの質を決定付ける、アメリカ側の幹部社員や国際乗組員の採用を容易にするとともに、彼らの長所や特性を生かした仕掛け・配置が可能となったのです。

その結果、全 くゼロから始めるクルーズ会社の利点を生かし、マーケットに耳を傾けることを優先する姿勢を堅持し人材を中心に置いた基本コンセプトの構築が遂行できたのです。

マーケットが主張し、現地クリスタル・クルーズは、その要請に柔軟に対応 日本郵船は投資家と しての自己主張を抑え、現地事情に最大限配慮するというシステムがしっかりしていたのです。

クリスタルクルーズ事業の初期段階からマーケットを囲い込んで参画。マーケットの意見を聞くと言う発想は新興のクルーズ客船会社にとって、彼らの全面的な支持という掛替えの無いものを得たのです。

消費者マーケットを対象とするこの事業にとって最も大切な販売網を、早くから味方に付けることが出来たのが要因です。言い換えると、マーケット価値を常に頭に描きながら方針を決める手法に徹したのです。 これは 今までの B TO B の基本であるサービスプロバイダーが中心にあるサプライヤーマー ケットの思考からすると大きな違いでもあったのです。常にマーケットに聞く姿勢があったのです。

この事業のコンセプトや企業ミッションの浸透にも心を砕いた。投資主で有る日 本郵船の意図も あれば、オペレーターとしての意図もあります。

クルーズ事業知識に乏しい日本郵船は、あくまでも黒子に徹し最終的に「結果が評価を呼ぶことでよし」としたのです。気がつけば日本郵船路線は、本船就航のあと 1 年後には、大きな成功を収める事となったのです。

アメリカ式と日本式の経営方針の棲み分けが、非常にうまくいった例と言えるでしょう。

その棲み分けの円滑な運営は、本社とロサンゼルス側の邦人幹部間での意思の確認を徹底した成果でした。

定期的にクリスタル・ハーモニーを訪れ、現場である船上スタッフに、コンセプトと将来の展望などの浸透も怠らなかったのです。

これらの機会を通しての現場の声の吸収も、大事な仕事でした。とりわけ縁の下の力持ちであるフィリピン人クルーとの接触やプロモーションの機会に時間を費やしました。

乗組員には人種的なランクや差別を作らせない欧米人贔屓の排除ことを考慮し、フィリピン人クルーの意識改革を促すことも必要でした。

乗組員としては、彼らフィリピン人が一番多い現実がありました。

2.雇用人材と社外人脈

「クリスタルクルーズ」と言うブランドの構築の柱に、「ヒト」=「人間力」を置き、どのよ うな舞台を提供すれば、彼らが人間力を存分に発揮して、それを船上での滞在環境の構築に結びつけることが出来るかを模索してきたのです。

異文化を背景した国際従業員の多様性を最大限に生かしながら、ブランドへの求心力を強化。

勿論、この背景には、幹部船員や船上従業員の経験や改善力を最大限に活用する体制が構築できたことが大きいものです。

まだ船も出来ていない新しいクルーズ客船運航会社にとって、新造船建造から就航までの 2 年間、クルーズ商品の基本である船上滞在環境構築には、多くの人材を既存クルーズ客船会社から引き抜くしかないのです。

人材情報の入手の為には、競合相手の中にも情報源の仲間を作る姿勢を常に心掛けていた。全米に広がる旅行代理店のプライベートな会に積極的に出席し、その都度競争他社の幹部との接点を深めていったのです。

クルーズ会社や全米の旅行代理店のスタッフが集まるクルーズソサエティなどは、 人材の輪を創るのに好都合でした。これでクルーズ業界の幹部も集まり高度な話題が溢れるのです。

日本郵船の本業である物流ビジネスと違い、人間性や人柄、そして個性的な魅力を売る事業であることに早くから気がついたのは、クリスタル・クルーズの事業を展開するのに好都合だったのです。

クリスタル・クルーズを動かす人材、人脈をクルーズ産業を支える業界、とりわけ旅行代理店ネットワークとマスコミが高く評価してくれたのです。

クルーズ客船会社としての運営上のコンセプトを、クルーズ客船の運営プロ集団 で構成するクリスタルクルーズ社に委ね、その人材を中心とした社内組織と徹底的なタッチ・ポイントである現場主義に任せる仕掛けがこの人材と人脈による戦略に大きく寄与した。

経験豊かな 欧米業界経験者の採用とその後の彼らの自発的主導力につながる。

少数精鋭主義を掲げたクリスタルクルーズのロサンゼルス本社での「方針の即決」は、顧客の変化への対応もきわめてスムーズにした。その徹底した現場主義が プロダクトに対する権限委譲を より効果的なものにした。さらに、船という現場でのサービス・マニュアルも「タッチ・ポイント・ マネージメント」の導入で、明確でかつ即決即断主義が徹底できた。

 3 .マーケティング技術の駆使とフレンドリーなセールス体制の構築

種々のマーケット・リサーチを駆使して絞り込んだクルーズ客層に(クルーズ客層や客相とプロダクトにマッチしたコンセプトが評価されたのです。 特に売れ筋に関する情報収集 に効果的なマーケティング手法を使って調査し、現場での客の動向を把握する仕掛けができた。

この事業に対する経験が不十分な日本郵船としても、重要な判断や決定の前に、まずマーケットの判断などを探る方法を 優先した。この業界のライバルに対しても、相手の分析を徹底的に行ない、 船上で の「滞在価値」の充実は、他社が模倣できない分野(ソーシャルを中心とした人的 交流の密度とエンターティンメイントなどで、新たな独自性を前面に出し、

このプロジェクト初期から、PR 会社などを巻き込んで、クリスタル・クルーズのクルーズ商品を企画する体制を確立し、既存社の長・短所を徹底的に分析する仕掛けが日常業務でも機能していたのです。

無名のクルーズ客船社の誕生に当たってはクリ スタル・クルーズの戦略は際立った効果があったと思われているのです。

CNN の船上での放映権、あるいは、イタリアン・レストランの運営に際して、アカデミー賞などで 必ず話題になる「スパーゴ」(Spago)のウルフギャング・パック氏などからの積極的なアドバイスなど、クルーズ 業界におけるイメージ作りでも WAO「ワオ」効果をもたらしたのです。

セールスの分野では、販売網である旅行代理店との関係においても、実績のない新会社として、 「新会社を旅行代理店と共に創る」姿勢を徹底し、会社の創業前から彼らの積極的な商品開発への参加を促したのです。

「マーケッティング」と「セールス」と 言う営業の両輪に基本に、販売網の積極的な参加と、彼らの「口コミ」戦略を徹底したのです。

この口コミ戦略には、旅行代理店の窓口担当者など の試乗会などへの積極的な勧誘が効果を発揮。

乗船客の試乗体験の口コミ効果も大きな波となって、全米の富裕層の客に伝わり、これが将来のリピーター戦略の核となって行くのです。

4. リピーターを逃さない販売システムの構築

この事業の拡大には、販売網の確固たる信頼と支持で、我々の味方にすることリピーターを対象とした「クリスタル・ソサエティ」と言うリテンション・システムの導入とゲストをリピーターの層を確保する仕掛けが必要になる事を、この事業準備段階から頭に刻み込まれていたのです。

販売網の核を成す旅行代理店では、クリスタル・クルー ズ新造船建造の時から積極的に参加してもらう仕掛けが上手く機能したのです。

船が出来上がって、彼らはクリスタル・ハーモニーは、自分が推薦した従業員である等 と、親しみを込めて彼らのゲストの勧誘の際の話題にしているのです。

旅行代理店網はクルーズ船客に対する有効な口コミ・コミュニケーター」の機能を持っている。主要マーケットでの評価の高いセ ールスマンのリクルートが上手くいった ことで、セールス・スタッフの効果的な配置が実現しました。 主要客層としてユダヤ人マーケッ トなどの囲い込みも成功したのです。

潜在的リピーターは、半年から1 年以上前に予約をしてから乗船するまでの長い時間待ち続けるのです。

実はこの期間が、旅行代理店やクルーズ会社にとっては重要な種まき期でもあったのです。

クリスタル・クルーズを熟知した旅行代理店は、クリスタル・クルー ズと他社との違いなどを、積極的に宣伝し、新しい船客の期待心の高揚を図り、結果として、下船したゲストから高い納得度を得たのです。

更にクリスタル・クルーズを支持する旅行代理店の集客を容易にするために、船上には商品知識が豊かなクルーズ・コンサルタント(船上でのセールス担当= 陸上のセールス部門の配下)を配置し、船上予約を受け付けたことが、お得意様を増やしリピーター率の高さを保つ秘訣でした。

自らが送り込んだゲストが、船上での次のクルーズを予約します。この船上での予約システムは、自動的に旅行代理店に還元される仕掛けも、旅行代理店としては非常にありがたいことなのです。船上での仮予約のキャンセル率は約15%。かなりの高い確率で次回もクリスタル・クルーズに乗船するというパターン が一般的でした。

船客を送り出した旅行代理店は、帰郷した船客の満足度の高さに、クリスタル・ クルーズと仕事をする喜びを感じていたのです。

クルーズ船客にとって船上の滞在で感 動が得られ、至高を与えられたと思えば、船上での次の予約に繋がるのです。

体験価値が高くなればな ほど、船上での予約率も高くなります。

リピータービジネスの方程式は、寄港地など旅行の目的地と旅の過程や船上での滞在環境などを織りあった結果が支払った料金に見合う感動を得られたかによる満足度によるものです。つまり世間でよく言われているコストパフォーマンスと言われるものです。

この満足度が高ければ、高いほどリピーター率は高くなるのです。つまりクルーズ料金に見合ったサービスや感動を享受したと判断した結果と思われたのです。

この満足度は、試乗を経験したゲスト感動が脳裏に刻まれた指針となり,ゲストの口コミなどにより、世間に広まると確信したのです。

ゲストが新規顧客を勧誘してくれるシステムの構築も重要である。この様な環境の実現 のためには、ゲストとの接点で彼らが感じた不満点なども聞く仕掛けが構築されていなければならないのです。

不満がサービス改善のカンフル剤ともなるのです。

1 年目は、このシナリオ通りの経過をたどっているのです。

しかし、このリピーター戦略はリピーター が増えれば良いというものではないのです。

次の段階、一度試乗を経験したゲストに新たな感動を提供し、 初乗船したゲスちが次世代の家族に、「クリスタル・クルーズの船で旅行したのよ」と自慢のできるようなシステムの特染で考えなけれはならない。ゲストの満足度に 安心しているとこの事業は衰退する可能性があります。

その評価を受ける立場になれば顧客満足度は、船上での人間関係などによって大目に高く評価される傾向もあるのです。

満足とはゲスト一人一人の生き方が変化していると同じように、彼らの受ける満足感の質や程度は変化し、飽きが来やすいのです。

常に改革の気持ちを持ち続けなければならいのです。

クリ スタル・クルーズのリピーターをクリスタル・クルーズの一員として、つまり家族のように接遇できるような環境への挑戦が次のステージの重要な仕事になるのです。

 5.便宜置籍船制度と船上滞在環境の独自性

この事業の開始に当たり、便宜置籍船の仕掛けを最大限に活用する事に決めたことが、乗船客と船上での滞在環境の調和を演出する際に大きな効果を発揮したのです。

経験豊かで強力な幹部船員やヨーロッパなどのホテル部門の幹部の採用を中心とした国際労働市場からの人材の採用を可能にし、これが船上における滞在環境の高い評価に繋がったのです。

同業他社の模倣を極力避け、常にゲストや旅行商品企画の中心に置き、人間力溢れた多国籍従業員を配して、ゲストの船上滞在環境の充実度を高めることに尽力したのです。

そしてプロダクトの独自性や差別化に有効に機能し、乗船客の理想的な環境をカスタムメイドし、クリスタル・クルーズとして独自のサービススタイルが定着したのです。

船上でよりラグジュアリーなクルーズ会社を演出するためのポイントは、 社交とか人的交流の舞台にフレンドリーな環境を持ち込みながら、それを演出するスタッフをマスコミや社外向け宣伝資料に積極的に露出させる事。これを企業イメージ定着のスタンダードに仕上げたのです。

ゲストと船上体験環境の裏方スタッフとの繋がりを通して、ブランド・パーソナリ ティを更に高めることが出来たのです。

他の会社とどこかが違うという差別化する意識を常に念頭を置き、 これを宣伝面においても徹底したのです。

プランド・イメージを構築の過程では、この人との繋がりに重点を置いた宣伝を展開したのです。

船上での滞在体験を構成する乗組員が演出するソーシャルとロマンスの舞台に不可欠な娯楽の面でも、 既存社には無い仕掛けを考える事が出来た。 船上でのショーや歌手やダンサーなども、 クリスタル・クルーズの直接採用を徹底し、演出も振り付けも全て自前で、パサデナの職住一体のスタジオで仕込んだ。

スタッフに対しては、変化に対する対応、新鮮な目線と細部へのこだわりを 徹底させたのです。

「ゲストをハッピーにするには何をすればいいのか」と常に革新的な発想をするように心がけ、ライフスタイルの変化に着目できる先見力を磨かせたのです。

他よりも変わったことを先取りする勇気と先見力。


つまり積極的思考がクリスタル・クルーズ躍進の原動力となったのです。

6.人材投資と乗組員への繊細な対応

将来の発展を不動のものにするためには、造船に投資することも大事ですがが、 同時に他社にも真似が出来ない様な人材への投資が重要であったのです。

つまりハードとソフトの関係 は、この事業推進の両輪であったが、特に後者においては、多くの優秀な幹部船員や従業員を国際人材市場から採用してきた経緯があります。

その彼らに、十分に活躍してもらうために、タッチ・ポイント・マネ ージメントと権限委譲を徹底した。問題を見つけて、現場の接点で即決・解決することが重要であって、レベルの問題ではないのです。

「行動が大切だ」を徹底した。船上で働く一人ひとりのクルーはブランド価値のメッセンジャーであるという信念から乗組員の働く現場や船上 での従業員居住区などの生活環境への投資などの検証も怠らなかった。

クリスタル・クルーズの他社との違いは、 クリスタル・クルーズがクルーの事をどこよりも理解していることにあるとの自負もありました。

優良従業員(乗組) の表彰認知、従業員を対象としたクルーやアンケートや調査により改善策や意見の取りこみ、雇用契約内容の明確化と公平な評価などには力を入れていたのです。

ハッピーなクルーが、ゲストに生涯忘れえぬ思い出を創って頂く陰の演出を常に意識してきたのです。

7.ホスピタリティ事業の世界基準と日本の常識との棲み分け

当初から仕事の仕方などを巡って、東京本社と現地会社の間では多くの軋轢を生んできた。 特に「日本の日本の会社組織の在り方(日本の常識)やオーナー側の日本郵船のクルーズ客船における思い込みや先入観などの延長線上で、アメリカのマーケットを対象として事業を起こそうとすれば、その対応も大きく異なるのです。

しかも、日本郵船における事業経験と言っても、戦前の「輸送手段としての クルーズ客船事業」であり、 現在のクルーズ事業とは全く異質なもので、戦前のクルーズ客船事業の延長線上で考えることは出来なかった。

それでも、客船に対する漠然としたイメージや客船先進国の模倣を通して我々にも出来ると言う気持ちも日本側に有ったに違いないのです。時にはこの思い込みに執心しても、日本国内では通用してもより大きな国際マーケットで通用するとは限らないガラパゴス現象に陥りやすいのです。

この新規事業には、日本の客船時代のイメージで描かれている表層的な客船のイメージとは全く異なり、日本で一般的に思 われているようなクルーズ事業が客船の世界から更に発展し高級ホテルのようなホスピタリティ事業の範疇である事に気が付くには時間を要しなかったのです。

しかもその延長線上には、ラスベガスのような船上での総合エンターテイメント事業への道が描かれていたのです。

日本郵船は、船を運航するには専門家ではあるが、数年間という限られた時間で、この高級ホテルのような滞在環境と旅行者を楽しませるエンターテイメントの世界を演出する力があるとは思えなかったのです。

新造船の設計から就航までの2年間で、全く実績の無いアメリカのマーケットで、この事業のカタチを作り、 就航後はフルスイングで業績に寄与するためには、既存の業界などの経験者を中心とした即戦力集団を編成するしかないと判断した。

この即戦力集団の採用は、時に日本における運航部門の経験者との軋轢を生む事となったのです。

アメリカ的経営を核としたクルーズ客船運航のプロ集団や経験者が中心となった欧米の幹部は、ホスピ タリティ事業やクルーズ業界での世界基準の中で育ってきたのです。

日本的な雇用形態を背景とした会社文化との考え方には、簡単に埋めることの出来ない大きな違いがあったのです。

親会社と子会社の関係で言えば、この事業の意図するところでは、全く逆の立場であった。アメリカを主市場として事業を開始するには、親会社の知識は全くゼロでした。

本社としては当初は円高などの会社環境の変化もあり、 日本的な世界や仕掛けに拘った日本人船員と本社東京対アメリカ支店構想のもとでクルーズ客船事業に進出して、日本郵船の名前や在米日系事業会社などの組織網を駆使すれば、アメリカ人マー ケットも獲得できると考えたのです。

しかし、アメリカから見るとこの事業計画自体はマーケットの要請から離れて、運航会社側の一方的な独りよがりのクルーズ事業で、最も重視されるべき販売網や船客の意向とは別のところにあると思われたのです。

この事業の成功への第一歩は、「日本郵船太平洋客船会社」構想の段階で、幹部社員の一人がアメリカでの事業の現状を理解し、便宜置籍船システムの導入に踏み切った事です。

これによりこの事業で世界一を狙うスタートをきることが出来たのです。世界基準でトップを狙うための最初の関門が開かれたのです。

最も経験豊富で、マーケットの信認を得やすい欧米人幹部船員の登用により、比較的短期間に世界一の座を狙う最低限の基盤が出来たのです。

この窮状を救ったのは、本社側が、アメリカでのビジネスの実態を十分把握し、アメリカのマーケットの要請を最優先に受け入れる決断でした。

危機の際には現場主義を元に世界基準を事業推進の中心に置き、相互の信頼関係の上で、問題を解決することが出来たのです。

またサービス開始間もない時期に発生したパナマ沖での船上火災は災難であったが、 マーレン船長他、船上での国際船員の危機対応が、高く評価されることとなった。ピンチをチャンスに変える効果があったのです。

この危機対応が親会社と現地会社の信頼関係を強固な ものにしたことは間違いない。勿論、この火災は危機管理能力が業界から高く評価される ことになり、旅行代理店ネットワークやクルーズゲストにも高く評価された。 そして今後、重要になると考えたのは投資側の先見力なのです。

この事業に進出 1 年で、この業界での最高級の評価を得てしまったが、この評価を今後維持し続けることができるか否かが、 クリスタル・クルーズの中長期の戦略の命運を握っていると思っていたのです。

この維持には、その旅行代理店ネットワーク販売網との友好的な関係も重要ですが、 それ以上に常に 2 年、3 年先の乗船客のライフスタイルを見る先見力が今まで以上に 必要である事もあったのです。

クリスタル・クルーズのブランドを信ずる販売網に加え、クルーズ客層が拡大している事も心強いのです。

クリスタル・クルーズの 1 年目の実績を見るとクリスタル・ ハーモニーに初乗船したゲストの65%が「またクリスタル・クルーズの船に乗りたい」そして、94%のクリスタル・ ハーモニーのゲストが「友人などにクリスタル・クルーズ」を薦めるといっているのでした。

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世界最高の格付け「ファイブスター・プラス」を獲得

アラスカクルーズでの処女航海に始まり、エンジン・ルームの火災などといった予期せぬ出来事もあったが、初年度の評価は、当初の目論見通りの反応であったのです。

特に絞り込んできたクルーズ 客層での評価が高く、日本郵船としても、ロサンゼ ルスのクリスタルクルーズとしても将来へ の展望への確信が持てました。

1991 年初め、ダグラス・ワードから電話があった。

自分の格付け本である「べ ルリッツ・コンプ リート・ハンドブック・トゥ・クルージング (Berlitz Complete Handbook to Cruising)」で「フ ァイブスター・プラス」という世界最高の格付けを予定していると。

今までのファイブスターを、 既存のクルーズ会社との違いを明確にする為に、クリスタル・クルーズにファイブスター“プラ ス”の新カテゴリーを設けたと言う。

日本に於いても、クリスタル・ハーモニーは、第 1 回日本造船学会「シップ・オブ・ザ・ イヤー」 を受賞した。

クリスタル・クルーズ設立からわずか 3 年後という快挙であった。
クルーズの本場ロサンゼルスで行われた、プレス関連の「乗ってみたい船」アンケートでも 1 位を獲得し、営業の初年度から、世界トップクラス の客船に躍り出たのである。

アメリカにおけるクルーズ業界やデストリビューションの中心にいる旅行代理店などに、クリスタル・クルーズの評価は 瞬く間に拡がった。

クリスタル・クルーズの初年度「格付け評価」に関して、当時の評価の一部を「輝きの航海」(佐藤早苗)から引用してみよう。

「蘇った日本の豪華客船」 世界のホテルレストランのランク付けに「ミシェラン」があるように、クルージングの世界には、ダグラス・ワードの世界の客船採点がある。

この採点は、ダグラス・ワードが個人でやっているものだが、世界的に最も権威あるものとされているのである。

ダグラス・ワードは、1 年の3 分の2 は船に乗っているというが毎年すべての客船に自ら乗って採点しその年の採点結果を本にして出版しているのです。

クリスタル・ハーモニーがデビューした一年後、その評価でクリスタル・ハーモニー は「5 つ星プラス」に輝いたのです。

戦後初めて世界の海を走った日本の豪華客船クリスタル・ハーモニー。 海国日本は生きていた事を証明した日本郵船と三菱重工のクリスタル・ハーモニー。それにしても、無から出発して、初めて作った客船がいきなりトップの座に輝くとはたいしたものです。

ダグラス・ワードの採点は、ハードとソフトとの両方がそろわなければ五つ星は得られないのです。 船のハードだけがずば抜けて良くても、サービスが悪ければ合格できないし、その反対もまた落第になりかねません。

外観、安全、インテリア、清潔、スペース、デコレーション、食べ物、寝心地、エンター ティン メイント、サービス……全て揃って最高点を獲得するのは並大抵の事ではないのです。

クリスタル・ハーモニー関係者がどんなに喜んだことか。重なる徹夜も、どんな苦労もこの評価 でだれもが報われたことであろう。 ある人がこんな事をいっていた。本当のクリスタル・ハーモニーの実力は七つ星である。

7つ星の価値があるから5つ星がもらえたのだというのである。
つまり誰が見ても、どう叩いても5つ星以下には出来ないほどクリスタル・ハーモニーは格段に優れていたと言うのだ。

実力が5つ星程度だったら日本船は、3つ星にされているはずだと言われています。

言い換えると、以下に世界のクルーズ界の中に日本が参入する事が難しいかを如実に物語っているのです。

クルーズ愛好者の人気投票で No.1 の栄誉に輝く もう一つ、クリスタル・ハーモニーに名誉なことがあったのです。

「ロサンゼルス・タイムス」紙が行ったクルーズ愛好者の人気投票で、乗ってみたい船にクリスタル・ハーモニーがトップに踊り出たのである。これは「五つ星プラス」を獲得したことと同じくらいに、嬉しい出来事です。

クリスタル・ハーモニー の噂は、じわじわと確実に、世界のクルーズ・ファンの仲間に広がっているのです。

この様な驚異的とも言える評価の秘密は、プロジ ェクトの企画力、及びリーダーシップと、プロジェクトを推進するクリスタル・クルーズの絶妙なチームワークの結果の賜物と思われます。

東京本社が考えたアメリカマーケッ トへの進出構想は、”日本に本社を置き、「環太平洋クルーズ」を企画運営する”、”アメリカはあくまでも支店で、日系企業などを対象とする集客専門会社とする”というものであったけれども、これらの構想に固執することなく、現地のこの業界の専門家集団の意見に耳を傾け現実的な対応に舵を切り、転進をすることに対して、本社が勇気を持って対応した事が、 1 年目のクリスタル・クルーズの船出の成功への道を切り開いたのです。

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ユダヤ人富裕層に不評の日本食

クリスタル・セレニティ船上で提供されたNOBU監修の本格的日本食

クリスタル・ハーモニーの就航以来、不幸にして、当初の心配が当たってしまったのです。船上和食レストラン「京都」は最も批判の多いレストランでした。

アメリカ人ゲストの反応は、極めて冷たかったのです。

当時のアメリカ人ゲストにとって、日本食は最も疎い食事の一つであった。年配 者が主たるクルーズ客層で、特に食事に厳しい注文がつくユダヤ系アメリカ人も多く、初めて日本 食を試食するアメリカ人のクルー ズ船客や、特に食事制限の厳しいユダヤ人には受け入れられず、 その運営は困難が続きました。

試行錯誤の過程で、当初は、「火を通す事を大前提に」割烹料理的な和食や、懐石的なメニューも工夫をして出して見たが、これも限られた船内の調理スペースの中で、 料理に段取りに時間を要する日本食の難しさもあり、非常に曖昧な中、いわゆる「和食」を提供す る平凡なレストランとして「京都」の料理メニューを作り上げたのです。

懐石的なメニューもできるだけ 「火」を通すなど工夫をして出してみたが、 これもクルーズ船客の多くは初めて日本食を試食する アメリカ人で、その運営は困難が続いたのです。

運用面においても苦労が続いたのです。

食材の調達方法も、陸上でのオペレーション と全く異なるのです。 料理を作るシェフが希望する日本食の食材調達の難しさや、とりわけ懐石料理における食材の説明の難しさ、日本の懐石料理の多くはその屋号とかシェフの名前で料理を口にしている訳で、日本食 ビギナーのアメリカ人の多くは

「これは何?」

との質問攻め。

これにこたえるシェフは英語力不足出会ったり、ウェイター は日本食を経験したことのない欧州人やフィリピン人で料理とゲストのコミュニケーションが成立しなかったのです。

日本酒はワインと異なり長く保存で きないので、日本人客からはお酢のような酒のクレームを受けることになるのです。

船側でサービスする外国人には日本酒の知識はないということも重なりました。

割烹料理は食材の多様さと料理を作るシェフの技量で作られており、シェフのお任せ料理である。私たちは、同じ日本人であるが故に、店のブランドとシェフの技量を信頼して口にしているのです。

しかし船上では、宗教的な戒律の厳しいユダヤ人も含め、イメージの浮かばない食材を基に食べる習慣が少ない人達に、食べてもらうことは至難の業でした。

食事に厳格なユダヤ人等も「使えないレストラン」と批判されていたのです。
シェフが数ヶ月毎交替すればメニューも全て変わり、料理の方法も変わるのです。

味付けも異なるのでは、ゲストからの評価も定着しないのです。

また、後任のシェフを探すのも難渋した。 特にアメリカ人にとって陸上のレストランならば日本料理はいろいろなチョイス のなかの一つであるが、船上では、他の選択肢が少ないなかでの日本料理であり、 ゲストのリクエストは限りなく

アジア料理= 中華料理

となったのです。

最終的には、家庭料理的な日本食のレストランにならざるを得なかったのです。単品指向でメニューが広がらない。当然のことながらリピーターには不満。

フォーマルドレスで、食べるレストランには程遠いものになったのです。

日本食を期待して乗ってくる日本人ゲストは、世界で有数の豪華クルーズ 客船で口にする日本食を期待してくるのであるが、これが期待はずれと指摘され厳しい評価を得ることとなったのです。

クリスタル・ハーモニー(当時)の数少ない苦い教訓となった日本食レストラン「京都」。

しかしこの貴重 な経験は後に生かされることとなる。 この運営の難しさは、クリスタル・ハーモニーの日本への配転(現在:飛鳥Ⅱ)まで続いたのです。


クリスタル・ハーモニーの「京都」の運営では評価も低かったので、第2船クリスタル・シンフォニーは、ロサンゼルスのセレブリティシェフ、ウルフガング・パックの指導でオリエンタルレストランとして、ジェードガーデン(Jade Garden) を開設しました。

アメリカ人ゲストにとっては「京都」より高い評価を受けたのです。

その後、クリスタルクルーズの和食レストランは大幅な大改造を得て、大好評を博するようになったのです。そのエピソードはこちら

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リピータービジネスを支えるクルー

クルーズ業界における、リピーターとは、お得意様であり同じクルーズ客船会社の船に乗る客層を指します。

他のクルーズ会社も含めてクルーズ会社を特に選り好みせず、クルーズが好きなクル ーズ客で、繰り返しクルーズを愉しむ客を、クルーズ愛好者と区別しているのです。
この区別は、多くのクルーズ客船会社がそのクルーズ会社の乗客に相応しい客層を反映した船上での体験を提供しているからでもあるのです。

アメリカでのクルーズ船客関連統計では、一度クルーズ客船に乗船した人の満足度は、乗船前の期 待度をはるかに越えている。これが、ラグジュアリー・クルーズ事業が、リピーター産業といわれれる所以です。

アメリカ人にとって、クルーズ旅行で、その「いつもの」クルーズ客船会社の に乗っていること が、既に、社会における「スタイル」を示してお図り、このようか 核になる客層を抑えリピーター を増やしていく事により、このクリスタル・クルーズのブランドにはまっていくのです。

このよ うな他の会社に浮気をしない、ロイヤリティが高く、核になるリピーター(Core Repeaters)が増えるような仕掛けが必要なのです。

カリブ海の船で、クルーズを愉しんだというより、例えば、 ロイヤル・バイキング社の船やクイーン・エリザベス号で大西洋を横断してきたという方が、ステータスとして、誇らしげな気分で他人に与えるインパクトは大きいのです。

これは、ロイヤル・バイキン グ社の船やクイーンエリザベスのブランド力が、クルーズの船旅の世界で定着しているからでもあります。

新会社が求めるステータスはまさにこのようなブランドなのである。クリスタル・クルーズのブランド力には、クリスタルクルーズに何度となく乗船するゲストの潜在的な自尊心をくすぐり、一方まだ乗船したことのないクルーズゲストに、「クリスタル・クルーズの船に乗ってみたい」と言う憧れを提供するような秘薬がなければならないのです。

この事業はホスピタリティビジネスであり「ブランド」を創るビジネスであり、今までNYKが係わってきた貨物や物流の世界とは全く異質なものです。

ホスピタリティビジネスで ある以上、ライフスタイルを優先しマーケットを絞って彼らのライフスタイルに合わせる形でビジネスが設計されているのです。

船というハ ード・ウェア、船上での体験を充実させるサービスの質、そして、その船上で生活をしているクルーズ船客同士、あるいは、乗船客と乗組員との快適な交流が最も重要で、それに加えて、船上生活にアクセントを与えるエンターテイメントがあれば、船上での生活はよりロマンチックなものになる事は間違いないという事でもある。

その上で、クリスタル・クルーズとしては、船上における交流とロマンチックな舞台を演出するエン ターテイメントなどに、先行他社以上に配慮した商品開発で、デフェレンシェーションを徹底する戦略を図っていたのです。

サービスをまず体験して貰うことから、クルーズゲストとのコンタクトが始まるものです。

このリピーター の増加は、このクルーズ客船会社の提供するサービスにゲストが、その滞在価値に満足していることを示しており、彼らを維持することがまず至上の要請でした。

この維持のためには、ネガティブなコメイントや現場での失敗などを早く汲み取り、その間違いを大胆に修正する努力が常に求めれるのです。

このタッチ・ポイントにおけるネガティブコメイントはホスピタリティビジネスにとって最も重要なアドバイスでもあります。

この試乗を繰り返して貰う必要がある。これにより、どれだけ、このように繰り返し乗船してくれるリピーターを増やせるかが、この事業の将来を左右すると言っても過言ではありません。

なぜなら、このリピーターは業容を拡大する為の大きな動機付けとなるだけではなく、クルーズ客船運航会社は新規のクルーズ客を誘致することの難しさを知っているのです。

一度試乗すれば、そのクルーズゲストをリテンションし続ける事が、採算的にも圧倒的に儲かることを知っているからでもあります。

これは、何もクルーズ客船運 航会社だけの認識ではなく、ラグジュアリー・クルーズ事業 に関わるアメリカの旅行代理店など販売網(デストリビューションシステム)の認識も同じです。

彼らの背後にいるクルーズ旅行予備軍をライフ・スタイルに合ったクルーズ 運航会社を紹介することでクルーズ旅行の虜にすることを知っているし、それが彼らの利益を支える事をより絞り込んだ客層に対してより効率的な集客が出来、その結果として少ないコストで客層を増やせるを認識しているのです。

このようなリピーターが、大き な瘤のような核(コアリピーター)になって、この新会社のブランド価値やブランド力は、マーケ ットやクルーズ愛好者の間で「雪だるま」のように大きくなるものです。

このリピーターを増やすためには、会社としてのミッションや営業方針なども重要であるがゲストの多くが船上での滞在価値を求めている以上、船上で 毎日接する乗組員の感性が、非常に大きな要素となります。

なぜなら、乗船しているクルーズ船客にはロサンゼルスのクリス タル・クルーズの幹部よりも、現場にいる乗組員を介して、新会社との信頼関係を構築するのです。

それが思い出として、永遠に心に刻まれるのです。

ターゲットとして 絞り込まれた客層に対しては、この船上ホテル部門の国際乗組員の相性が、 決定的な影響を与えることが多いのです。

特に、クルーズゲストの主観的旅の評価も、船上での人的ケミス トリーの織り成す親密さに支えられているのです。

クルーズ客船会社は、下記のようなリピーターとしてのクルーズ船客の特徴を把握しています。

これらの知識を、現場に就いているスタッフ一人一人が理解していることが重要なのです。

例えば食事の時に ヘッド・ウエイターなどとの会話で、「来年は南極方面に行きます」と言うと、彼の経験話がゲストを刺激して、その気にされるのである。

ヘッド・ウエイター他、船上の個々のスタッフは、最もリピーターになる可能性の高いクルーズゲストの最前線の最も強力なセールスマンなのです。

従って以下のような特徴を周知してもらわねばならないのです。

1.リピーターの客層とは→彼らの船上体験価値が優先する
3.リピーターになる要因→船上体験価 値の評価・評判と航海先、クルーズ船客の船上での体験価値を求めている。
5.人的な要因、食事、催し物、寄港地→新しい寄港地を求める。

ゲストと乗組員のケミストリーの上に成り立ち、クルーズ旅行 を終えて故郷に帰ったゲスト乗組員、それぞれのノスタルジックな出会いの思い出やライ フスタイルの創造と感動こそが、クルーズ客船会社に求められる発想なのです。

昨年経験したノス タルジーな旅を求めて、翌年も乗船するレトロマーケッティングの手法と仕掛けが、船上における「体験」の中の至るところに配されているです。

クルーズ事業においては最も重要な事は、試乗したゲストが乗船中に、あるいは下船した後に、また、クリスタル・クルーズの船に乗りたくなるような環境を創れるか否かであリマス。

下船したクルーズ船客が、自らの乗船中の滞在体験や感動を通して、このクル ーズを紹介した旅行代理店にその感動に感謝し、その口コミとかを通して、更に新しいゲストの誘致に繋がることが望ましいことです。

幸い、クリスタル・クルーズの就航 1 年目においては、90%以上のゲストは、このクリスタル・クルーズで得た感動を友人などに、伝えたいと言っているのです。

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クルーズ客船事業は社会心理学

時は1988年 5月、サンフランシスコでの旅行代理店等とクリスタル・クルーズ幹部陣のはロジェクト関連の話題に関して直接意見を聞く機会がありました。

この意見交換会での議論の多くは、アメリカ人乗船客に対する接客能力に関しての話てがメインでした。

クリスタル・クルーズの経営首脳陣は、NYKが運航するクルーズ客船でもあり、何とか日本人幹部船員を新造船に乗せたいと考えていたのです。

しかし、サンフランシスコなどでアメリカの旅行代理店などの率直な意見を聞いているうちに、NYKの海務関係者の説得には、更に中立的な調査による分析が必要として、更なる調査を命じたのです。

1990年になって、アメリカとして客観的な調査を開始。

まずはクリスタルクルーズ社の在り方や組織問題等の話題になりました。

日本とア メリカを駆使して、幹部国際船員の混乗や英会話力なども含め、アメリカのクルーズの販売の前線にいる旅行代理店網やクルーズ乗船客などです。

特にラグジュアリー・クルーズの主客層であるユダヤ系アメリカ人乗船客などの「本音」を聞く事にしたのです。

主観的な議論を避け、できるかぎりアメリカマ ーケットに聞き、彼らの見方・客観的な分析との対応を優先したのです。

アメリカ市場が最も求めるプロダクトを作らねば生き残れない事を当時のクリスタル・クルーズの幹部は知っていたのです。

旅行代理店や乗船客の見方・価値など買い手価値をどれだけ実現できるか?

この事業で生き延びて、アメリカの起業コンサルタントなどとの接点を通して、この事業を成功させるため残る鍵であると感じていたのです。

先ず、販売網である旅行代理店などのマーケットの反応を調べる事とした。

アメリカでのクルーズ客船の集客は旅行代理店を中心としたデストリビューション・ ネットワークに依存している以上、仮に彼らの意見がきわめて偏見に満ちて溢れていたのです。

就航実績のないクリスタル・クルーズの現状下では黙って謙虚に聴くしか方法はなかったのです。

調査で、旅行代理店からは以下のような多くの厳しい質問が浴びせられました。

・日本郵船の日本人幹部船員の語学対応およびクルーズ客対応能力については一切判らないが、在米日本人駐在員等や家族との接触などから推察すると国際レベルで中以下ではないのか?

・ノルウェー人船長と一緒に働くと言うが、緊急時にノルウェー船長の指示に基づき、自分たちが 送り込む)アメリカ人クルーズ船客に迅速に対応できるのか?

・クリスタル・クルーズは、ラグジュアリー・クルーズとは言っているが、乗船客を初めての試み(日本人とノルウェー人上級船員の混乗)の「実験台」にするとはどういうことか?

以上、旅行代理店の多くは、貨物船の経験と接客が重要視されるクルーズ客船とでは、安全運航への対応がまったく異なるのです。

そのコミュニケーション能力が重要ではないかと、緊急時の 日本人幹部船員のランゲージ・コミュニケーション」能力はどの程度かをとりわけ危惧していたのです。

まず、新会社の在り方、組織問題などの話になりました。

文化や価値観、考え方が日本とアメリカの溝を埋める方法を模索されていたようです。

例え話としてコンサルタントから得ていた情報などを元に、アメリカのメジャーリーグの野球チームの組織などの話をした。

球団経営とその現場である野球場での監督選手の行動責任などの明確な分離について首脳陣に話したのです。

現場の監督が活動しやすいように、現場の選手に対する差配は球団はしない。 しかし、勝負の結果に関しては、契約を元に口を出すといった、棲み分けを明確にする必要がある のではないかとお話をしたのです。

販売網である旅行代理店には、アメリカ人幹部などのノウハウや経験を中心に置き展開することが必須条件でした。

彼らが、ある程度自由な判断で活動できる環境が重要ではないかと言う意図でもあり、乗り出し時は、ブランドが確立するまで、NYKというの会社のブランドより、アメリカで採用した欧米の幹部経験者の力を優先する仕掛けではなかったのかが懸念材料でした。

このプロジェクトの素案創りの段階から、アメリカ市場を前提にすれば知識も経験も少ない投資家側の主張よりも、「郷に入っては郷に従う」仕掛けが、重要だったのです。

日本には、NYKや他の会社が築いてきた日本の常識やスティタス・歴史は有るだろうが、この事業は、アメリカで展開する以上、投資家であるNYKが、アメリカの仕掛けに あふ程度任せる寛容さが無ければ、将来もこの異文化の軋轢は残り、上手くいかない可能性が高いと思われたのです。

ここは日本の常識を超えた、新しい世界基準に基づいた組織や仕掛けを考えるのです。

このような日本の常識が、世界基準では必ずしも受け入れられていないことを経験的に理解していたのです。

この会社経営に横たわる日米間の考え方の違いに加え、日本郵船が採用した「便宜置籍船」を基にした新会社の船舶運営やこのところ顕在化していた日諾幹部船員問題についても話をすることが出来たのです。

しかし、他のアメリカの有力クルーズ会社の経営から得た知識を元に議論すると、この事業 は、クルーズ先進国やマーケットを攻めながら、新しい会社としてのプランドを創る必要があったのです。

投資家である日本郵船の自社都合で、マー ケットの意向と対立することは、全くゼロから始める会社にとって本末転倒ではないのかと思われていたようです。

今回のNYKの英断である便宜置籍船の持つ特性を最大限に活用して、他社の追従を許さぬ地位を確立するという発想があったのです。

その実現のためには、この業界で経験が豊かで、ラグジュアリー・クルーズの基本をなす幹部人材に対するアメリカの販売網の評価が高いノルウェー人幹部船員たちの経験を軽視・無視する考えは成立しません。

彼らの経験を最大限に使い、それに更なる革新を加えて、既存の船社に対抗する戦略が賢明かと思われたのです。

新造船や建造や営業開始等、時間的な要因を考慮して、アメリカクルーズ業界にて未経験である以上、我々の置かれている立場を謙虚に理解するしか他に無かったのです。

米国クルーズ業界で最も評価の高いといわれるノルウェーの幹部船員を核にして、この事業を乗り出し、NYKとしての日本人幹部船員の登用については、5〜10 年後を目処に見直すことも可能にする方法もあるのではないだろうか。

NYKの運航部門が熱意を持って、世界に通用するクルーズ会社の運航を主導したいと主張しているのであれば、具体的な目標を立て、幹部船員候補生に積極的に、他の欧米の客船での長期研修やアメリカ社会にどっぷり浸かるような長期英語・文化研修制度を導入する事なども考慮すべきかと思います。

このアメリカや世界の最高レベルでのクルーズ事業の挑戦が今後も続くという事であれば、クルーズ客船向け幹部船員の養成に関しても、日本郵船として、抜本的な体制を検討する必要があるのではないだろうかなどと話をした。

明治時代に、NYKが日本で始めて外航海運を始めたころ、航海に対する知識が無かったそうです。

その窮状を解決するために、イギリス人船員などに任せたエピソードがあったそうです。

同様にクルーズも、運航面以外の多くの船上における業務や乗船客との交流を考えると、将来を見て、じっくりした対応が必要かと思われたのです。

乗船客とそれを接客する船上の幹部船員との関係は、社会心理学のケミストリーの世界だと実感したのです。

ラグジュアリークルーズ事業は、高いクルーズ料金にもかかわらず、自前で、船上での滞在中の時間を楽しみを求める乗船客で成り立っているのであって、それを満足させる仕掛けが不可欠なのです。

乗船客の大半は、アメリカでの生活形態の”日常性”をそのままクルーズ客船と言う滞在空間に持ち込み、その環境で世界を周遊する人たちなのです。

彼らの日常の生活において、彼らの交流の基本である言葉の問題(英語)などで苦労があってはならないのである。使 い勝手の利便性などで、相対的に判りやすいモノの価値観とは異なり、船上で経験するソフトや コンテンツには、それに参加する乗船客の主観的意向が働きやすく、まさに人間関係が織り成すケミストリー(相性)の世界なのです。

企業側の”主観的な”判断や経験で良いと思って も、対応される乗船客の主観は別のところにあるのです。

彼らがクルーズを楽しむために用意した旅行資金を、新会社のために使ってくれるかどうかは、彼らしか決められないからです。

世界を舞台にしている日本郵船の幹部船員も、この分野においては全く素人であり、言葉の問題 に加え、この経験不足は即戦力を活用し、世界基準の実現には、時間が掛かりすぎたのがネックだったようです。

マーケットや相手が何を考える かを予見して、出来るだけネガティブな環境を避ける舞台づくりを優先せざるを得ないのでした。

より客観的なデ ータを下に議論を詰める事にしていたが、船も就航していない段階、つまりサービスの実績を示す前にイメージだけで不要な先入観を商品開発の過程で入れないほうが良い」と言うのが、PR 会社や各種の覆面調査を経た旅行代理店や将来の潜在的な乗船客の意見でもあったのでした。

当時クリスタル・クルーズは、まだスタートしていないのでした。

理想は日本郵船の船長が前面出て、接客の面でも堂々とアメリカ人乗船客とやりあえて、ノルウェー人幹部船員などを自由に使えればよい ので あると思ったこともある。

しかし、当時のアメリカ人幹部が、日本から出張してくる 船員などとアメリカ人幹部との日常会話などを通して、現在の英語力・会話力 では彼らは残念なが ら納得しなかった。

戦前の日本郵船の欧州航路の客船は、行き先が決まった日程で、そこに辿りつく事が最優先されていたのです。

そのためには、船上の会話や滞在環境などよりは、目的地に少しでも早く着くことが最優先されたのである。

それに対して、自分のポケットマネーで好きなことを自由に楽しみ、時間に対する満足度が勝負の現代的なクルーズとは全く目的が異なったものであった。

ここに、戦前の日本郵船の客船と戦後の周遊を目的とした時間を買うクルーズとの違いがあったのです。

その第一番に乗る日本人の英語力などが今問題になっているのである。

まずは第一船の事業展開を成功させなければならなかったのです。

次の段階として第2、第3船も建造し、就航させてこの道で成長することを望んでいたのです。

乗船客のニーズを満たし、同業他社との競争に勝ち残ってこそ、未来を開けてくるものです。

これら現実を前に、NYK本社も決断した模様でした。

船上の組織、特に指揮系統に関しては「マーケットの要請」を受け入れ、ノルウェー・システムすなわちノルウェー船長の下でノルウェー副船長と日本人副船長を配し3 人の船長体制を構成し、機関部についても ノルウェー・システムを日本人幹部機関員が補佐する体制が出来上がったのです。

またNYKから派遣されるクリスタル・クルーズの海務担当執行副社長は経営・監督業務に専任する事になったのです。

この方向性に関してはクリスタル・クルーズのアメリカ人幹部も全く異論が挟めなかったのです。

新規事業の立ち上げでもあり、これからの事業の方向性と自分たちの置かれている状況を、客観的に見詰める事が重要であり最初のボタンの賭け違いを何としても避ける必要があったのです。

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ゲストとクルーの相性が肝心

ゲストとクルーの織り成すケミストリーとは

クルーズゲストの求める主観的価値観と出会いを創る環境。クルーズゲストはストーリーに価値を求めているのです。

ラグジュアリークルーズのターゲットとする富裕層旅行者は、モノの所有よりも、クルーズ客船上における人との出会いや滞在中の体験などを心に刻むことに、より価値や感動を求める人たちです。

船上での人との出会いをより感動深いものと感じてもらうことが重要です。 その場を作るためには、食事の後の充実したロマンス、エンターテイメントや食後酒も必要になります。


クルーズ旅行のリピーターは、極めて”主観的な旅行経験や体験、新しい発見や感動に加え、 自らがどのような扱いを受けたかなどで、クルーズ旅行の価値を考える傾向があります。
彼らは このような主観で旅行自体の満足度を評価するのです。自分の旅のストーリーの充足度に価値を求めているのです。

この事業は、主として、アメリカ人クルーズ船客を対象とした彼らの文化を取り込む事業な ので、まず何としてもアメリカ人マーケットから受け容れられる仕掛けが必要がありました。

これらのことを理解していれば、船上でのクルーの人的 ケミストリーの織り成す親密さが創れます。

自分の身の回りでサービスをするクルーや、毎日食事の際に、テープル・ホストとして 2 時間余も会話をこなす船長をはじめとする幹部乗組員の役割は極めて重要です。

100%のサービスでクルーズ船客に 受け入れられて、120%で初めて高い評価を得る関係でもあるのです。

ゲストはストーリーを求めている

クルーズ旅行は、船上での体験価値が重要な要素となっており、当然クルーズ客船社として は、クルーズゲストが主役の感動のドラマをどのように演出するかを考えなければなりません。

その多くの分野では、主役であるクルーズゲストと、彼らの脇役である多国籍クルーとの相性で決まると言っても過言ではありません。


クルーズゲストの期待度が高ければ高いほど、脇役の遣り甲斐は大きいのです。

各種の調査やこの道のエキスパートから、このケミストリーの濃さこそが、ラグジュアリー・クルーズの世界では最重要であると指摘を受けたくらいです。

ここを個性化し、他のクルーズ客船社とは違うケミストリーを構築する必要性を悟ってました。

他の既存ラグジュアリ ー・クルーズ客船会社のプロダクトとの差異化も図りつつ、クルーズ船客と乗組員間での感情面でのつながりを強化することを旨とします。

ここの評価が定着すれば、クリスタルクルーズ社の顧客層にプランドが認知され、ロイヤリティ (リピーター)も強化されるに違いないとの思われたのです。

一方、クルーズゲストが船上にお いて人間関係のおりなすケミストリーがうまくいっているときは良いが、1度でも、あるいは些細なことでも思い出の心に傷がつくという、非常に厄介なことになるリスクが潜んでます。

ケミストリーとは、正の部分で効果が発揮できればこれほど強力なものはないのです。

しかし負の部分もあることを理解する事も重要でした。

その負の部分に無関心であると、折角のクルーズゲストや旅行代理店を逃しかねないのです。

この負の部分、彼らが何故離反するのかの追及し、生産工程のようなゼロ・デフェクト効果でサービスの質の向上を心がけるシステムの構築も必要です。

ラグジュアリー・クルーズ旅行では、年に数回も乗船するような多くのクルーズリピーターで支えられている旅行商品です。

このリビターの多さは、旅行者の満足度や感動度の高さと比例しているものです。

統計的にこの理由を掘り下げていくと、船上での生活体験と其 処で織り成すゲストと乗組員との相性にたどり着きます。

クルーにとって、客船での勤務は職住が一緒の逃げ場がない舞台でもあります。

また年に二度、三度と同じクルーズ客船に乗ると前回と同じ顔ぶれの乗組員が、”ウエルカム・ホーム”と言いながら出迎えます。

まるで家族の一員のように、親しみを持って旅行の手助けをしてくれるところもクル ーズ客船による旅行の最大の特徴のひとつでもあります。

彼らとこのリピーターとの多くの交流が、この クルーズ会社の「ファミリー」としての強い絆になるのです。

言い換えれば、クルーズ客船のクルーは、同じ船の家族の一員であると同時に、旅行をより快適にするための添乗員の役割も果たしていると言えます。

クルーズ客船上での出会いが新しい滞在価値を覚醒するのです。

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ラグジュアリークルーズの完璧な船上環境を目指して

「過程 = プロセス」を重視するホスピタリティ事業では、旅行者との接点は、常に 「ヒト」が中心でなければなりません。

新会社がこのラグジュアリー・クルーズ 客船の業界で認められるためには、船上での滞在環境を構成する「ヒト」に旅(ヒトや出来事との邂逅)に参加する歓びを体験してもらうためには、「船上での商品開発」が全てで、この開発力が成否を決める!!!との言ってま過言ではありません。

クルーズ旅行に参加した思い出は、いつまでも旅行者の脳裏に刻まれ、思い出深い永遠の旅の感動を創るに違いないと思われます。

そのためには従来のラグジュアリー・クルーズ会社の真似避けたいものです。

船上でのコンテンツを構成する食事や娯楽のみならず、個性に溢れる多国籍クルーの採用も含め、彼らの持つ多様性や独自性を 積極的に露出して、新会社が絞り込んでいるクルーズ客船マーケットに、常に100%以上の満足を提供できるような仕掛けが必要があります。

クリスタル・クルーズ社が狙うべき客層から、彼らのライ フ・スタイルに対する分析は出来ていた。その上で、クルーズ船客が、クルーズ旅行に求めるものは、船、サービス、社交、エンターテイメントを含めた環境でした。

とりわけ新会社の主対象とするラグジュアリー・クルーズ・マーケットでは、彼らのライフスタイルゆえ、船上におけるサービスと他の乗船客やクルーとの出会いに非常に大きな期待を持って乗船してくる人たちです。

ゲストの船上における体験価値の評価においては、このサービスとソーシャルが、非常に大きな影響を与える事を理解していたので、この 2 つの分野で、 その舞台の仕掛けを考える必要がありました。

その舞台では、
(1) 船上で共に滞在を楽しむ「ヒト」(乗船客同士) 

(2) クルーズ船客とサ ービスを提供する側に居る従業員(乗組員)が、密接に交流して創られる環境でもある。

対象 がヒトである以上、船上での舞台装置には、船上での人間関係が 

(a) サービスをされる人たち 同士の相性。

(b)サービスをする人、される人との相性。

 (c) 多国籍船員を中心とした乗組員の適性や相性。

豊かな「船上滞在体験」向上の要だと言うことです。

(1) クルーズ旅行の主役は「クルーズ船客」 :「彼らの「客相」ライフスタイルを知ること

長期滞留しながら船上生活を楽しむ多くのゲストにとって、その「ライフ ・スタイル」と言う基準を通して、快適な人間関係が創られる事が望ましいのです。

確かに、 モノを買うのも旅の楽しみの一つであろうが、新会社の想定していたアメリカ人富裕層旅行者にとって、究極の旅とは「旅の過程を大事にして、 体験を心に刻むこと」であると言う答えにたどり着いたのです。

特に、彼らは夫婦で乗船した場合、その体験を通して、 人生の足跡を「同期化」することにより、夫婦の喜びや失敗も共有できるのです。

ラグジュアリークルーズのゲストは、船上での滞在生活の中に人生の物語を求めている傾向があります。

思い出を心に刻みたいと思っている人たちである。「記憶に、人生の価値や感動を刻む」仕掛けが至上の要請です。

その実現のためには、彼らの船上におけるライフスタイルに最大限に配慮をしつつ、クルーズ客船による旅行の主人公としてクルーズゲストがいるという、船上での“舞台”を演出するのです。

船上で彼らが持つ ライフスタイルや生活や文化と船上で提供する舞台装置の融合する「仕掛け」が 成功の可否 を決める。

サービスという船上のプロダクトの評価は、多くは人的要因で左右される傾向が強いのです。

相性がよければ、訴求力もあり永続性が高いのです。

従って、競争船社よりも優位に立つためには、この 人的要因にメスをいれ、新会社が絞り込んだアメリカ人富裕層旅行者のライフスタイルを理解して、クルーズゲストと船で働くクルーの「ケミストリー」の結びつきを強化することが重要であるとの判断であった。

クルーズゲストとの関係においては、人間関係を基本としたサービス、それがホスピタリティ・サービスの基本です。

それは、双方の 信頼関係や相性で成り立つものです。

クルーズゲストは、自らの支払うクルーズ料 金に対して、クルーズ会社からのこのケミストリーとそれ相応のサービスの提供に期待を込めているのです。

「ソーシャル(社交・人的交流)」についてみると、船上における「ヒトとヒトの織り成す人的な要因となります。

従って、新会社として、この事業を長く続けるためには、先ず ソーシャルの分野で他社と大きな違いや特徴を生み出そうと考えたのです。

この充実度が、将来の戦略の核となる、他社 との差別化で決定的な差となるとなります。

それは、船上におけるコンテンツのみならず、営業の面における販売網における戦略なとも連動させます。

この確信を元に、「ソーシャル」の面から、船上の滞在環境を考える際に、下記のようなシナリオを描いてみた。

船上の滞在環境は、クルーズ船客が主役で、「全ての中心にいる」滞在環境とする。その上で、クルーとの親密な環境を演出。

ファミリー的雰囲気を創り出します。

サービスは、クルーズ客船運航会社の仕掛けである程度対応できるにしても、ソーシャルは、そこにいる人間性の交流です。

新しい仲間との交遊の楽しみや人情の発見や歓楽欲を満たすような食後のロマンチックな環境が必要です。

これを円滑にするためには、主役であるクルー ズ船客を支える多様な文化的歴史的な背景を持った多国籍クルーやアメリカ以外の国から来たクルーズゲストの心地よいハーモニーが必要です。

これは日本的で同質的な「おもてなし」を越えて、 国民性の違いを通して、驚きや感心、そして新しい発見などがこの事業に活力を与えるものです。

このようなクルーズ客層の中から、彼らのライフ・スタイルに合わせて、最も快適な環境を創り出します。

その環境を創るということは、これらの人たち の客層のライフスタイルを理解し、彼らが日常どのような生活をしているのかを知り、どのようなものに興味を持っているかなどを知ることでもあります。

サービスを提供する側としても、例えば食事のテーブル・ホストとしての役割は、食事の質やサービスに加えて、その場で2時間余を、彼らが興味を持っている朝のワイドショーや テレビ番組「ベイ・ウオッチ」「ダラス」等のソープ・オペラなどの話題にも積極的 に参加できるような、ある程度の「彼らの常識」を基にした社会知識と英会話力を要します。

サ ービスを提供する船会社立場としては、船上での社交を通して、彼らが快適と思う滞在と「パッセンジャー・ミックス」の本質を常に見極める必要があったのです。

ソーシャルを演出するには、贅沢な選択肢の提供を考える必要も。

ラグジュア リー・クルーズでは長期滞在が基本で、ゲストとって、滞在中の食事をはじめ、人の 出会いや多彩な娯楽など、感動と感性を覚醒する滞在環境を演出する必要がある。  

お仕着せの企画ではなく、多くの選択肢の中なら、彼らが 「気の向くまま」選べるだけの潤沢なメニューを満たす商品企画力が必要となります。

既存のラグジュアリー・クルーズ運航会社との差別化のために、新しい試みとして、競合他社のプロダクトのみならず陸上のリゾート・ホテルなどのサービスやそのコンセ プトも積極的に導入する必要がありました。

これは、多彩な食事の面でも考慮されねばならないものです。

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クリスタルクルーズの輝かしい幕開け

三菱重工業長崎造船所で建造が進められている新造船のデザインおよびネーミングも、新会社にとって大仕事でした。

この船名決定後は、次から次へと宣伝を打つ段取りが出来ていたので、こ の船名決定は、それら一連のマーケットへの浸透作 戦展開のキック・オフに当たる大きなステップ への第一歩という位置付けであったのです。

1988 年の 6 月、東京で三菱重工との間で新造船の正式調印式があった(6 月 10 日)。7 月には、新造船のデザインも固まりつつあった。ここで日本郵船としては、外から 見た本船のデザインが気に なってきた。まずはファンネル(煙突)のデザインが議論の的となったのです。

これは家の門構えと同じで、 その船がまず注目を集める箇所であったからです。東京本社は、日本郵船の「二引き」のマークをつ けたい、と主張した。これに抵抗したのはアメリカ側である。二引きのマークでは、アメリカマー ケットに対するインパクトに欠けるし、何のために「ロゴ・マーク」を決めたのかと言った議論でした。

対象顧客であるクリスタルクルーズゲストにも、クリスタル・クルーズのアイデンティ ティとしては 「ミラード・シーホース」との関係がよくわからず、混乱する。やはりここは、クリ スタル・クルーズのシンボルである「ミラード・シーホース」とすべきだと言う。結局、アメリカ側の意見が通ったのです。
ファンネルに付けるマークについては、東京側が折れたかたちになったが、日本郵船の船であることを明確にするために二引きの線を船体に入れたい、という強い要請には変わりがなかったのです。

そこで、船首のところにブイマークの NYK マークを入れ、船首部のマストに二引きのマークが入るこ とで決着を見た。

その前後、1988 年 7 月は、日本側に客船準備室が設営され、一方アメリカにおい ても、クリスタ ル・クルーズ会社がセンチュリー・シティの FOX・PLAZA ビル 2 階設立。 いよいよクリスタル・クルーズ第一船のネーミングでした。

1988 年 10 月、全米 1905 社の旅行代理店が参加した「ネーム・ザ・シップ(Name The Ship)」コン テストが展開された。

740 ものネーミング案がクリスタル・クルーズに寄せられたのです。

方針として船 名は、各種コンテストや調査を経てラグジュアリー・クルーズ客船としてのイメージに富み、クル ーズ船客やマーケットでも受け入れやすい船名の候補を選び、最終的には日本郵船で決めてもらうことを決定。

この事業が20 年先のベビーブーマー層を想定した長期的なプロジェクトとの認識のもと、将来の三隻体制を念頭に入れていたので、第一船だけでな く 3 つの パッケージとした下記 2 案に絞り込まれ、下記の両案が残ったのです。

A 案 クリスタル・ホライズン クリスタル・リフレクション クリスタル・エクサレンス

B 案 クリスタル・ハーモニー クリスタル・セレニティ クリスタル・ラプソディー

他に、ブリーズとかエレガンス、メロディ、ドーンなども候補線上にあがったが、それぞれ日米の感覚の差やイメージで調整が行われました。

ミストもあったが、当時の 日本政界を揺るがすスキャンダルの「黒い霧」を思い出させるとして、これは却下された。

「クリスタル・クルーズとしては、独創性・創造性

・妥当性、その言葉の持つラグジュアリー商品の優雅さなどを念頭に三隻の名前の適合性を重視した。

とりわけ、独創性にはこだわりを持たせたかったのです。

この業界でポピュラーなサン、 スカイ、シー などは回避したい。

適合性では名前の響きなどを選考ポイントとして、 三隻とも末尾が Y で終わる B 案が良いのではという意見が大勢を占める。

こうして 1989 年 1 月 15 日、新造船の名前が「クリスタル・ハーモニー」 

この船名決定に際して当時の「日本海事新聞」は下記のようなコメントを載せている。

—郵船の大型クルーザー船名決まる。 光り輝く太平洋の世紀をイメージ CRYSTAL HARMONY ・ ・・・・・宮岡社長は次の通り語った。
一、 船名の選定に当たっては日本のお客さんも、アメリカのお客さんもわかりやすく、覚えや すい名前である事を第一に考えた。次の本船が最新鋭の設備を持ち、欧米の一流デザイナーに よるエレガントな設備、ハード面が良いのと同時に、乗組員 のサービスつまりソフト面でも 調和(ハーモニー)がとれると。日本、台湾、韓国、中国など太平洋沿岸諸国のお客さんと船上 で忘れがたい友情を融和(ハーモニー) を導くものとした。
ー.またハーモニーの NY で終わる語尾は外国人にとって語感が良いらしい。それに第2、第3船をシリーズ建造する場合、たとえばシンフォニー、メロディなどに繋がることを考慮に入れた。米国 の代理店、本社でも船名を募集し、ハーモニーに多数の応募が寄せられた。第一位ではなかったが 最終的に私が選定した。

1、2隻目の建造は、第一船の実績を見た上で決めたいとのこと。世界の客船経営を一隻で やっている所は、ドイツのハパグ・ロイド社しかなく、当面、最低二隻は必要と感じている。それにロサンゼルスに60 人、日本約10人いるクルーズ客船事業の要員規模からみれ ば、2〜3隻までの運航が可能で、経費が安くなる。

帰りの航空運賃は船会社で負担するため、数が多くなれば航空会社との航空運賃の交渉もしやすくなろのです。

1989 年 1 月 「ロイヤル・バイキング・サン」のサンフランシスコ入港
クリスタル・クルーズの事業の段取りも、着実に前進してきた。当時の記録を紐解いてみると、当時のラグジュアリー・クルーズの代名詞であった ロイヤル・バキング社の最新鋭船 ロイヤル・バイキング・サンがワールド・クルーズの基点港サンフランシスコに入港。

この機会を捉え,クリスタル・クルーズの チェックリストを元に、彼らのハード・ウエアとの徹底的 な比較検証を行ったのです。

その後、1 月 10 日には、フロリダ、オーランドで、CLIA の会議、1 月 16 日には購買関連の新会社設立に関しては、パートナー明治屋との関係やクリスタル・クルーズ内 の組織、購買部門との仕事の振り分けなどを議論したのです。

1 月 19〜20 日は、翌年 7 月に予定されるクリスタル・ハーモニーのロサンゼルスでの命名式のイ ベントの為に、どの PR 会社と提携をするかの内部的なプレゼンテーションに費やされていました。

第一船 「クリスタル・ハーモニー」予約開始
この船名決定から半月後にクリスタル・ハーモニーのクルーズ予約受付が始まりました。

当日、予約係は東海岸との時差の関係で午前 7 時から 業務を開始した。こ の日、午後 5 時までの間に全米の旅行代理店から約 250 件の電話があった。

しかしこの段階ではまだ料金レベルなどに関して最終的なものではなく、仮予約てという段階でした。

彼らは、料 金が未公表にも拘らず、最上層階のペントハウスから仮予約を始めた。特に、最上の部屋、クリスタル・ペントハウスは、翌日全額支払うと言う乗船客で即完売となったのです。

仮予約の電話は、いままでのクリスタル・クルーズのブランド構築活動などを通して、 どのようにマーケットが反応するかを測る指針として、きわめて 重要なものであった。

彼らの予約 の客層が、今までどのクルーズ会社に乗船しているか、あるいはクルーズ船客の乗船経験の有無などが、非常に重要なポイントでした。

また、アメリカのどの地域からの予約かも、今後の集客 活動にとって大きな意 味を持っていた。かなりの予約が、今までロイヤル・バイキング社の乗船経 験者で有ったが、一部には、シザーズ・パレスのカジノがあることで予約して来た初めてのゲストもいました。

プリンセス・クルーズ社の上層階のゲストも多かった様子です。

特にアラスカクル ーズの売れ行きは当初の予想以上の反応だったのです。これらの傾向を通して上層階の部屋から売れていくということは、クリスタル・クルーズが狙いを定めた、富裕層が反応しているということが 判り、今までのマーケッティングやセールス戦略の正しさを示しており幹部らは安堵したのです。

クルーズを予約しないまでも、多くの質問もあった。これらの質問は、今後のマー ケッティング やセールス活動の為に、極め重要なポイントを突いていた。早速マー ケットに正確な認識を提示す ることにより、今後このような質問を回避するようなコミュ ニケーション戦術をとり、実情を周 知徹底することにした。当時の主な質問は下記のような点で あった。

・ クリスタル・クルーズのホーム・オフィス、船上における主要スタッフは誰か? ・主要ターゲットマーケットは?

・ クリスタル・クルーズと親会社の関係は?

・ 旅行代理店に対する基本方針/インセンティブなどはどうなっているのか?

・ 本船のハードウェアは? ホテルは誰が面倒を見るのか?

・ 船長はどこの国の出身者か? 主要乗組員構成は?

・ ダイニングスタッフは?

・ メインダイニングルームでは、ワン・シーテングかツー・シーテングか?

・ スペシャリティ・レストランはどう運用するのか?

・ 料金はいくらなのか?

・パンフレットを早くもらいたい(これは料金を最終的に決めていないので、まだ作れない。

翌日、全米のセールスの幹部と各地のセールス・スタッフ候補生を、センチュリー・ シティのレ ストラン Jimmy’s に集め編成会議を開催し、今後のセールスの戦略に関して詳細を詰めた。初日の 好反応にも満足せず、私たちは、クリスタル・クルー ズのプロモーションを推し進めるのです。

とくに力 点を置いたのはメディア対策であった。「ニューヨーク・タイムス」「ロサンゼルス・タイムス」 など全国紙のみならず、とりわけクルーズ客層に密着した、全国紙より週末の団らんで話題になりやすい地方紙に重点的に焦点を当て、積極的に「Crystal Age Begins」(クリスタル・エイジ・ビギンズ、クリスタル時代の幕開け)を宣伝したのです。

まだクルーズ客船がない状態では、その船上の滞在環境を作る人材を前面 に出し、それも今までの幹部のみならず、セールスの核となる現場のスタッフを前面に出し、クリ スタル・ クルーズを支える人材の露出でマーケットの信頼を得る戦略でした。

さらに、フリーランス記者の積極的な活用も、戦略の一つである。

クリスタル・ハーモニー建造時から、このプロジェクト参画者としての立場で、進捗状況などを頻繁に記事にしてもらい、そのネットワークで配信。このようなメディア反応を、旅行代理店とのネットワーク作 りにおいては数値管理し、効果を挙げるという方法をとったのです。

当時の状況を、平成元年 2 月 15 日「海事プレス」の報道は、下記のように伝えている。

1日だけで問合せ1千件が殺到。
郵船の新造客船人気は予想以上。料金は12段階平均370ドルに一

日本郵船の CRYSTAL CRUISES(本社:米国カリフォルニア州センチュリー・シテイ)は先週 6 日、米国 で、アラスカ・クルーズ 12 日間のブッキング受けを開始した。

新造船クリスタル・ハーモニー(乗客定員 960 人)に対する関心は、予想以上に高 く 「一日だけで 1 千件に上る問合せが殺到した」という。アラスカ・ク ルーズサンフランシスコ発着の料金は航空 料金込みで一人一日310〜1,000ドル、平均370ドル。 人気の高さから見て、年内 に 6〜7 割の予約を確保できる見込み。

“Crystal Age Begins”

ロサンゼルスでは、この船名発表と予約開始に際して “Crystal Age Begins” を合 言葉に、各種 のパンフレット、ビデオ・プロモーションを一斉に展開し、その他、「プ レースメイントアドバー タイズメイント」などの手法も駆使した。クルーズ船客や マーケットに対して、クリスタル・クル ーズの事業企画が、着々と進んでいることを発信した。クルーズ業界およびクルーズ船客への情報 提供には、イメージのみならず、商品の中身を知って貰うべく「インフォマーシャル」を多用した。 プロダクト内容を熟知してもらい、既成クルーズ客船とのデフェレンシェーション(差別化) に活用 したのである。多彩な宣伝手法の活用で、船上における滞在環境の認知度を高めることとした。
また、2 月 5 日には、前田さんが、ロサンゼルスに入り、翌日は河村さんが合流して、ウエストウ ッドのリージェンシー・クラブ(Regency Club)で「クリスタル・クルーズ」プロジェクトの進捗状 況の検証と今後の対応、特に、船上の組織及び配船問題、 長崎におけるクリスタル・ハーモニーの 建造の段取りや処女航海などの段取りに時間が割かれた。この頃長崎では、クリスタル・ハーモニ ーのメイン・エントランス、パームコート等のモックアップが完成、利便性や居住性など、チェックされ、12月に完 成していたクリスタルペントハウスなどの客室では、三菱重工 業の社員カップルによる試験滞在などをしている頃であった。

1989 年 2 月 カイ・ユルセン船長任命
「クリスタル・ハーモニー」船長として、サガ・フィヨルド号などに乗船し、その後アドミラル・ クルーズ社で、現役の船長であったカイ・ユルセン。副船長として、ロイヤル・バイキング社から、 レイドルフ・マーレン、機関長ジョン・エドバーグを 引き抜き、任命し発表した。当時はまだ、こ の新造船の最高責任者は、日本人船長 が中心となって運航すべしとの意向も強く、ロイヤル・バイ キング社のノルウェー色を薄め、政治的な判断も働いた。

一般的に、クルーズ客船の船長は運航部門の最高責任者であると同時に、船上での接客に最も忙しいという役割でした。

自薦他薦を含め、ロイヤル・バイキング社の首席船長やこの業界の主要な船長と直接面接し、ある時は、間接的ににコンタクトを取り、アメリカ側としては、当初はアメリカ人ゲストに、好評なノルウェー人船長で、ロイヤル・バイキングの首席船長、オーラ・ハーシャイム 船長か、次席船長レイド ルフ・マーレン船長を最優先候補としていたのです。

最終的に、同じ北欧系であるがロイヤル・バイキング社ではなく、サガ・フィヨルド 号などを運航している NAC社などの船長を続け、当時は、アドミラル・クルーズ 社の船長を務めていたカイ・ユルセン船長で決定。

この様にして決まった船長カイ・ユルセンのほか、副船長のレイドルフ・マーレン、 機関長のジョン・エドバーグ等は、6 月 1 日には長崎の造船所に派遣されました。

現場での調整と機器などに対する慣れが重要な仕事であったので、運航関連以外のホテル部門の人選も行っていたのです。

長崎の造船所では、4 月 14 日クリスタル・ハーモニーの船体にコインをはめ込むキール・ コインセレモニ ーが開催された。

この儀式はヨーロッパに於ける新造船に対する祈願と祝福を兼ねて行われ、船体の竜骨部(キール)にコインを溶接するものでした。

船上ホテル備品及び食材購買部門と「MY NYK International」

3 月 3 日には、ロサンゼルスに「MY NYK International」が設立されました。日本郵船 51%、明治屋 49% の株式を保有する船食納入会社。

このプロジェクト初期の構想で、この部門に関しては、日本側として「環太平洋クルーズ」構想の下に、シンガポールの新会社に購買関連業務を一括して任せ るとの発想だったのです。

日本側では戦前の客船時代の購買部資金の流れ複雑さと管理システムを認識していたので、 クリスタル・クルーズ組織内に購買部を設ける事で、計数管理が不透明になり、担当者の予期せぬ事故などに巻き込まれかねないと主張していたのです。

クリスタル・クルーズとしては、それでは運航業務をアメリカで行い、ホテル部門の運営も、アメリカが主体的にやるにも拘らず、購買部門だけを運航業務本体からはなれたシンガポールで行うのでは機能しないこと。

また大きな予算の動きに関しては現在のクル ーズ客船におけるホテル購買システムは、計数的な管理が進んでおり、購入と消費がハッキ リと判るシステムの構築が出来るとして、このシンガポール購買事務所案には反対意見を申し出。 日本郵船と明治屋との提携で、MY NYK 社の設立で対応しようとしたのです。

1989年4月10日、ロドニーとロサンゼルスでのハーモニーの命名式の段取 り担当のダーレイン・パパリーニなどが、三本さん(副社長)等と面談の席上も、これが話題になっ たようであった。

この案件は、その 2 カ月後に起こる世界的事変によって解決することとなる。

コンピューター・システムによる陸上での運営管理・船上での諸処理などの一括システムや寄港地手配などの構築

この頃、新会社として、独自の予約システムや、船上でのホテルシステムを構築することを決め ていたコンピュータ関係のシステム・プログラムが完成しつつあった。

(1) 陸上の管理部門のシステム
(2) 船上での運航・ホテル営業部門のシステム
(3) 世界各地から調達する数万点に及ぶ船用品や将来の食材などの 調達するシステム
(4) 旅行代理店などとの予約システム、全て自前で構築すべく計画していた。

また、集客したゲストのロジステックスの面で最も重要なアメリカの航空会社とのボリュ ームに基づく、特別割引契約などの取り決め交渉が続けられていたが、これらも目処が立ち役員会で承認された。

クルーズ客船には寄港地手配が付いて廻るが、そのそれぞれの寄港地における諸 手配の為に港湾代理店やクルーズ船客の観光などを手配するランド・オペレーターと言うツアー会社の選定も重要な仕事であった。

処女航海の寄港地、アラスカは、ホーランド・アメリカ社系とプリンセス・ク ルーズ社系のランド・オペレーターが独占していた。彼らの手配する運転手やヘリコプター、水上機のパイロットの多くは、夏のアラスカ、秋・冬季のカリブ海で、ツアーの仕事を支えている渡り 鳥スタッフ であった。

このため、ランド・オペレーターも人的手配に制約があり、寡占状 態でもあったのでどうしても割高にならざるを得なかったのです。

アラスカの州政府は、クルーズ客船 の大型化に対して危惧を示していた。

大型クルーズ客船で観光客が大入すると、アラスカの自然が守れない。

もし、アラスカ観光をしたいと言うのであれば、入頭税を設けるというも のであった。

当時のアラスカ州選出のボーランド系実力上院議員、フランク・マルコウスキーなど にクルーズ会社として陳情攻勢も激しくなった。

この様な時に、アラスカのアンカレジの南、プリンス・ウイリアムズ・サウンドで、 タンカー「エクソン・バルデス」による未曾有の石油流出事故が発生し(1989 年 3 月 24 日) クルーズ客船の安全性にまで話が飛び出したのです。

アラスカで最も氷河の崩落の激しくクルーズのハイライトと言われていたグレシア・ベイに寄るクルーズ客船に過去の配船実績を元に、寄港制限をつ けると言い出したのもこの頃でした。

クリスタル・クルーズの様な新生の会社にとっては、厳しい制限でした。

処女航海のアメリカ人クルーズ船客は、最上のクルーズ会社であれば、当然、このグレシア・ベ イに寄るものと思い込んでいる。ここへの寄港権は、彼らの第一印象や評価にも影響するのです。

そこで、 関係先と調整する目的で、ロビーイストを活用することとした。彼らを通して、過去の実績はあるものの、この年には配船をしないキュナード社の権利を譲り受ける事を工作した。

幸い、年末まで に取得が確認でき、クリスタル・ハーモニーの就航に間に合わせる事が出来た。

1989 年 5 月「客船レジャーの情報誌」創刊号と「クルーズ元年」

日本で「クルーズ』(隔月刊海事プレス社)の創刊号が発行された。その『クルーズ」5 月号で「客船時代、再び」と銘打って「クリスタル・ハーモニー」の特集を組んでいる。その記事によると、 ー「クリスタル・ハーモニー」は日本最大でかつ最も長い歴史を持つ海運会社・日本郵船がこれも 日本最大で最古の歴史を持つ造船所・三菱重工長崎造船所で建造している。

日本郵船は戦前 「浅間丸」「龍田丸」「鎌倉丸」をはじめ、世界各地に豪華客船を配船戦後もし ばらくは、いま横浜に係留している「氷川丸」で船客を運んでいたのです。

その会社が昨年アメリカに「クリスタル・クルーズ」と言う客船会社を設立し、客船の発起から就航まで 3 年以上の準備期間をかけて来年 6 月に新時代の豪華船「クリスタル/ハーモニー」を登場させようとしている。

東京サンシャイン60より1メートル長い241 メートルの長さを持ち、普通の外国客船であれば、 1800 人も乗船できる大きさなのにこの船では乗客定員をわずか 960 人に抑えている。

それだけぜいたくな造りになっている。

「太平洋文化の架け橋に」がキャッチフレーズの「クリ スタル・ハーモニー」。

春は 日本・韓国・中国、夏はアラスカ、秋はパナマ運河経由カリブ海、冬 は南太平洋と、太平洋沿岸をそれぞれ最も美しい時期に訪れる。

処女航海は来年 7 月のホノルルクルーズでした。

クリスタル・クルーズ以外にも、日本の貨物船会社が、独自のクルーズ客船運営構想を持って華々 しく、花開こうとしている先賭けでもあった。この年の日本はクルーズ元年と言われクルーズ 客船に対して熱い期待が集まっている時でもあっ た。

ホテル部門幹部の採用開始

1988 年年末、三菱重工業の作業も順調で、パームコートなどのモックアップも完成し長崎での船 上における施設や設備に対して、多方面からの検討を加えている頃、 ロサンゼルスでは、幹部船員や乗組員の採用が本格化してきたのです。

1989 年 2 月 3 日には、船上における商品開発と採用戦略(船上での滞在環境)の会議を行った。

適材適所の人材を求めて:ノルウェーやオーストリアの古城へ

創業幹部らは、ホテル部門の採用幹部と船上でのスタッフを求めて、オーストリアのザルツブルグに飛んだ。目的はクルーズ関連のホテル経営を専門にしている経営者に会うためでした。

ロイヤル・バイキング社もオーストリア人のマネージメントスタッフをホテル・オペレーションの核になるポストで、採用している。

オース トリアは、観光立国であり、国内に散らばる古城や山小屋 の地下を改装して、ホテ ル学校を兼営している所が多い。

当時は9 校あり、その中でもシ ャコーシが経営するホテル・マネージメント会社が、ロイヤル・バイキング社の優秀な人材の供給源になっていたのだ。

当時、シャコーシは、海上でのホテル要員 250 人、陸上でのホテル要員500 名を抱えていたが、 彼らの多くは、オーストリアのレストランやホテルで実習生としての経験を積んだ 即戦力部隊でした。

このオーストリア・システム の強みは、料理なども著名なレストラン等の 所謂「徒弟制度」で技術を習得するのではなく、このマネージメント会社のマニュアルに従ったシステムで教育されていた事でした。

ハプスブルク家の伝統の味など、いろいろなところで継承されていました。

ここの主力スタッフを、クリスタルクルーズ社の新造船ホテル部門や料理部門に勧誘する事に成功したのです。

食に関しては、彼らの助けがあれば、少なくともロイヤル・バイキング社のレベルは維持できると予測。その後も、この人脈が、クリスタル・クルー ズの船上でのダイニングのシェフとして活躍くれたのです。

日本料理レストラン「京都」の挑戦……「生の魚には、虫がいる?」

クリスタル・クルーズの和食レストランの導入というチャレンジは、この頃も続けられていたのです。

クリ スタル・ハーモニー就航前1989年、 NRS (National Restaurant Assn)の人気度調査によるとア メリカにおけるエスニック料理とは、ベスト 3 が 1 位イタリアン 36%、2位中華 23%、3位メキシコ20% 以下の4位ギリシャ、5 位ラテンアメリカ、6 位スペイン、7 位フレンチ、8 位カリビアンのあとに日本料理であり、「日本食」は、一般のアメリカ人というより日系人を中心としたマーケット に過ぎなかったのです。

ちなみに上位 3 種は全体の 8 割を占めていることからも、そのマーケットの小ささが推測されたのです。

アメリカにおける日本料理といえば魚料理・鉄板焼き・しゃぶしゃぶ・懐石料理な どがニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコなど一部の日系人を中心とした社会では受け 入れられていた。全米規模でみると、日本食は、マニアックなジャンルでした。

特に日本の食生活から最も遠いのが、ラグジュアリー・クルーズのゲストであり、大きな比重を占めるユダヤ系アメリカ人であり、食生活に厳しい規律が求められる彼らにはまったく受け入れられていなかったんおでした。

第一号船、クリスタル・ハーモニー建造が決まった後も船上に設けられる予定の和食レストランをどのように運営するかは大きな挑戦でした。日本郵船の見解は世界最高級の客船だから、当然和食レストランも、東京都心の超高級和食レストランと同等のものを作るというポリシーがあったのです。

クリスタル・クルーズは試行錯誤で、 当時のクルーズ業界では画期的な日本料理レストラン「京都」を設けることとなったのです。

しかし、この要請には、マーケットに無縁な新しい日本食を、日本食に最も遠いものです。

クルーズの乗船客に食させると言う難題が付き纏っていたのです。この実現には非常に多くの障害が横たわっていました。

当時は、アメリカでは寿司が健康食であるとの報道の一方で、生の魚には虫がいるだとか、素手で寿司を握るのは不潔ゆえビニールの手袋をすることなど、生の魚やそれを料理することに対するネガティブな見方か非常に多かったのです。

ロサンゼルスタイムズによると、生の魚を食べる寿司は不健康である等といった記事も掲載していた。

アメリカ人、特に主要客層で有ったユダヤ系のクルー ズ船客 にとって、日本食の食材への無知識は酷く、塩辛は「虫」だと言い出す人もいたちなみに、今のア メリカでは、日本人が描く”なま”寿司ではなく、アメリカ人に食べやすい巻物を中心とした寿司がブームなのです。

当時は、連邦衛生局(USPH)も、クリスタル・クルーズが、日本食を出すことに 対して懸念をしていたのです。また、日本食の分布も、上述のようにニューヨーク・ロサンゼルス・サンフランシスコな ど限られた大都会偏重が顕著であった。また、「すいび」レストランでのダグラス・ワードのアド バイスにもあったように鉄板焼きやしゃぶしゃぶ・すき焼きはクルーズ客船では問題が多く、懐石料理も困難が大きかったのです。

この様な中で、サンフランシスコの日系ホテルの中にある日本食レストランを指揮していた酒井君を引き抜き、限られた条件の中で、日本食のメニューを考えてもらう事とした。

彼のメニュー作成の過程で、食材のみならず、食器などに対する手配の問題が発生した。

日本食には、多彩な食器 が必要なのであった。

それを船上の 限られたスタッフで如何に、洗浄し管理するか新しい問題も生 じた(ここで重要な事は、酒井君の働いていたレストランの客は、ある程度の日本食を試食経験のお 客が対象であった。船上の環境とは、大きな違いが有った。

日本食の問題点とは

上述のように、新造船には世界に冠たる豪華クルーズ客船を造るのだから、日本の食文化を世界 に広める為にも、豪華な料亭のような料理を提供すべしと言う意見であった。

生魚に疎いアメリカ人にはすしが、生の魚を扱う、その匂いに対する嫌悪感や内臓に虫が居るとか、今では想像も付かないような見方が溢れていたのです。

(1) 『割烹懐石料理』 東京が言う懐石料理は、非常に難しい。レストランを選ぶ動機を観察すると、日本では、割烹懐石料理の多くは、食材の多様さと料理の技量で作られておりその屋号とかシェフの名前で、レ ストランを選び、料理は彼らにお任せの料理であり、 店のブランドとシェフの技量を信頼して、 口にしているものである。一方、アメリカでは、日本食の食材に疎いアメリカ人にとっては、料理の中身が分からなく、好まれないし、醤油味に対する拒否反応やアレルギーもあったのです

また、 固苦しいフォーマリティが感じられると言う。日本食を初めて口にするアメリカ人の多くは、食材が気になり「これは何」との質問攻めでこれに答えるシェフは、一般的に、英語力不足、また、ウ ェイターは、日本食を経験したことのないヨーロッパやフィリピン人で、料理とクルーズ船客のコ ミュニケーションが成立しないのです。

宗教的な戒律の厳しいユダヤ人も含め、イメージの浮かばない食 材を基に食べる習慣が少ない人達にお任せで料理の中身が判り辛い料理を、クルーズゲストに、 喜んで気楽に食べても らうこと事は至難の業でした。

徒弟制度的な料理法習得の為、シェフが代われば、料理の作法が変わり、味付けも異なるのでは、 クルーズ船客からの評価も定着しない。食材の調達方法も、陸上でのオペレーションと全く異なり難問であった。

(2) 「アメリカ人のレストラン観」 アメリカ人の「レストランに対する期待/見方」も、壁となって立ちはだかっていた。アメリカ人は、レストランでの食事の時間を大事にし、団欒や社交の場として捉えており、自分たちの気分で、 長居したがる傾向があります。最低でも 2 時間は掛けるのです。

その点、和食のレストランでは、コースもの のメニューも限定されがちで、酒などの飲み物などで場を持たせるしかない。
日本の料理の中で、割烹などや大型料亭などの料理以外では、「しゃぶしゃぶ」「すき焼き」「鉄板焼」なども考えられるが、これらは、どちらかと言うと家庭料理的で、 基本的にセルフ・サービス的でもある。

鉄板焼きやしゃぶしゃぶなどで 2〜3 時間の場を持たせるのは非常に難しいのです。
日本で生活しているなじみの人たちには、それでも良いが、日本料理に疎いアメリカ人には、日本のこ のような環境と、まったく無縁な人たちが多かったのです。

匂いにも厳しい、焼き物も匂いが強いし、時 にはアメリカ人になじみの薄く、匂いが嫌われているしょう油なども使用しなければならない し、クルーズ船客のほとんどが和食を口にしたことがない人たちである。

活きた魚に、しょう油を つけて食べさせるなどといったことはできるはずもなかっ た。しょうゆの味や匂いが耐えられない と言うアメリカ人も多かった。
(3) サービス運営面での難しさ
80 年代の当時は、鉄板焼き料理が流行していたが、ブームは下降期でその代表格 「ベニハナ」等も、飽きられ大衆路線化に舵を切っていた。

特に、セルフ・サービス的で華やかさが出づらい。フォーマルに不向きに加え、高級イメージも低く、相席の可否・席に詰め込まれるスケジュールが、 シェフ主導で、食事の時間に制約があり追われる感じなどの不満もあったのです。

タキシードやドレ スに匂いがつき、タレものも多くテーブル・クロスが、汚れや臭気が付く、又、船上であるが故に 換気に注意、最大の注意を払わねばならぬ。鉄板焼きには、サービス品目としては、ビーフ、照り焼きなど、単品指向でメニューに広がりを生み辛く弁当箱的でもあったのです。

肉料理主体の鉄板焼き、すき焼、しゃぶしゃぶや、てんぷら料理には、タキシードとかイブニン グドレスには、不釣合いで、航海中の船での料理には、危険も伴い、不似合いであった。シャブシ ャブなどは、これは、料理を経験した事のある人にしか、上手く運用できないし、これもフォーマ ルに向かない「匂い」と言う大敵が付いて回るのです。

しゃぶしゃぶやすき焼きには、基本的にセルフサービス的なサービス形態でありサービスをする外国人サーバーにはなじみの無いサービス形態でした。

アメリカでは、バーベキューなど一部の食事を除いて、レストラ ンで は、サービスをする人、サービスをされる顧客の立場の違いが明確でした。

これらに加え、食材調達などの難しさ(世界各地での調達能力)も議論となった。クルーズの航路 によって、どのように和食の食材を調達するか。それに加え、サービスをする外国人スタッフのそ の食材に対する知識程度と、周知する際、その説明 の難しさも問題であった。アメリカで成功して いる多くの日本料理屋には、しっかりした、料理の食材を(英語で)説明できるウェイターやウェイトレスがいます。

アメリカでは、料理はエンターテイメントであり、食べ物の説明も重要な仕掛けの 一部なのです。

エスニックとしての日本食に対する経験がない外国人サーバーのサービスをする支援体制にも問題があると思われた。船上でサービスする(イタリア人やフィリピン人 は日本食を一度も食べた事のない人たちでした。


日本食の食材に対する知識レベルを(特に懐石料理)を如何にトレーニングするか、議論されたが、 妙案は無かった。

例えば、酒はワインとは異なり、長くは保管できないし、船側でサービスする外 国人には、欧米の知識はないこともあり、日本人客からは「酢」化した酒のコンプレインを受ける事になる恐れもあったのです。

日本食のサービス形態とアメリカ人の馴染みのアベタイザー(前菜)からメ イン・コースへの区別が不透明で、サービスの仕方に問題が出る可能性がある。味噌汁がスープ と思い、アペタイザーで出てきたり、遺物を、サラダと思い込んだり、生活習慣も違い、緑茶を頼むとセイロンの紅茶のようにスプーンと砂糖とミルクを持ってくる。


和食のメニュー構成においても困難を極めたのです。焼き物も匂いが強いし、時には醤油等も使用しなければならないので、クルーズ乗船客のほとんどが、和食を食べた事が無い人達なので活きた魚を食べさせるなどと言った事は難事でした。

多くのクルーズゲストは、宗教的な理由で自分が納得できないものや好みで 魚貝類や得体の知れないものを食べる事が出来なかったのです。

メニューは、加熱をした物を中心とした日本食のメニューを用意することにしたが、限られた船内の調理スペースでもあり、シェフにとっては厳しい料理環境であった。

アメリカのレストランでは、一般的に、アペタイザーは、他の人と同時にサービスされるが、船上のスタッフでは、和食の場合、料理が遅いと一品料理がバラバラ 出てきて、同じタイミングでは出てこないことも多かったのです。

その結果、出来るだけ前菜とメインコースに、サービスをする形態にせ ざるを得ないかったのです。シェフの試作品であった炒め物は、食材が不透明で米は副食だと言い主食ではないと考えているのです。

寿司はアペタイザーで主食ではないとか、味噌汁はスープゆえ最初に出すべきであるなどの見方の違いもあり、その運営に関しては多くの課題を抱えていた。

(4) 船上勤務の人材確保と日本的料理手法の難しさ、シェフの雇い入れも問題でした。日本料理には、前段階の準備が必要でそのためにスタッフも
十分居なければならず、一般的にロサンゼルスの陸上のレストラ ンで働くより、厳しい環境で、待遇も競争力がないとすれば、良いスタッフを探す事は待遇も含め難しい仕事です。

日本食 の料理手法に、手間が掛かる事も、レストラン運営を難しくしたが、それに加え料理の職人が、多 くは徒弟制度で料理の手法が、人によって異なる事や食材の調達などが障害として横たわったのです。

独自の作業流儀があったり、味付けが異なったりしている現実と、懐石料理の専門家に寿司やうどんを作ることを勧めるのはかなりの勇気が必要であった。

作業をする仕事場も制限があり、当初望んだような、高級料理を提供するような設備や舞台裏になっていなかった。それに加えて、職場陸上とは大きく異なる船上での勤務体制も大きな問題であった。

雇い入れも労働条件などから、難しいことは明らかで、また、アメリカ人やヨーロッ パ人では、言葉の問題もあるのです。

一方、表向きは日本人でも、日系米人は、日本の事も判らぬことも多く、料理法の異なる船上料理場での厳しい挑戦でした。

クリスタル・クルーズ独自の「プロダクションショー」の準備

クルーズ客船で旅行中、船上での楽しみの一つに、ロマンスの中心になる夕食後の大劇場におけるプロダクション・ショー。

食後の雰囲気を盛り上げ、船上での滞在経験をより快適に、濃 密にする舞台装置、パフォーミング・アートです。

クリスタル・クルーズは、既存のクルーズ会社とは異なり、自前のプロダクション・ショーを提供する事を決めたのです。

クルーズ客船社によっては、このようなショーを専門とする会社に外注で依頼するケースも多いが、クリスタル・クルーズの場合、このパフォーミング・アートは、演じる者と観客に一体感が重要であり、そこに微妙なケミス ト リー効果があり、プロジェクトの具体化と共に自前制作を目指した。

制作監督・ 振り付師・コン ピュータ制作担当・舞台監督をはじめ男女歌手・男女歌手兼ダンサーおよび専属バンド等を入れると、乗り出し時、総勢役 20 人、3隻体制になれば、80 人前後の規模の大所帯のプロダクションチームが出来、この運営や各制作にはかなりの費用と日数を要することとなるのです。

男女歌手やダンサー等は、一隻に 2 セット(二隻の場合、約 3 セット)分(船上 のキャストとして は男性、女性それぞれのリード・シンガーと 8 人の踊り手 + 歌手 の 10 人構成で更に、2 人が休暇の体制が必要で、乗船していない歌手/ダンサーは、ロサンゼルス・パサデナのスタジオにおいて、 毎日練習漬けでリハーサル、仮に船上の歌手あるいはダンサーに怪我など何か緊急事態が生じた場 合、いつでも補充が効くようなバックアップ体制を作る必要かでした。

歌手やダンサーは、もちろんプロとして生計を立てており(一般的に 18 週間契約となっている)。 ニューヨーク・ロサンゼルス・ラスベガス・ロンドン・シドニー等でオーデションを行い、採用の 可否を決めるが、一回のオーデションに大体 100〜200 人ぐらいの応募者があり、その中から 1 人か 2 人の採用となるのです。

給与体系(平均): ヘッドラインシンガー :1,500 ドル/週 バックグランドダンサー:300〜800 ドル/ 週。

通常 45〜60 分間のプログラムを制作するのに約 4〜6 か月を要し、これ以外に、衣装合わせや衣裳などの手配に、更に 2〜3 ヶ月を要することになるのです。

外注のプロダクション・ショーの場合 1 か月 もあれば、クルーズ客船会社として最高レベルの個性的なショーにするためには自前が望ましい判断があったのです。

最近はクルーズ客船が急激に増えている事もあり、マイアミを中心として、多くの契約歌手とか踊り子をそろえ外注専門のプロダクションショー会社が、取り仕切ってい るケースが多いのです。

ラスベガスとの提携で、大掛りなプロダクッションショーも増えています。

一つのショーに要する費用は、オリジナル作品の場合、著作権・制作費・衣装代などを含めて約2億円の予算が必要でした。

特にコンピュータ仕掛けの制作には、かなりのハイテク設備を投入 する事となる。また、コスチュームのデザイ ンも振り付師や衣裳デザイナーの重要な仕事でした。

衣装デザイナーは、ロサンゼルスでの映画や舞台の専門デザイナー会社と提携し、デザイン自体の素描から繊維素材の選別などもふくめ、振り付師との協業が基本となっているのです。

衣装は、観客か らの視覚的のみならず機能面においても着替えが簡単に出来るような特殊仕上げとなってい る。衣裳は見るだけにある訳ではなく、演技者にとって使い勝手がよいものでなければならない。 頭に乗せるカツラが重すぎないか、踊っている最中に落ちはしないか、カツラを支える紐が歌手の 首を締め付けていないか等にも十分な配慮が必要だ。

素材も高級繊維を多量に使っていることもあり、例えばスパンコールを使った 1 着百万円以上の 衣裳もありました。

衣裳の発注先も、アメリカで作ったり、あるいは中国に発注したりと多岐に渡りました。

これがダンサー分必要になるわけで当然衣裳コストが掛かる。通常 1 ステージ、5〜6 シーン位の情景 が出るがこれらの舞台装置も馬鹿にならないのです。

コスチューム・チェンジも、時には、一度のショーで 13〜15 回もありブロードウェイ的ショー、 バックステージでは3人の着替えのフィリピン人ドレッサーが必要となる。

クリスタル・ クルーズのコール・ポーターショーでは、続けて約 7 分間も歌い踊り続けるシーンがあるが、次の シーンに移るときの息づかいのコントロールにも細心の注意を払います。

踊りの種類もかな りのバラエティに富み、したがって幼いころからのバレー等の基本が必須である。歌手やダンサー の船上生活は華やかそうに見えるが、実はかなり過激な仕事で、ショーのあるときは、必ずリハー サルがあり、ショー自体は 45〜60 分の出し物が続けて 2 回あるプロードウェイやラスベガスでは、 曲目はいつも同じで良いが、クルーズ客船では、クルーズ船客が、毎日変わるわけではないので、 そのレパトリーは、クルーズで 200 曲 以上にもなる。それ加えてダンスも出来なければならないのです。

歌の方もかなりの広いレパトリーの曲目をこなし、一回45分の舞台で約25〜30曲、クリスタル・ クルーズのロックンロールのショーでは合計 120 曲もの歌を歌い踊るのです。

本来の歌や踊りの仕事以外 に、通常は船客の乗下船時の受け付けをしたり、本船来訪者のエスコートをしたりもする。彼らが個室でゆっくり骨休めが出来るスペースが欲しいと言う要望が多数あったのです。

クリスタル・クルーズのショーは、就航後極めて好評で、ゲストのスタンディングオベーションやパフォーミングアー トの雑誌や旅行業界紙等での高い評価が得られれば、出演者自身の勲章となるのです。これが彼らの次のブロードウェイやラスベガス等へのキャリアパスとなるのです。

多国籍従業員(乗組員)雇い入れ会社 ICMA 設立

ヨーロッパを中心とした上級幹部船員/従業員(乗組員)雇用システムの構築に 関連、新会社の船員の採用を、自由で柔軟に運用するために、長所の多い便宜置籍船制度を採用する事で決 めていました。

船上における上級幹部船員やホテル部門のクルーの採用を柔軟に実現する事で、 彼らの国民性を最大限に生かしながら、船上における運航・滞在環境を創る事に決めていた運航部門では、日本人幹部船員が加わる。このヨーロッパ人の体制を、フィリピン人船員や従業員の採用で下支えする体制を基本としていたのです。

ヨーロッパを中心とする多国籍従業員(乗組員)の採用が本格化しだしたこともあり、クリスタ ル・クルーズとしての雇い入れ会社が必要になった。幹部船員やホテル部門の従業員の採用が始まる前に、その雇用関係に対するリクルート・雇用契約・ 送り込みなどの手配が必要になるが、この 一連の作業をオスロとマニラに、それぞれ会社を設立し、そこで一元的に処理する方法を編み出した。日本郵船は、(1) ヨーロッパなどのクルー採用の為に、ノルウェーのオスロに設置する

(2) フィ リピン人従業員(乗組員)の為の雇用・管理事務所を、マニラに開設するという案 が作られたのです。

雇用専門会社 ICMA(International Cruise Management Agency 資本金 45,500 ドル)をノルウェー・オスロに設立。同社が、ヨーロッパ系幹部・上級船員とホテル部門の従業員などの雇用の受け皿となったのです。

一方、雇用人数としては、圧倒的な数を採用しなければならないフィリピンクルー に関しては、フィリピンの合弁会社を通しての採用となった。1990 年初めからスタートしたクリスタル・ハーモニーのクルー雇用に 関しては、ここを通して対応しました。

ICMA に関して言えば、雇用問題には、ITF(国際運輸労連)対策が重要であり、そのために、この雇 用事情を熟知している経験者が重要との判断が働いたのです。

ロイヤル・バイキング社から、ノルウェー 人スベン・ピターセンを引き抜く事とした。同じノルウェーの業界人としてクリスタル・クルーズ の副社長フライデンバーグや、当時のプロジェクト担当者とも旧知で、この分野では管理能力を 高く買われていたのです。

面接の時、”将来性のあるクリスタル・クルーズに賭けたいと言っていたました。クリスタル・クルーズのプロジェクトの姿が具体化した頃、仮想競争相手と考えていたロイヤル・バイキング社は、将来の展望が描けず、アメリカの旅行代理店網からも、見放されつつあり、経営的に混乱していた状況でした。

ロイヤル・バイキング社の事情 に精通している彼のこのコメントは、これから立ち上げるクリスタル・クルーズに対する彼らが見 る競争相手としてのイメー ジを測ることが出来、幹部船員や従業員の中に、クリスタル・クルー ズで働いてみたいと言う将来の移籍候補者がいることを示唆していると思ったのです。

船籍などに関して、後の 1989 年 10 月、バハマに「クリスタルシップ・バハマ」が設立さ れる。これを機に「クリスタル・ハーモニー」の船籍もバハマで登録されたのです。

バハマに現地法人が設立されたことは、税制のメリット以外に、40カ国におよぶ国際船員や従業員の雇用を可能にする大きな意味があったのです。

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